増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第21回
熱く金属熱処理加工業を語る新世紀のものづくり企業 ㈱丸菱電子
~業界の常識から離れるほど事業の選択肢は大きく拡がる~
【会社紹介】
株式会社 丸菱電子
代 表 者: 南 直樹
設 立: 昭和49 年 8 月 5 日
従業員数: 48名
資 本 金: 3,000万円
事業内容: 金属熱処理加工
本社工場: 新潟県長岡市鉄工町1-2-10
特級技能士1名、1級技能士7 名、2級技能士18 名、技能士資格取得率100%(令和5年2月現在)
南 直樹 社長
金属熱処理加工業を社会にPR
日本の多くの中小製造業、特に今回の鋳鍛造の企業には不思議な癖がある。生真面目、実直に仕事をこなすが表に出ることは極力避ける。優れた技術、ノウハウがありながらもそれをあまりPRしたがらない。そして、専業主義であまりほかの業種に手を出さない。いわゆる事業を家業で行い体力が続くかぎり生真面目に経営をし続ける。
この謙虚な姿勢を美徳としている。と言うよりもこの姿勢のほうが市場で受けたのかも知れない。
これは日本の自動車産業、電機産業などが圧倒的な強さを誇り、系列取引、長期安定的取引がベースであった昭和の時代のなごりであろうが、今の時代は経営環境が大きく異なる。
スマホ、半導体の市場を見れば分かるように、日本の大手メーカ―自体も盤石ではなくなり、かつ中国企業、韓国企業などアジアの企業の追上げも激しい。
昭和の時代とは異なり、取り巻く経営環境は大きな変化を遂げたのだ。
これだけ大きな変化をしていると日本の中小製造業もこの変化に対応しなければならない。しかし、よく見ると時代を読み巧みに変化し、新しい時代に挑戦している企業がある。焼き入
れなどの金属熱処理加工業の㈱丸菱電子(本社・新潟県長岡市)の南直樹社長である。
まず、同社のホームページを見ていただければわかるが、熱処理業自体のPR姿勢がすごいのだ。会社のPRをしているよりも業界全体の代表している感がある。ものづくりの基盤を支える金属熱処理加工業を懸命に社会に向け発信している感がある。
南社長は、専業主義という枠にもこだわらない。過去にはみそを製造、販売していたし、今は塩の製造、販売にも挑戦している。
子会社でエンジニアリング会社の㈱橘技研は高周波焼き入れ装置やレーザー焼き入れ装置を製造、販売している工作機械メーカーである。
丸菱電子 本社の外観
東日本地域では初めてレーザー焼き入れ機を導入
そして、創業50周年を機に近く社長の座も退きたいとも語る。もうほとんど仕事や権限は社員に教え、譲ったので、人生で次のステージに移りたいとも語る。これも大田区あたりの一生懸命に現場の仕事をやり切る普通の町工場の経営者から見ると信じられない話である。
私が、「この業界のイメージが若者にあまり良くないのは〝焼き入れ〟という単語ではないだろうか。これをほかのもう少しかっこいい言葉に置き換えたらどうでしょうか」と提案した。おそらく普通の町工場の経営者だと、何を素人が失礼な、と怒り出すところだが、「なるほど」とうなずく、この柔軟性がすごいと思う。
先程、みそや塩の製造、販売を手掛けていたと述べたが、南社長がこれを始めたきっかけはスローフードの分野に興味を持ったからである。そしてここでもただでは起きず、このことがきっかけで10年ほど前から本社の第2工場はほとんどフライパン工場で月に約5万個生産している。新規分野の興味は絶えず本業への還元を考えながら動いている。
この異色ともいえるものづくり企業の㈱丸菱電子は、1974年彼の父・南豊實社長による創業で、南社長は2代目で2012年に引き継いでいる。父親が38年、南社長が11年、社長として同社の経営をやっていることになる。
先代が始めたのが高周波焼き入れであり、南社長はこれにレーザー焼き入れを加えている。きっかけはある2017年秋の工作機械の展示会を見学していたところ、ドイツの企業がレー
