増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第24回
逆行船ビジネスで事業を活性化する老舗企業 ㈱大日ハンソー
~街工場の今後の新たな生き方、方向性を示し、具体的行動に移す~
【会社紹介】
株式会社 大日ハンソー
代 表 者: 代表取締役 平見 剛
創 業: 昭和34 年4 月
設 立: 昭和36 年2 月
資 本 金 : 3,000万円
事業内容 : コンベヤー部品の企画設計製造販売、PC製パイプの企画設計販売、
昇降機用ベルトの販売、定量供給装置企画設計製造販売、その他関連商品の卸販売など
グループ会社 : グランソル株式会社
平見 剛 社長
強力な外国人部隊
農協、農場の穀物乾燥設備(カントリーエレベータ)の穀物搬送などで使用されるバケットエレベーター、スクリューコンベアなどを製造、販売する(株)大日ハンソー(本社大阪市平野区、平見剛社長)は社員15人のうち6人が外国人社員である。なんと外国人社員比率が40%である。それも、タイ人、ベトナム人、フイリピン人、キルギス人、シリア人と多彩である。
こう言うと工場現場に人材が日本人では集まりにくいので外国人社員でカバーしていると思いがちだがそうではない。同社の外国人社員を営業事務、製造、設計、研究開発分野など主要な部門に配置しているのだ。オーバーに言えば、この会社は外国人社員がいなければ運営できないほどになっている。もう一つ同社のすごいところは、設計、研究開発部門に4人の社員を配置していることだ。私は取材の中で平見社長が何度も設計、開発と言われるからてっきり現場の人間が時間を見つけて企画、設計、開発を行なっていると思っていた。
とこらがそうではなく研究開発室があるのだ。「少し無理をしていますけどね」と言いながらもともかく新しい研究開発を行い、市場に送り出すことに腐心している。
現在バケットエレベーターの搬送は空気で搬送するのが主流になりつつある。どの会社もこの方向に向うが同社は逆の道を考えた。いわゆる逆行船ビジネスである。この空気搬送では必ず配管内に付着物が出る。同社はこのゴミ取り機を開発することを考えた。そしてこのゴミ取り機の開発担当がシリア人社員のアサドさんである。この製品の説明を彼に聞いたが普通の町工場では手掛けないくらいのかなり高度なシステムなのだ。
彼は、シリアの大学の工学部を卒業し、日本の立命館大学の大学院に留学し機械工学を学んだバリバリのエンジニアである。もちろん日本語も堪能である。同社はこんな人材を探し出し活用する。確かに、大変失礼な話だが、同じ経歴の日本人社員を採用するのは難しいのかも知れない。しかし、外国人だと可能性が高まる。他の外国人社員も同様である。工場生産現場の外国人社員はDX化に取り組むなど皆会社の中核部門での活用である。
㈱大日ハンソーの工場
絶えず変化を続けた平見家三代の経営者
同社の応接室に不思議な双六図がある。小林新聞社昭和12年1月元旦発行の謹賀新年「平野著名商店双六」である。ここには当時の平野の町の蕎麦屋、洋服屋、銀行など40店ばかりの商店がきれいな絵入りで実に丁寧に紹介されている。
この双六のなかで中央に位置する「白米は大日」の見出しで会社名は大日平野米穀所とある。同じ大日なので平見社長に「この会社は親戚の会社なのですか」とお聞きしたらそうではなく、同社は米の卸商がスタートであると言う。
将来街の米屋は無くなる危機感平見 剛社長から別の事業を始めようと樹脂の成形会社を立ち上げた、1959年に平見社長の祖父にあたる平見一雄氏による大日プラスチック工業所の創業である。
だが経営は苦しく、メーカーとしてモノを発信しなければ儲からないと模索しているところ、米屋で使う搬送装置の掃除時にケガをする事故が度々起こる。何とかこのケガを防ぐ手立てはないものかと考えたものが同社の主製品であるライケット源流となる製品である。
そして、1970年に搬送分野に仕事を特化し㈱大日搬送機具製作所に社名変更している。2代目の平見社長の父にあたる平見昭夫氏が継いだのは1988年である。彼は販路の拡大と製品をプラスチック製だけでなく金属製品の分野に進出した。
プラスチックではどうしても摩耗粉が飛び散り穀物に混じることがあるからそうならないように金属の製品を作ることにした。
3代目である平見社長が継いだのが2007年である。彼は研究開発を重視しこれを充実させるため2009年に第2工場を設置している。彼の行ったことは業務の多領域化である。いろいろな着眼点から新しい製品を創り出す、必要な材料の開発も行う。また今までのように搬送分野だけでなくそれに関連した分野にどんどん進出している。
㈱大日ハンソー本社受付横に飾られている双六
個性的な自社製品
