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「俺たちはどう死ぬか」 (小島正憲)

【小島正憲の「読後雑感」】

「俺たちはどう死ぬか」 
                                                           
1.「君たちはどう生きるか」 
2.「俺たちはどう生きたか」 
3.「俺たちはどう生きるか」 
4.「俺たちはどう死ぬか」

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.「君たちはどう生きるか」 

昨年、宮崎駿監督のアニメ映画「君たちはどう生きるか」が巷を賑わせていたことは知っていたが、観るチャンスを失っていた。ところが数日前、テレビで同作品がアカデミー賞にノミネートされたというニュースを見たので、やっぱり観ておこうと思い立ち、上映館を探してみた。運よく岐阜の田舎の映画館で上映中だったので、観に行ってきた。だが、よく分からない映画で、同監督の「千と千尋の神隠し」を観たときのような感じを受けた。内容は「君はどう生きるか」という題名とはまったくかけ離れたものだった。ノミネートされたのは、映像の美しさやストーリーの奇抜さなのかもしれないと思った。ちなみに外国版での題名は「少年と青鷺」。「君はどう生きるか」という題名は宮崎監督が幼少期に大きな影響を受けたという吉野源三郎の本の題名にちなんだものだという。

吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)という本は、1937年7月に初版が出され、戦後に再刊、版を重ねた後、2023年に第96刷が発行されるという稀有な本である。吉野氏は、この本の中でコペル君と名付けた少年を登場させ、少年少女向けの小説として本書を完成させている。なお、この本は、山本有三氏が編纂した「日本少国民文庫」の最後の配本だった。

ところが、この本が2017年あたりから、爆発的に売れ出した。その理由を、上原隆氏は「君たちはどう生きるかの哲学」(幻冬舎新書:2018年5月刊)の中で、「(君たちはどう生きるか)は、出版から80年になる去年(2017年)あたりから、爆発的に読まれだしたという。戦前に書かれた本がどうしていま、と誰もが首を傾げる。いろいろいわれている。マンガ形式にしたのがとっつきやすかったからだとか、親が我が子に与えているのだとか、戦前のような時代になりつつあるからだとか…、どれもあたっているのだろう。もちろん、内容が素晴らしいから、読んだ人が友だちに薦め、友だちから友だちへ、人から人へひろがっていったのにちがいない。こうした意見にもう一つ付け加えるなら、題名に惹かれた人が多かったということもあるのではないだろうか」と、この間の事情を書いている。

また、浅羽通明氏は、「“君たちはどう生きるか”集中講義」(幻冬舎新書:2018年11月刊)の中で、「“君たちはどう生きるか”がマンガ化され売れていると聞いて、さっそく書店で頁をめくってみました」、「がっかりだよ…。なんだ、これは」、「つまらない道徳の教科書でした」、「そんな道徳の教科書が、2百万部を超える今年最高のベストセラーとなっている。いったいどういうわけでしょうか」とさんざんな評価をしている。そしてなぜ売れたのかについて、池上彰氏の、「子どもみずからが読みたくて買っているというよりも、両親やおじいさん、おばあさんが、子どもたちに読ませたいと買い与えているためだと思います。いまの父親や母親は自分の子どもにも“こうしなさい”“こう生きるべきだ”なんて押しつけがましいことを言えません。そこに登場したのがこの本です」というコメントを引用し、「ギフト需要だ」と喝破している。

遅ればせながら、私も岩波文庫の原作(1981年6月再刊本)をネットで取り寄せ、読んでみた。そこには、性善説に満ち溢れた言説が綴られていた。そして巻末には丸山真男氏の吉野氏への弔辞のような形の、「“君たちはどう生きるか”はまさにその題名が示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」、「この作品にたいして、またこの作品に凝集されているようなあなたの思想に対して“甘ったるいヒューマニズム”とか、“カビの生えた理想主義”とか、利いた風の口を利く輩には、存分に利かせておこうじゃありませんか。“君たちはどう生きるか”は、どんな環境でも、いつの時代にあっても、かわることのない私たちにたいする問いかけであり」、「すくなくとも私は、たかだかここ十何年の、それも世界のほんの一角の風潮よりは、世界の人間の、何百年、何千年の経験に引照基準を求める方が、ヨリ確実な認識と行動への途だということを固く信じております。そうです、私たちが“不覚”をとらないためにも…」と書いている。だが、丸山氏の忠告も虚しく、約半世紀後の現在、私たちは再び「不覚」をとってしまっている。もっとも、当時、吉野氏が対象にした「君たち」は、そのすべてが鬼籍に入ってしまっており、今、その「不覚」を問われているのは、子や孫の世代であるのだが。

