増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第22回
ハイテクとローテクを 両輪で運び込む ㈱ディック ソリューション エンジニアリング
~気配りと演歌で情報通信、ハイテクをこなす新しいタイプの老舗企業~
【会社紹介】
株式会社 ディック ソリューション エンジニアリング
代 表 者: 代表取締役 会長 原田 隆之 代表取締役 執行役員社長 原田 明
設 立: 昭和59 年(1984 年) 9 月
従業員数: 560名(2023 年4 月現在)
資 本 金: 1億円
売 上 金: 41億円 (2022 年12 月期)
事業内容: 金属熱処理加工
グループ会社: 株式会社共立模型(東京都大田区南六郷)
原田隆之 会長
5つの課長を兼務する
しかし、不思議なインタビューであった。ネットワークシステム、テレビ放送システム、再生可能エネルギーシステムなど、まさに最先端のシステム開発を行う㈱ディック ソリューショ
ン エンジニアリング(本社・東京都港区、原田明社長)の創業者である原田隆之会長の話をお聞きしていると、一見本当にどこにでもある中小企業の親父さんの話になるから面喰らって
しまう。3時間に及んだインタビューであったが、ついに最先端のシステム開発企業の技術的課題は聞き出せ得なかった。
これは逆に言えば、最先端のシステム開発に精通しているから会社の経営ができる訳ではなく、会社経営とは世の流れの潮流を読むことが必要であることを教えられた。600人規模の
技術者集団を束ねるノウハウは何なのか。今回じっくり考えさせられた。
情報通信というハイテクと、電気設備というローテクを一体で運営するこんな手品のような会社の運営ができるのは、どうも原田会長の人生を追いかける必要がありそうである。
原田会長は大学を卒業すると、ある大手のゼネコンに就職する。仕事は本社の人事とか総務であった。営業や現場などいろいろな仕事をやりたかったが、大きな組織でそういうことにはならなかった。どうも人材の採用とその配置が抜群にうまく重宝がられたようである。
まあ仕方がないか、とそのままこの大手のゼネコンに勤めていたらおそらく少なくとも役員ぐらいにはなれたと思われるが、そうすると現在の㈱ディックソリューションエンジニアリング
は存在していない。そこで9年目に人生の舞台を変えようと製造業のある中小企業に転職する。
ここでも人材の採用と配置が抜群にうまいということで人事課長からスタートする。この会社でも原田会長は能力を遺憾なく発揮する。経理課長が定年になると兼務で経理課長を、その
うちに資材課長も、営業課長も、合計で5つの課長を兼務で行うことになる。
普通は、会社の重要な5つの部署の課長を兼ねるなんてことはあり得ないが、中小企業だから可能となる。おそらくこの会社の社長から原田会長は相当な信頼を得ていたものと思われる。
そして、この5つの課長を兼務するなかで、経理課長では銀行の付合い方、端的に言えばお金のうまい借り方のノウハウを学ぶ。営業課長ではその後独立して仕事を始める時の営業セン
スを学び、資材課長では部品や副資材の調達先選びのノウハウを学ぶ。この会社はまさに中小企業大学校で原田会長が技術以外の経営のすべてを学んだ。
まったく属人的な地方展開
この会社での貴重な体験を経て1984年にこの会社の原田軍団を引き連れて㈱ディック電子を資本金300万円で創業する。最初の仕事は、前の会社時代にやっていた組立配線の仕事の延長で、F電子、Y電機、G工業、I通信等々のお世話になることができた。
そして不思議なことに、この会社はそれから4年後のまだ会社の基礎も固まらない1987年に札幌市に出張所を開設している。原田会長にどうしてかなのかとお聞きすると、ある社員
が「もう会社を辞めて札幌に帰りたい」と言う。優秀な社員だったので辞めさせるのはもったいない。それなら札幌に仕事を作ろうと始めたのが札幌出張所、現在の北海道支店である。