ザー焼き入れ機を出展していた。早速その場で商談し導入した。操作方法は丁寧にこの会社から教わった。東日本地域では初めての導入であった。
今日の事業継承の難しさは、全体のマーケットが縮小するなかでただ親の技術を習得し事業を引き継ぐだけでは経営は難しく、このような新しい技術の導入、新しい顧客や新しい分野への進出など何かをプラスしなければならないからだ。
そのためには、異業種交流や他地域との交流など、これまでの業界での付合いのほかに新しい動きをしなければならないところが、これまでの動きと異なり厳しいのだ。
顧客の50%は県外のユーザー
㈱丸菱電子は、現在は大きく本社工場でレーザー焼き入れを行い、刈羽工場で従来の高周波焼き入れを行っている。レーザー焼き入れとは、高エネルギー密度のレーザー光を、鋼部品の
表面に照射し、急速に加熱させ、内部への熱伝導により、マルテンサイト組織(Fe-C 系合金〔鋼や 鋳鉄〕を安定したオーステナイトから急冷することによって得られる組織である)へと変
態し、表面硬化させる技術である。
冷却速度が速く、焼きが入りやすいため安価な機械用構造炭素鋼でも高周波焼き入れと同等の高い高度が得やすい。このレーザー焼き入れ機は自動化しやすく、電力代が10分の1と効率
的であるものの、作業時に最大1ミリ程度で深く入れないため大規模な焼き入れは苦手としており、極小範囲の焼き入れを得意としている。電力代が大きく跳ね上がった今日、注目を集め
ている焼き入れ方法である。
先に述べたが、同社はこのレーザー焼き入れ機を東日本地域で初めて導入し、かつこれを改良し新しいレーザー焼き入れ機を子会社の㈱橘技研から販売している。
ここで注目すべきなのが同社の販路である。焼き入れというのは中間加工であるから近隣地域がほとんどかと思ったら、近隣地域が50%、あとの50%は県外であり、中には九州や関西地
域もあるという。これは、航空機、宇宙、防衛などの重要部品の場合機密を守るため近隣地域を避けるという事情がある。確かに、近隣だと受注先が機密事項は守っていても情報と言うの
は知らず知らずのうちに漏れるものである。
逆に言えば同社には多くの重要部品(機密情報)が持ち込まれている訳である。確かに、大田区や東大阪だと多くの金属熱処理加工業者が集積していて発注には極めて都合が良い。しか
し、最先端の機密情報が守れるのかと言えば少し心配になる。その点、大都市から少し離れた長岡の同社だと安心度合いが大きいと言う訳である。この重要部品の処理が全体の20%あり、付加価値が高く同社の収益源の一つとなっている。
丸菱電子 刈羽工場の外観
本社工場にて
外国人材のフル活用
さて、この金属熱処理加工の最大の課題は人が集まらないことである。
確かに、この猛暑の中で冷房も入れられない工場の作業場は過酷だ。私が焼き入れという業界用語を変えたほうが良いというのもこのためだ。人材確保で比較的都市部よりは有利と思え
る長岡でもどうにも集まらない。
そこで南社長が考えたのが外国人労働者の活用である。現在同社ではインドネシア人を9人、カンボジア人を3人採用している。社員総数60人の社員だから2割は外国人社員ということに
なる。
しかし、ここで止まらないのが南社長、将来カンボジアに熱処理加工の学校をつくり人材を育成したいという。と言うのも、現在同社は塩の製造を現地で進めている。この事業があるから
ついでに人材育成も行おうと言う訳だ。確かに将来を考えるともはや今まで通り現場の社員を日本で確保することは困難になるのかも知れない。
そしてその次はカンボジアに工場進出を考えたいと語る。確かにカンボジアは町工場、中小の製造業が少ない。同国に進出したミネべアやデンソーなどもタイなどから部品を入れてアッ
センブリーを行っている。カンボジア政府としてもこのような裾野産業はぜひとも拡げて行きたいと考えている。南社長はどうもここら辺を社長退任後のメインに考えているようである。