田中紙業(株)の主要な取引先の50社を見ると医薬品メーカー、自動車部品メーカー、食品メーカー、玩具メーカー、電気機器メーカーと実に幅広い業種となっている。まさに提案営業、企画、設計、製造までを一貫して行うかたわら、どこにでも営業に出かけ、その数500社へと取引先の幅を広げたことが窺うかがえる。
私が、インタビューで田中社長を悩ませたことがある。それは製品の単価をどうやって決めているかと言う話だ。要するに単価の決め方だ。しかしこれだけ多業種だと、まず業種により製品の事情が異なり容易に答えられない。また、製品により注文数も大きく異なるから一口に単価の決め方と言われても困ってしまう。
ただ言えることは、同社は加工度の高いものを受注し高付加価値で販売しているということだ。ダンボールケースという言わば汎用品にいかに付加価値を付けるのか、同社はこのことに涙ぐましい努力をして来た歴史であると言える。
このことを端的に示しているのが同社の自社開発製品である。普通のダンボール会社は依頼されたダンボールケースを作るだけで自社の新製品、自社開発製品などはあまり多くはない。それは作るのはともかく販売するのが大変だからだ。ところが同社はどんどん自社開発製品を販売して売っている。顧客に寄り添う経営姿勢のほかにここがもうひとつの特徴である。
その代表的な商品がダンボール製スツール「SPボックス」とダンボール製「ネコちぐら」である。SPボックスはダンボールの組立て式のイスで、全体にユーザーの広告宣伝が入るようになっている。この製品は極めて特殊なもので実用新案も取っている。
この製品の最初の購入者が大手飲料メーカーであったことも幸いし、各社がこぞって新製品販売のPRキャンペーンのプレミアムなどにSPボックスが選ばれた。2002年の販売であるが今でも売れている息の長い製品である。
ダンボール製「ネコちぐら」も、うならせる商品である。いわゆる猫小屋なのだが軽くてかっこ良いのである。値段も4000円と安い。猫はダンボールで爪を研ぐのが好きなので、ユーザーである猫にとっても大歓迎なのである。この製品は厚木市のふるさと納税の返礼品にも採用されている。点から新しい製品を創り出す、必要な材料の開発も行う。また今までのように搬送分野だけでなくそれに関連した分野にどんどん進出している。
エンドユーザーが多く市場分析が難しい
さて、同社のエンドユーザーは多分野に亘り、販売店も含め管理している企業数は何と1万社にも及ぶ。内訳は穀物乾燥の設備、飼料分野が40%、飲料食品分野が15%、化学薬品分野が
15%、肥料分野が10%、その他に環境分野や金属加工分野などもある。タイ、マレーシア、フイリピンなどへの輸出が売上の10%、ネット販売は売上が3%で今後はこちらを拡げて行く方針である。そのほかに商社機能を所持しておりこの売り上げが全体の売上の25%あり、関連商品であるベルトやバケットコンベヤなどを扱っている。
この、エンドユーザーが大変多く、かつその姿が見えていない状況は営業マンを置かなくて良い反面、常に市場分析の難しさに直面する。そしてユーザーに開発した新製品、新技術を周知させる機会にどうしても欠けがちになるのだ。今まで通りでやって行けばよいという保守的な発想で、問屋を通じて販売していると大きな成長は見込めない。
そこで、同社はFOOMAJAPAN、フードテックジャパン、粉体工業展などの展示会に出展し、最終ユーザーに新製品、新技術を展示して新しい販路開拓を図っている。また、平見社長が直接農協や食品会社などに出かけて市場ニーズを探っている。
今最終ユーザーの現場はどうなっているのか。その課題、問題点は何なのか。これをいち早く把握することが大事である。これは意外と難しい。直接ユーザーから要請や苦情が届きにくく、うっかりしているとあっと言う間に市場が変わって来る可能性がある。そのため、先に述べた各種展示会に出展するとともに、平見社長が機会を見ては現場に出かけその状況を把握することに努めている。
本格的に中央アジアビジネス支援事業を展開
同社は外国人社員が社員の40%であることは先に述べたが、この多彩な人的資源を活用して、現在中央アジアビジネスに取り組んでいる。
きっかけはキルギス出身のワリエワさんがそろそろ母国に帰りたいとの話が出たことからだ。平見社長は、「こんな優秀な社員を手放すのは惜しい。何か彼女がキルギスと日本を結んでできる仕事はないだろうか」と考えた。
とりあえず取り組んだのが日露通訳翻訳、つぎに日本企業が海外の販売先を探す支援だ、日本企業が本格的に取引をしていない中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、キルギスなど)にスポットを当てたことで、食品・家庭用品・ガス機器販売、飲食店の進出など多くの相談を受けるが、「ものづくりの会社がなんでこんなことをしているのか」と質問が常に投げかけられるため、本格的にビジネスマッチング及び輸出入を行う子会社グランソル㈱を2020年に設立した。
