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「令和5年のみたままつり」(日比恆明)

【特別リポート】
「令和5年のみたままつり」

日比恆明氏(弁理士)

 何時ものように暑い夏になりましたが、今年は梅雨が無く、6月に入って直ぐに猛暑となりました。7月にはもう熱帯夜となって寝苦しい毎日が続いています。

 暑さで寝苦しく、身体がグッタリするだけならまだ幸せです。ウクライナでは熱波の他に砲弾、ミサイル、ドローンが飛んできて、命が脅かされています。その昔、社会党の土井たか子党首は「国際間の問題は話合いで解決しましょう」と理想を述べられていました。

しかし、ウクライナ戦争は話合いで解決するような生易しいものではなくなっており、どんどん泥沼化しています。国土が隣国と接しているヨーロッパ、北欧では、国境線は数千年前から国と国との戦力差により変動していました。国土を獲得(占領)するには戦争という物理的な手段でなくては決着しないのです。そんな歴史を背負っている現地の人達からしたら国際問題が話合いで解決できる、などという戯言は誰も信じていないでしょう。

国際間の問題は話合いで解決できる、と土井党首は信じていたようですが、当時の日本の社会情勢からするとその甘言を受け入れていたようです。日本は島国のため外国勢力が侵攻することは永久にあり得ず、話合いで国際協調ができるものだと多くの国民は錯覚していたからでした。

しかし、最近は北朝鮮からミサイルやロケットが発射されるようになり、島国だから安心できることは無くなってきました。さらに、中国は台湾に侵攻する兆候も見られるようにあり、話合いどころではなくなってきました。

 さて、今年も7月13日に靖國神社の「みたままつり」に出掛け、境内で見聞したことを報告します。

   
                   写真1

 写真1は、大鳥居の方向に向かって靖国神社に上がる坂道を見上げたものです。この光景をご覧になって「今年のお祭りは変わった」と判断した方は何度かみたままつりに出掛けられた経験をお持ちでしょう。

 写真2は、昨年同じ位置から撮影したものです。両者を比較すると、今年は大型の奉納提灯の足場が坂道にまで延長していることが判ります。昨年までは、奉納提灯の足場は大鳥居から始まっていたのですが、今年は坂道まで延びたのです。その理由は、奉納提灯を吊り下げる場所が少なくなってきたからです。従来、参道の両側には足場を仮設して奉納提灯を吊り下げでいましたが、今年は休憩所付近の参道には足場を設置しなかったのです。そのため、設置しなかった分の足場が坂道に押し出されたのでした。奉納された提灯の数は昨年と変わらないため、足場の数は同じなのだそうです。休憩所付近の参道に提灯を吊り下げなかったのは、この付近の外苑を飲食のために開放したからでした。

 

   
                   写真2

 

 今年の参拝者数は15万8千人で、昨年の4万8千人を遙にしのいでいます(神社側発表による)。参拝者が急激に増えたのは、第一にコロナウイルスが5類感染症に分類され、外出が緩和されたからでしょう。感染のおそれが薄れたため、多少の人混みがあっても大丈夫と外遊びに出掛ける人が増えたのです。

昨年のみたままつりは露店の出店は禁止で、盆踊りも無い寂しいもので、更に雨に降られてさんざんなものでした。しかし、逆に考えると、昨年のみたままつりに来られた方は戦没者を慰霊するために参拝された本物の参拝者であったと言えます。すると、今年と昨年の参拝者数の差である11万人は、みたままつりを単なる夏祭と考えた人達ではないでしょうか。

 今年の参拝者(と言えるかどうか疑問ですが、とにかく靖国神社に来た人)の特徴では、外国観光客が目立っていました。もしかすると、みたままつりは外人用の観光案内に掲載されているのかもしれません。また、小学校入学前の幼児を連れた家族連れが目立っていました。幼児に夏の夜の思い出を作るために来社されたのでしょう。以前は目立って多かった女子高校生は激減していました。飲食の露店や見せ物小屋などの出店が無く、彼女たちにとっての楽しみが無くなったからでしょう。