現在、金属熱処理加工業はマーケットの縮小、経営者の高齢化で右肩下がりの状況に歯止めがかからない状況にある。ただ、この工程は海外からの輸入で賄うわけにはいかない。かつ、ど
の業種でも必要な工程である。
「この事業は残存者利益が見込めますね」と私が聞いた時に南社長はニヤリと笑った。現在の主たるユーザー500社相手に何とか維持さえしておけばこれからどんどん落ちこぼれが出て来る。それを一つひとつ拾っていける事業の拡大や高精度化などに極めて優位な経営環境にある。幸い、都市部に立地する工場と異なり求人は依然として厳しいものの土地はいくらでもある。
しかも、航空、宇宙、工作機械、医療、自動車、電子と金属熱処理加工の存在意義はますます重要になって来ている。重要部品の相談は引きも切らない。気がついて見ると㈱丸菱電子は願ってもない好位置にある。これまでのたゆまない努力が実った。まさに、待てば海路の日和あり、である。
レーザー焼き入れの機械
フライパンを月に5 万~ 6 万個生産・納品している
*瓢箪から駒が出る
窮すれば通ず、という言葉がある。私のかつての職場である神奈川県庁でまさにピタリと同じ体験をした。商工部工業貿易課技術振興係に内示を受けた時、友人から「あそこは大変なとこ
ろだぞ。身体に気をつけたほうがいいぞ」というアドバイスを受けた。
実際に着任してみると前任者が、「今年は終わりましたが、来年から技術開発補助金の受付から交付決定の時期までは大変忙しく土日もありませんから」と言う。何が大変かと言えば、当時は技術レベルの高い企業からの申請が少なく、多くの補助金申請書を県の職員が書いてあげていたのだ。その次に大変なのが財務分析である。補助事業を遂行できるだけの財務的な基盤があるかどうか。これも「中小企業の財務分析」という分厚い冊子をいただき、良く勉強しておくようにとのアドバイスを受けた。
私は目の前が真っ暗になった。元々人間が緻密でなくとても2つともできそうもないのだ。そこで、一計を案じた。たまたま、発明協会という団体も担当していたのでそこの常務理事に依頼し、県内で優れた特許を持っている中小企業を200社リストアップしてもらった。
そこに片っ端から電話をかけ「神奈川県頭脳センター構想説明会」を開催するから出てくれないか」という依頼を行った。これは「技術開発補助金制度説明会」では集まらないと思った
からである。事実この説明会では「うちは県庁から補助金をもらってまで技術開発を行うほど落ちぶれてはいない」という声まで現れた。当時は民間企業のレベルも高いものであった。こ
のなかに補助金に慣れている企業があり、補助器申請書の見本を作ってもらった。以後これを申請する企業に配布した。
この説明会は、中味はたいしたことはなかったが隣に良い企業が集まっているということで恒常的に開催して欲しいという意見が多数出され、「神奈川県研究開発企業連絡会議(RAD
OC)」がスタートする。そして、これが民活法第1号の「かながわサイエンスパーク(KSP)」のプロジェクトになって行く。わずか40社しか集まっていただけなかったが、この中でアルプス技研、図研、レーザーテックなど3社のプライム市場企業、10数社の上場企業へと成長する。
次に財務分析であるが、これはまず商工部の出先機関である商工指導センターに依頼に行った。ここは中小企業診断士が多数おり訳なくできると思ったからだ。ここでけんもほろろに断
られる。どうもこの補助事業を始めるにあたり仲が悪くなったようなのだ。そこで、今度はダメ元で横浜市経済局に持ち込んだ。こちらはなんとかやってくれると言うのだ。これも後で分かったことだが、当時神奈川県と横浜市には縄張りがあり、県の縄張りの企業の情報が入ると思ったからのようである。
南社長の元気の良い発言、行動、戦略性を拝見し自分の仕事を合理化するために無我夢中で突っ走り、結果として当時最も元気な研究開発型企業の社長さん方と知り合い、今日の人生の元となった昔の自分を思い出した。現在、日本経済で必要なのはこの元気なのだ。どうも最近は、この大人びた冷静さが弱点なのかも知れない。