しかし、東京の無名の中小企業にそんなすぐに札幌で仕事が見つかる訳ではないが、北海道庁や札幌市役所を回って地元企業のリストをもらい、その中の某1社に当たりをつけて訪問し
たら、一発で拾われた。そんな偶然なんてそうあるものではない。ラッキーなスタートを切れた。
以後、同社は関東地区以外に現在全国に10ヶ所の支店、事務所、営業所、技術センター、出張所を配置しているが、どちらかと言えばそこに大きなマーケットがあるから出るとういより
は、こんな属人的な演歌的な進出なのである。
その証拠に、次の地方展開が1990年の鹿児島市、1993年に石川県小松市、1996年に盛岡市と出張所開設が続く。いわゆる普通の会社の地方展開で名古屋市に名古屋センターを
開設するのが2009年であるから、徹底して属人的展開である。
ふつうにマーケットが大きいから、新たなユーザーが見込めるから進出するという視点から離れ、社員の事情、その土地との縁、企業間の関係から全国展開を行う。確かにこのほうが事業の展開方式としては確実で効率が良いのかも知れない。
目を見張る人材育成システム
㈱ディックソリューションエンジニアリングの特殊性はそれだけではない。会社を始めた時に行っていた組立配線という祖業の電気設備の仕事と、その後新たに手掛けた情報通信の仕事
を事業の両輪として取り組んでいる。
私は今まで多くの成長企業を見てきたが、大手電機メーカーを除くと、こんなケースはあまり見たことがない。あっても子会社にソフト会社を持つ程度である。両方の事業を行い、お互
いに発展させほぼ同規模の売上高というのは、もうこれは芸術的と言っても良い。
そして、これは同社のリスク管理ともなっている。ネットワークやサーバーセキュリティシステムという情報通信の分野の仕事は市場も大きく、成長性が見込めるが、モノの技術革新の
動きが激しい分野で同社と言えどもいつ置いていかれるか分からない世界である。一方、電気設備の仕事は情報通信に比べて多少利益率は低いと思われるが、どっこい今は同業他社が縮小、
撤退する中で、高い利益率となっている。いわゆる残存者利益であり、よほどのことがない限り将来も確実に売上げが見込める世界である。
原田会長に「2つの部門間の人事の交流はありますか」との質問に、「ほとんどありません。政府は新しい成長分野へのリスキリングと簡単に言いますが、実際には難しい。情報通信の世
界はそれほど簡単な世界ではないですよ」と貴重な意見をいただいた。
だから、同社が特に力を入れているのが人材育成である。変化の激しい時代に対応するには人材育成が不可欠であるからだ。
まず、研修施設だが、本社、羽田ビル、府中ビル、蔵前ビルと4ヶ所、研修には階層別研修、技術教育研修、資格取得研修の3つがある。
階層別研修には新入社員研修と中途採用社員研修がある。新入社員研修は採用された年からその後4年間、フォロー研修を行っている。技術教育研修は、ネットワーク・サーバー技術、電気技術、事務系の専門スタッフ研修がある。資格取得研修は、ネットワーク、情報処理、OS、電気技術、無線技術などの資格を取得するための研修である。
本社の「アカデメイア」という名の研修室には、高度情報処理装置の高額な装置がある。この装置にはサーバー、ルーター、ファイヤウォールなどという難しい言葉が並ぶ。原田会長によ
ると、この装置を入れてから人材育成の効率が格段に上がったという。この最先端分野の人材育成にはそれなりの専用設備も不可欠なのである。
目を見張る抜群のフォローアップ能力
人材の採用が得意と話をする原田会長だが、確かにそうで、この時期に地方の工業高校や専門学校から、それも全国からくまなく新卒採用している。これは大変なことである。
現在、地方でも人手不足で、就職先はいくらでもあるから、多くの今の若者は都会に出たがらない。多くの企業が地方採用に苦労するなか、まさに同社は苦もなく確保している。これは