   
                   写真3

   
                   写真4

 例年、神門には七夕飾りが吊り下げられます。飾りは宮城県護国神社から奉納され、みたままつりが終わったなら仙台に戻され、8月から開催される「仙台七夕まつり」に再度利用されるそうです。この飾りは「笹飾り」と呼ぶのだそうですが、その笹飾りでは上部にくす玉があり、くす玉の下に垂れ下げた複数の帯から成り立っていて、毎年ほぼ同じデザインでした。

しかし、今年の笹飾りでは、写真4のようにくす玉の下には紐につながれた小さな千羽鶴が下げられていました。かなり前にも千羽鶴の笹飾りが奉納されたこともあったようですが、私が千羽鶴を発見したのは今年が初めてです。細かな細工で綺麗でした。

   
                   写真5

 大型提灯には国会議員、県会議員などの政治家による献灯があります。今年は参政党による献灯も見かけられました。一昨年まで参政党は無名だったのですが、昨年の参議院選挙に出馬し、あれよあれよと言う間に議席を確保してしまいました。保守系とも右派とも評価されていますが、従来の政党とは全く違う方向に向かっているようです。

 さて、政治家による献灯は、例年神門に向かって左側の足場の2枠目と3枠目が定位置となっています。しかし、参政党は大鳥居前の坂道の位置に献灯していました。靖国神社の参道で、自民党が頭で参政党が尻尾のような全く反対の位置に献灯したことになります。参政党は、従来の政治家、政党と一緒にはなりたくない、という意思表示をしているかのようでした。

また、参政党の提灯には政党名、支部名を描いているものが多いのも特徴です。自民党などの議員では、提灯に個人名を描いていて、政党名を描いたものは見当たりません。参政党は発足して間もないため、政治家が少ないことからこのような措置をとったのでしょうか。

 大型提灯は有名無名のあらゆる人(会社)から献灯されているため、提灯を順番に眺めていくだけでも社会の潮流が分かって楽しいものです。今年目立ったのは、足場の2枠を一人で独占した人でした。これだけの数の同じ提灯がまとまって吊り下げられるのは珍しいでしょう。

 今年の献灯者数(社数)は9千2百人(社)だったそうです(神社側発表)。しかし、この数字は人数であって提灯の数ではありません。一人で複数の提灯を献灯する場合もあり、実際の提灯の数は3割か4割増しになっていると推測されます。大型提灯の献灯料は1張り1万2千円ですが、靖国神社のホームページによれば来年から2万円に値上げするそうです。諸物価の高騰により已むを得ないことでしょうが、来年に献灯される提灯の数には影響があるのではないかと心配しています。

   
                   写真6

   
                   写真7

 例年のように、内苑には奉納された雪洞が懸けられていました。著名な人からあまり有名で無い人までの雪洞ですが、順番に見ていくと楽しいものです。昨今はイラスト、漫画の奉納も多くなっていて、好みの図柄があるとスマホで撮影していく人もいます。

これだけ沢山の奉納雪洞があるので、神社は全ての雪洞を撮影し、ネット上で公開して欲しいものです。一年中、どこでも閲覧することができますが、著作権の問題があるので実現は難しいかと思われます。しかし、揮毫やイラストを神社に奉納(寄贈)したのですから、著作権も同時に奉納したとも考えられ、ネット上で公開しても奇怪しくはないでしょう。

   
                   写真8

   
                   写真9

 昨年は相撲業界から雪洞の奉納は無かったのですが、今年は揮毫の奉納がありました。話題となった平戸海、翔猿、王鵬などの力士の揮毫もみかけられました。しかし、力士達の揮毫は下手なのが特徴です。これには理由があり、モンゴル、東欧からの出身力士にとって漢字は異文化であって、書道を練習したことが無いからです。作家、漫画家、茶道の家元などは文字を書くことが日常生活の一部となっているため、この人達の揮毫には品格が見られます。相撲業界の雪洞の近くにはプロレスラーの雪洞も吊り下げられていました。プロレスラーの揮毫は相撲力士の揮毫よりも更に物凄いものでした。良く言えば「躍動感があって力強い墨跡」という表現になるのですが、文字というより「殴り書き」のようなものでした。これ以上の表現は名誉棄損になるので書けませんが。

