【特別リポート】
令和6年 元旦の靖国神社
日比恆明(弁理士)
一昨年(2022年2月24日)に発生したロシア・ウクライナ戦争はもうすぐ2年目となります。ロシアが侵攻した当初は短期間で収束するかと予想されたのですが、昨年中にも解決せずにずるずると長引いています。戦争となった根本原因は領土拡張であり、それは穀物の収穫量を増やして自国民の生活を維持させることです。
国民の生存権を確保するための紛争であることから、境界線を決めて和解することはあり得ず、両国とも国力の続く限り戦闘は続けられるでしょう。おまけに、ウクライナに加担するEU、米国の自由主義陣営とロシアに加担する中国、北朝鮮の社会主義陣営の思惑もあり、世界情勢はさらに複雑となり、国連による停戦工作などは両国には通じないでしょう。
世界の目がウクライナのドンバス地方に向いている最中の昨年10月になると、今度はイスラエルとガザの間で戦闘が始まりました。短期間に一万人以上の戦死者が発生し、悲惨なことになりました。こちらの戦闘の根本原因は宗教であり、ユダヤ教とイスラム教の戦いと考えていいかもしれません。
この戦闘を解決するとなれば、この地域の住人の全てをユダヤ教かイスラム教の何れか一つに改宗するしかありません。しかし、何千年も続いた信仰を一つにまとめることは不可能なことです。このため、中近東での紛争は規模が収束することはあっても解消することはあり得ないでしょう。
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と、日本から遠く離れた2つの地域の紛争を他人事のように眺めていたところ、正月の午後4時には能登半島に巨大な地震が発生しました。東京でも何時もとは違う長い周期の揺れがあり、「また福島県沖で地震が発生したのか」と思わせるほどでした。
当日の夕刊は休み、翌2日の朝夕刊は休みで詳しい情報が入りません。テレビのニュースは細切れの情報で被害の全体が掴めませんでしたが、徐々に被害規模が大きくなっていくのが分かってきました。能登地震のマグニチュードは7.6で、13年前の東日本大震災には及びませんでしたが大変な被害を受けることになったようです。被害の全貌はこれから分かってきますが、正月早々に不運な災害に出会うことになりました。昨年末から「日本の景気は回復してきた」と言われたのですが、この災害発生で景気に冷水を浴びせられたようになりました。しかし、早期に復旧し、明るい年になって欲しいものです。
今年の元日の東京では、雲一つ無い晴れ渡った空でした。春うららのような温かい日差しでしたが、例年に比べると風が強く、風除けが無い場所では少し寒く感じられました。
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昨年5月に新型コロナウイルスが5類感染症に格下げとなり、マスクの着用が緩やかになり、同時に外出規制が解かれました。国内外の旅行に出掛ける人が多くなり、海外からの観光客も目立ってきました。初詣にでかける人も多くなっていて、今年の三が日の靖国神社の参拝者数は8万6千人で、昨年の三が日の8万2千人よりも増えていました(靖国神社発表)。しかし、令和2年の11万人の参拝者数に比べるとまだ少なく、これから回復していくことになるでしょう。
写真2は午前11時50分頃の参道に並ぶ参拝者の列です。これから参拝者が徐々に増えていき、午後1時頃が参拝者のピークになったようです。
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コロナウイルスが発生したため、境内で見かけられなくなったのは「獅子舞」でした。今年は3年振りに復活し、境内では2人1組の獅子舞が歩いていました。この獅子に頭を噛まれるとその人の「邪気」が獅子に食べられ、その年の縁起が良い、とのことです。だが、獅子は無料で噛んではくれず、ご祝儀を渡さなければいけません。いわば、ハレの日の縁起物で、特に成果があるわけではなさそうです。噛まれる方もそれを承知でご祝儀を渡しているのでしょう。
しかし、獅子舞というのですから「獅子が舞う」はずなのに舞いません。また、獅子の相方は笛や太鼓を持ってお囃子するはずですが、ご祝儀を貰うだけでお囃子をしません。獅子舞の本質から言えば、お囃子をしながら獅子が舞い、それを鑑賞した後で獅子がお客の頭を噛み、その後でお客がご祝儀を渡すのが一連の流れのはずです。現代の獅子舞は、獅子が頭を噛むこととご祝儀を貰うことだけに省略されたのではないかと思われます。これは靖国神社の獅子舞だけではなく、関東全域の習慣になっているようです。
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外苑参道の脇には無料休憩所が設置され、建物の左側は食堂、中央は神社直営のみやげ物店、右側はカフェーがそれぞれ営業しています。以前の木造の茶店に比べると近代的で、商品・料理の質も良好です。祭事に出店する屋台で食事するのなら、衛生的なこちらの食堂、カフェーをお勧めします。