採用方法がたくみなだけでなく、まさに採用してからのフォローがしっかりしていて学校や両親に信頼を得ていることにほかならない。
今年は、27人の新卒採用のうち5人が外国人留学生からの採用である。内訳は、中国人が3人、ベトナム人とミャンマー人がそれぞれ1人である。今後は外国人材が戦力になりそうであ
る。びっくりしたのは採用した社員が工学部情報工学科が多いと思いきや、いろんな学部や学科の卒業生が多いのだ。
同社は、「誰でもエンジニアになれる社員のための会社です」をキャッチフレーズにしている。先程述べた研修施設で一から学び、トレーニングを先輩の指導により仕事を覚え込む実学の会社なのだ。
これは営業にも言える。原田会長らが同社を創業した時、最大のご縁となった東芝府中工場、そして前述のとおり必死に営業して得た数社からの仕事を中心にどんどん領域を拡げている。
情報通信というハイテク分野と電気設備と言うローテク分野を一体で運営するかたちになっている。
NECグループを軸とした情報通信分野に足を踏み入れたのは創業10年近くになってからであり、それは電気設備分野だけでは将来に不安を感じたからである。
この分野においてもフォローアップがしっかりしていることにほかならない。付加価値の高いネットワークシステム、テレビ放送システムなど情報通信の仕事を手がけたというよりは、NECや東芝の仕事を人間関係、情報通信の技術の進展をうまくフォローし、たぐり寄せてきたことにほかならない。それも40年間のフォローアップであるからこれは大変なことである。
原田会長の社員向けの会長講話の原稿のなかで、同社の過去28年間の部門別売上高の推移が表示されている。売上高のうち最初はほとんど電気設備の分野だったものが、現在では40億円
の売上高のうち25億円程度は情報通信の分野である。これはいかに時間をかけて大きなユーザーであるNECや東芝の仕事を、人間関係をフォローし事業を進化、拡大させて来たかを物語っ
ている。
*今時日本企業のパワハラ事情
︱数が少ないがゆえに増殖する
原田会長から同社のパワハラ事案についてお話をお聞きした。普通、会社のインタビューで自社のこのような恥になるような話はしないものだが、このことにおいても原田会長の率直さを
感じた。
そこで、今時の日本企業のパワハラ事情を少し述べさせていただくと、まず昔とは時代の環境ががらりと変わっているのだ。昔は今と比べると格段にパワハラ上司が多かった。
しかし、それに戦い対抗する社員も多かった。パワハラ上司が、帰宅途中の夜道で数人の部下に襲われ袋叩きにされた。忘年会で、社長の面前でパワハラ上司をぶんなぐってから辞表を
書いて会社を辞めた。そんなつわものが沢山いた。
成長する日本経済は実は若手社員も少々荒っぽく元気がよかった。またこれがパワハラ上司への牽制球ともなっていた。しかし、私も大学で教鞭を執りつくづく感じたのだが、今の若者は優しくて、上品、波風など立てたくない。すべてを穏便に済ませたい。
要するに今の日本企業はパワハラ上司に牽制球が利かない状況となる。多くの社員はこの時代のよく流れを読んでいて優しくなり、以前とは桁違いに優しく部下を扱う。
しかし、いつの世にも時代遅れの人間がいる。この時代遅れのパワハラ上司が行う事件だからやっかいなのである。なにしろパワハラ上司の上司もまたスマートで事を荒立てたくないか
ら、どうしても見て見ないふりをする。当初はそれほどでなかった当人のパワハラもブレーキが利かずどんどん増殖し、しまいには取返しのつかない規模となる。
会社には、パワハラの相談室があるのでないか、と言われるかも知れないが、そんなことではなかなか解決しない。いつの間にか日本人が優しくなり、弱くなり、戦わなくなっている。
このことを前提にこの問題を組み立てねばならない。
おそらく500人に1人ぐらいしかいないと思われる時代遅れのパワハラ上司をいかに発生させなくするか。いかに早く発見するか。そしていかに早く解決するか。実は今や人知れずほ
とんどの日本企業が取り組んでいる大問題なのである。