【小島正憲の「読後雑感」】
『脳の闇』
中野信子著 新潮新書 2023年2月5日
帯の言葉 : 「人間の厄介さを知っていますか?」
中野氏は、本書のあとがきで、
「読みづらいことを、本書ではできるだけ回りくどく、わかりやすいようになどと斟酌することもなく書いた」、「本書を理解することが困難な人がもしいたとしたら、あなたの知的水準がいまいちなのは私のせいではないので、どうかそのことだけはご理解いただきたい」
と挑発的なことを書いている。
本書は、中野氏の自伝的考察のようなもので、私には、本書を理解することが、さほど困難ではなかったし、逆に、この本における中野氏の視点は面白く、学ぶことが多かった。
中野氏は、
「そもそも脳は、怠けたがる臓器である。脳は、人間が身体全体で消費する酸素量もおよそ1/4を使っている。そのため人間の体は本能的に、脳の活動量を抑えて負荷を、低くしようとする。ところが、“疑う”“慣れた考えを捨てる”といった場面では、脳に大きな負荷がかかるのだ。自分で考えず、誰かからの命令に従おうとするのは、脳の本質といえる」
と書き、それを前提としながら、次のようなことを述べている。
これらに確たるエビデンスはないが、妙に説得力がある。
・「性善説への過剰な期待が起こる。相手を疑ったり、自分にとってプラスになるものではないかもしれないという可能性を、その都度吟味しながら付き合うことは実に消耗することだからだ」
「政治の世界は理性と性善説を建前とするように構築されていながら、運営そのものは本能とむき出しの欲求でなされている。そのアーキテクチャがサバイバルのルールを独特なものにしている。そう遠くない将来、“あの時代は民主主義という時代遅れの制度が是とされていたんだよ”と語られる日がくるのかもしれない」。
・「人は自ら決めることにしんどさと面倒くささを感じていて、誰かに決めてもらった方が楽だと、本心では思っている。占い師や宗教家に類する人は、脳のこの性質を利用している」
「誰かに決めてもらうとか制約があることを心地よく思うのには、メリットが多い。ヒトは本来、できるだけ不自由でありたいと望んでいる。みずから進んで制約のある状況を選び、檻に入りたがる。むしろ制約がないと不安を感じ、不快感にさいなまされるはずだ。誰もが本心では、誰かに意思決定を委ねたいと思っている。ほしいのは自由ではなくて、自分が決めているという実感だけだ。そしてできれば責任は負いたくない。人間は、本質的には自由を回避していながら、それでも自由を求め続けるという葛藤状態のまま生きている」。
・「人間には、あいまいさをそのまま保持しておくだけの知力は、努力なしにひとりでに備わることはないだろう。ほとんどの人は意識的にこれを鍛えようとはしてはいないし、そんな人がもしいたとしても、暗黙の共通理解を逸脱し、ルールを犯そうとする破戒者として、多くの人の攻撃を受け、排除されてしまうだろう」
「自分の頭で考えるのが苦手な遺伝子型が存在することを示唆する研究がある。この遺伝子の脳は、自分の拠って立つ思考の型やその基盤を一度決めてしまうと、それ自体を疑うことにかなりのエネルギーを使うことになり負担をともなうので、それ以外の立場からの視点を考慮することが困難になってしまう。ましてや是々非々、といった物の見方をすることには相当な苦痛を伴うことだろう」。
・「前頭前野には、良心や倫理の感覚を司っているとされる領域がある。これは前頭前皮質の一部に当たる場所で、内側前頭前皮質という。倫理的に正しい行動をすれば活性化され、快楽が得られる仕組みになっているようだ。
“正しさ”に反する行いをした場合には逆に、ストレスを生じて苦痛を感じさせる。誰が見ていなくても、悪いことをするとうしろめたさを感じるものだが、それがこの苦痛だと考えてよいだろう。
これだけ書くと、人間の行動を“正しい”側に持って行こうと制御する素晴らしいシステムであると捉える人が多いかもしれない。が、実際の運用上はそうなっているとも限らないのがやっかいなところだ。この良心の領域は、自分が“正しさ”に反する行いをした場合だけでなく、自分ではない誰かが“正しさ”に反する行いをした場合にも苦痛を感じさせ、それを解消しようと時には攻撃的な行動を取らせたりもする。
つまり、正しさを逸脱した人物に対して制裁を加えたいという欲求が生じるのだ。“正義のためなら誰かを傷つけてもよい”という、よく考えれば矛盾した思考の源泉の一つがここにあるといってよいだろう」
「“正義の味方”たちは、正義を執行する快楽に飢えていて、みんなの正義、みんなのルールが守られない事例をいつも探していて、冷静な言葉も倫理的な思考もこの人たちを止めることは難しい。遮ろうとする者に対しては、いかにそれが理性的であったとしても、むしろそれだからこそ、正義の鉄拳を寄ってたかってふるいたがるものであるから、慎重に扱う必要があるだろう」。
・「結婚して12年が過ぎたいま思うことは、いかに血のつながりがあったとしても折り合いの悪い人とは距離を取り、自分の領域を尊重してくれる人と過ごすことがどれほど大事か、ということだ」
「20世紀の経済学を宗教のように信じ、合理性に基づく関係にだけしか価値がないと言い切ることができる人は、もしかしたら仕事はできるかもしれない。けれど、結婚はそうではない。欧米諸国での離婚率が高く、日本も3割を超える人が婚姻関係を解消するというのは、巷間、主に高齢の男性たちが主張するような女性の社会的進出が根本要因なのではなく、双方が経済合理性だけを求めて結ぶ親密な人間関係というのは成立しえないという、単純な事実の社会的実証に他ならない。私の夫は経済力があるタイプとは言えない。家事のできる人でもない。けれども経済合理性では説明のつかない人間的な余裕という点では圧倒的だ。しかもそれは相手構わず発揮されるものではない。こういう相手とでなければ、私もそもそも結婚には向かない人間であっただろう」
「現代社会における一定数の国々では一夫一婦制が原則とされ、そのルールを守ることが倫理的に正しいと見なされている。しかし、人間の脳は一夫一婦制に完全対応してはいない。多夫多妻、一夫多妻、一妻多夫などの形態をとり得るし、離別、死別すれば再び別のパートナーを持つことが可能である」。
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評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。