正月には参拝者が多くなるため、カフェーの前にはテントを張って軽食を販売していました。近寄って見ると、パン、マフィン、スコーンなどを並べていました。苺、ミルク、抹茶などの各種の素材により焼いたメロンパンを販売していました。それぞれ味が違っていて、楽しめるのでしょう。それぞれビニール袋に封入されて衛生的なのですが、問題はその定価です。一個が150円で、大きさが小さいのです。デパ地下の高級フランスパン並の価格となっていました。正月料金なのでしょう。
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靖国神社で見かけられるが他の神社で見かけられないのは、街頭写真館ではないでしょうか。神門の左右には、それぞれ独立した写真館がほぼ年中無休で営業しています。参拝記念に撮影してもらう家族が多いようです。出来上がる写真には、その場で出来上がる小型のものと後から郵送で受け取る大型のものの2種類があります。
現在は個人でカメラを持参して境内で撮影するのが通常で、さらには、スマホでも撮影できます。手軽に個人撮影ができるのに、写真館に記念写真を撮影してもらうのは不思議な感じがありますが、それなりの需要があるからです。
そもそも街頭写真館が発生したのは、昔はカメラ、フィルムの価格が高く、個人でカメラを持っている人は生活に余裕のある家庭に限られていました。そこで、神社仏閣、観光地に待機して、参拝者、観光客を撮影する街頭写真館が発生したのです。
現在でも街頭写真館は観光地などで時々見かけることがあります。カメラが安価となってアマチュアカメラマンブームが発生した昭和40年以前には、都内のあちこちの神社仏閣では街頭写真館が営業していたようですが殆どが消滅しました。靖国神社の街頭写真館が生き残ったのは「需要」があったからです。戦後の長い間、戦友会が開催され、遺族会の参拝もあり、参拝者全員を写す集合写真の需要が継続していたからです。他の神社仏閣では通年に渡って集合写真を撮影するような需要はなく、早い時期に撤退したのでしょう。
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外苑の大村益次郎銅像の回りには、例年のように屋台が開業していました。当然のようにゴミが出るので、参道には分別ゴミ箱が設置されています。このゴミ箱が一杯になるとゴミを搬出しなければなりません。
以前は屋台を出店している業者が輪番で作業していたように記憶しているのですが、今年は揃いのユニフォームを着た叔父さん達が作業していました。露天商組合から依頼を受けた人達かと思ったら、神社から清掃を請け負っている業者とのことでした。もしかしたらシルバー人材派遣の団体かもしれません。何れにせよ、全員がユニフォームを着用しているので、作業する人であることが区別し易くなりました。
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この日、境内にある案内標識を雑巾掛けして清掃している老人を見かけました。何でも、「神社には霊気があり、正月と終戦の日には必ず清掃している」と述べられていました。境内を自発的に清掃する団体(清掃奉仕の会など)もあるのですが、集団で清掃活動するのは祝日や祭事の日を避けて実施しているようです。この人のように、単独で清掃する人は珍しいのではないかと思われます。
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九段坂の歩道には何時ものように各種団体が宣伝活動していましたが、今年の正月は2団体だけでした。この団体は法輪功であり、中国政府による信者の弾圧を訴えていました。中国の歴史では、政権が変わる節目には必ずといっていいほど宗教がからんでいました。有名なものには黄巾の乱、太平天国の乱、義和団の乱などがあります。習政権が宗教を目の敵のように制圧するのは、宗教によって政権が転覆されることを恐れているからだ、と言われています。現政権が続く限り法輪功による宣伝活動は続くでしょう。
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こちらは毎年活動が活発化してきている「エホバの証人」による布教活動です。最近はターミナル駅付近でパネルを立てたスタイルで勧誘しています。ただ、良心的なのはパネルに「エホバの証人」と明記してあることです。どこかの新興宗教のように、ヨガサークルとか映画鑑賞会とかの名称でカモフラージュして接近し、洗脳するよりはましでしょう。しかし、これから神道である神社に向かう参拝者に布教するのですから、不届きなことでしょう。日本は信仰の自由があるので、布教を阻止することはできません。反対に、エホバの証人の日本支部の前で神道の布教活動をしたら面白いと思うのですが。
写真13は布教活動のために待機している信者達です。交代でパネルの前に立って布教しているようで、次の出番まではグループ毎に近くで待機していました。リーダーらしき人がグループ毎に活動内容などを伝達していました。