そのうちにキルギスの企業が日本の会社を見学したいという話が出てくる。年間何本も日本企業視察ツアーを実施している。中央アジアの商品や会社を日本に紹介するインバウンド事業と日本の技術、文化をこれらの国に紹介するアウトバウンド事業である。
文化体験旅行企画、サマースクールや語学留学斡旋、スタディトラベルも行っていく。すでに今年も何本かのキルギスからのビジネスツアーの予定が入っている。
キルギスは人口が680万人でこれは日本企業から見ると東南アジアのラオスに似ている。マーケットとしては小さいゆえに中小企業が進出し成功したからと言って後から大手企業が追いかけて来ないのだ。
ラオスでは、横須賀市の建設会社がオフィスビルの運営を、調布市の電子部品会社が太陽光発電所の運営を行っているが、これはまさに小さいマーケットゆえにできることである。同社が今後ビジネスマッチング支援を行う中小企業にとってこのラオス型のビジネス展開支援ができるわけである。
キルギス共和国の大統領府にて(キルギス人スタッフのワリエワさんと)
人の行く裏に道あり花の山
「人の行く裏に道あり花の山」―これほど平見社長にぴったりの言葉はない。どの日本の企業も東南アジア、西南アジアへと向かう時に中央アジアに、どの企業も必死で日本人社員を確保しようとするところ外国人社員を、空気を使った搬送装置に進むのではなくそこで発生するゴミ取り機の開発、と常に裏道を選択している。
このことわざは、人がいかない裏道を行くと花の山があると言う意味だが、もうひとつは勇気を持って決断をし、人の行かない裏道を行きなさい、と言う教訓でもある。
平見社長にはお話したが、私が自宅近くの事務所を閉めるにあたり名刺を整理していたら、何と会った記憶は全くないが孫正義さんの名刺が出て来た。当時のソフトバンクは九段南の雑居ビルの2F、電話とFAXは兼用である。現在の状況は、彼が裏道を歩き切った成果とも言える。
日本経済は現在少子高齢化、マーケットの成熟化、アジアなどの外国企業の席捲によりかつてのような勢いは見る影もない。これからの街工場の経営は今まで通りのやり方では衰退を意味する。
その意味では、すき間型商品の開発、研究開発室の充実、外国人社員の活用、商社機能の充実、中央アジア地域での日本企業とのマッチングビジネス展開など㈱大日ハンソーの現在の取組みは、一見奇抜のように見えるが、実はこれからの街工場はこうあらねばならない姿を具現化しており、賢明な経営戦略と言える。
既存のマーケットが拡がらないのだから多様化、多角化するしかないのである。しかし、これは言うのは易く行うのは難しい。街工場に取って発想の転換というのはそう簡単ではない。これを着実にこなして来た平見社長が今後どんな経営戦略を打ち出すのか実に楽しみである。
*関西気質
私はあるお菓子メーカーの非常勤取締役をさせていただいているが、関東と関西では微妙にその市場が異なる。今スーパーマーケットなどの和菓子の平均単価は100円から200円である。これだけ諸物価が上がるがなかなか値上げができず、お互い消耗戦の様相である。
なかでも関西のお客さんはこの単価に厳しい。関東や名古屋に比べると工夫をしておなじような商品を10円から20円安く販売する。それでも、景気の状況やライバルメーカ―の出方によっては厳しくなる。この厳しい競争に生き抜いてきた関西のメーカーが関東に殴り込みをかけているから、一段と和菓子の市場環境は厳しくなる。
しかし、関西のお客さんはこの単価に厳しい反面、お月見、ひな祭りなどのイベントの時期には大量に売れる。特に阪神タイガースの日本一奪還などは和菓子販売の面でも大フィーバーである。
要するにメリハリが利いているのだ。一方、関東は何があってもそれほど変化はない、普通の状況が続いている。
商品も微妙に異なる。例えば餅は、関西は丸い餅であり、関東は四角い餅である。これはどう考えても丸い餅のほうが食べやすいが担当者が関東では丸い餅は市場が受けつけないと言い頑固に四角い餅を販売している。そこで関西の工場は丸い餅を作り、関東の工場は四角い餅を作っている。こんなことが商品ごとに多々ある。
これらのことは、遊び心があり、メリハリが利き、絶えず合理的で変化を好む関西と冷静であまり大きな変化を好まない関東とに対比することができる。アジア各国を回っていても現地の方に日本だとどこに行きたいかと聞くと、東京も多いが圧倒的に人気なのが大阪、京都の関西と博多なのだ。特に、韓国、台湾の人にはこの傾向が強い。
アジア人から見ると関東の日本人はどこかすましているように見えるのかも知れない。よく考えてみると関西のこの阪神タイガースフィーバ―も遊び心なのだ。政治分野でも維新を育てている。遊び心があり、メリハリが利き、絶えず変化を好むこの体質がアジア人に受けているのかも知れない。