   
                   写真10

  夕刻になって突然現れたのはデビ夫人でした。デビ夫人は毎年雪洞を奉納されてみえるのですが、本人が参拝される姿を見かけたのは今回が初めてです。

   
                   写真11

   
                   写真12

 昨年もそうでしたが、今年も露店の出店が禁止されました。浴衣を着て、歩きながら焼きトウモロシ、リンゴ飴、焼きソバなどを食べるようなことができなくなっていました。

 典型的な夏祭の風物詩である露店が無くなることを惜しむ人も多いかと思いますが、私はあまり悲しみません。みたままつりの本意は亡くなった英霊への追悼なのであり、飲食や散歩が目的ではないからです。靖国神社から露店が消滅するのは時代の潮流ではないでしょうか。

   
                   写真13

 露店が禁止された代わりにキッチンカーの出店が認められたようで、5台のキッチンカーが営業していました。キッチンカーであれば露店より衛生的で、周りを汚さないからと判断されたのかもしれません。どのような基準で5台が選ばれたのか不明ですが、借り切った外苑内には仮設の食事台や椅子などが配置され、少しあか抜けした雰囲気となっていました。この場所を借りた元締めがプランナーで、キッチンカーや椅子の配置、仮設の設備のデザインなどの企画を練ったのだと推測されました。今までのように雑多な露天商の寄り合いで、バラバラに営業を展開していた露店の風景とは違っていました。

   
                   写真14

 外苑の木陰では一時の涼風を求める参拝者達で賑わっていました。酒宴は禁止されているのですが、キッチンカーではビール類は販売しているためそれなりに楽しめるようです。要するに、適度にお酒を飲むのは構わないが、酒量が多くなる多人数での酒盛りはいけませんよ、ということのようです。

 この日、外苑のあちこちの樹木には、さりげなく風鈴が吊られていました。時々耳に入る音色で涼風を感じることができました。この風鈴の配置も外苑を借り切ったプランナーによる企画かと思われました。このような小さな心遣いが嬉しいのです。 

 休憩所の脇には本格的なかき氷店が開業していました。複数のかき氷機を備えて、色々な味を楽しめるようにしていました。しかし、お値段の方を見ると、千円から千五百円と極めてお高くなっていました。都内のかき氷専門店とほぼ同じ値段となっていました。どんな味がするのか確かめたいのですが、私には高すぎて試食はできませんでした。しかし、この出店しかかき氷は販売していないため、夕刻になると写真16のように長蛇の列ができていました。

   
                   写真15

   
                   写真16

 午後7時になると、能舞台では日本歌手協会の主催による奉納歌謡ショーが始まりました。このショーを楽しみにしている人は結構お見えになり、今年は4百人以上が能舞台前に集まっていました。
 今年の出演者は、右から合田道人、あべ静江、江河愛司、大津美子、田辺靖雄、原田直之、松原のぶえ、小沢あきことなります。合田道人、田辺靖雄、原田直之、あべ静江、松原のぶえは昨年も出演されましたが、大津美子は令和元年から4年ぶり、江河愛司と小沢あきこは今年初めての出演です。

   
                   写真17

   
                   写真18

松原のぶえは奉納歌謡ショーの常連になりつつあり、この日は「九段の母」「春待ちしぐれ」を歌ってくれました。声の伸びが良く、まだまだ期待できる歌手のようです。

   
                   写真19

常連の原田直之は「麦と兵隊」を歌ってくれました。以前は持ち歌の「相馬盆唄」が多かったのですが、最近はこの歌が多くなってきています。多分、この歌が歌える歌手がいなくなってしまったからでしょう。おん歳80歳になられたのですが、張りのある声が会場内にビンビン響いていました。

   
                   写真20

 久し振りに大津美子が出演され、「東京アンナ」と「ここに幸あり」を歌ってくれました。しかし、歌には昔のような艶やかさ全く無く、掠れた声となっていました。高い声が出せないようで、カサカサとしたような歌唱となっていました。本人は必死になって声を出しているつもりなのでしょうが、歌詞を追っ掛けていくのがやっと、という感じでした。何だか、素人がカラオケで歌っているような歌唱力なのです。足が弱ってみえるのか、舞台を歩くときは司会が手を引いていました。髪の量が多く、皺の少ない顔つきは往年のスターを感じさせるのですが、背が曲がり歩くのが辛そうな姿は何とも痛々しいものでした。

歌手という職業は死ぬまで舞台の上に立つのか、それとも加山雄三のように限界を悟ったならスッパリと活動を止めるかのどちらかでしょう。