2.「俺たちはどう生きたか」

今年の年賀状には、憤懣やるかたない文面が多かった。「日本列島も地球も大変なときなのに、戦争をしたり、軍事費を43兆円にするなど頭にくることばかりです」、「世界のあちこちで戦争や迫害が続いており心穏やかではありません。言論や法律、平和を願う私たちの意思で止めなければと思います」、「今、戦争によって何の罪もない子どもたちが殺され、おびえながら暮らしている。胸が痛む。戦争は地球温暖化を加速させる。戦争はもう2度としないと約束した日本です。私は諦めないで粘り強く、軍事ではなく平和の道を進む大人の責任の一つを果たしたい」などなど。これらの年賀状の差出人は、ほとんどが後期高齢者のわが友人たちである。そこには、若き日の熱き血がまだ冷え切らずに、最後の一戦をも辞さない決意が表明されている。だが、若き日の青雲の志は遂げられず、結局、「不覚」をとってしまったのも現実だ。

戦後生まれの俺たちは、地獄から天国そして地獄?へ(戦後の焼け野原→高度成長→バブル崩壊→失われた30年)と稀有な体験をした。その中で、戦争に巻き込まれ死ぬこともなく、飽食の時代を生き、やりたいことをやることができた。つまり俺たちは物質的には、「人類史上最高の幸福な時代」を生きたことになるのである。だが、青雲の志は、あさま山荘事件で雲散霧消してしまった。その後の人生(約60年間)は、精神的にほぼ不完全燃焼で終わってしまった。今はただ、社会の悪しき現状を嘆くのみで、棺桶へ入ろうとしている。最後の一戦を挑もうとしても、口から愚痴が出るだけで、頭も体もくたびれ果てて何も実行できない。

浅羽氏は上掲著で、「戦後の解放とは、日本の農民や労働者が、彼ら共産主義者を支持して、戦争反対のデモやストライキを決行し、兵士たちもそれに加わって革命を起こし、新しい日本を生み出したわけではなかったのです。共産主義者たちは、本で読んだマルクス主義という教えを、獄中や亡命先で、お守りか何かのように後生大事に握りしめて話さなかった。ひたすら念仏やお題目を唱え続けていたようなものです。それだけだったのです」、「しかし、ともあれそうして耐えていたら、マルクスやレーニンの教説の通りに日本軍の敗北と進駐軍による解放が棚ぼた式にやってきた。耐えていた共産主義者やシンパにしてみたら、いかなる弾圧を被っても、信仰を捨てず耐え抜いていたら、本当に最後の審判が到来して、神の国へ迎えいれられたようなものだったでしょうか。しかし、それはあくまでも錯覚。単に、運が良かっただけです。僥倖はどう見ても僥倖にすぎません」、「進駐軍による日本の解放は、歴史の必然というよりは、地政学的な幸運だったと考えたほうがいい」と言い切っている。この浅羽氏の指摘は的外れではない。しかし、地政学的幸運だけで戦後情勢を説明し尽すことはできない。事態は複合的な要因によって起きたものである。

せめて、「青雲の志 破れたり」の総括を、まだ生きている俺たちで総合的に行う必要がある。私はひそかに、そのための「場」を用意しようと思っている。「後悔している」という言葉のみを残して死んでいった桐島聡のような「逃げ得・死に得」を許してはいけない。

3.「俺たちはどう生きるか」

それでも俺たちは、今、生きている。どっこい生きている。まだ生きている俺たちには、やれること、また、やらなくてはいけないことがあるのではないか。

上原氏(今年で75歳)は上掲著で、「自身の人生をふり返ると、大きないくつかの傾向が見えてくる」と書き、「生活が物質的に豊かになり、すべての欲望が肯定的に扱われるようになった。服装や食事の簡易(カジュアル)化が浸透し、経済や情報の世界(グローバル)化が拡大している。なかでも過去の文化的規制をかなぐり捨てて、ばく進してきた感じがするのは欲望の肯定だ」と続け、「私や私の世代の人たちが欲望の肯定を準備したのなら、欲望の制御についても自分たちで考えなければならないだろう。欲望と向き合って、欲望を制御するためには、自分なりの道徳、自分で決めた守るべき内面の規律をつくらなければならない」と結論付けている。

たしかに俺たちは、人生を欲望のおもむくままに生きてきた。やりたいことをやり、食べたいものを食べてきた。その結果、日本国家には1200兆円に及ぶ大借金が残った。それでも俺たちは、その大借金を返そうともせず、「生きたい」という欲望に駆られて、医療費・介護費を無駄使いし、さらに借金を膨らませようとしている。

だから、今、俺たちがやらなければならないのは、生きている間に、日本の大借金を返済してしまうことである。

大前研一氏は「シニアエコノミー」(小学館新書:2023年10月刊)で、「“資産の10%を寄付したら、その10倍を相続税の対象から除く”という税制を導入したら、それだけで多くの資産家が寄付を申し出ると思います」と書いている。従来から私は、「高齢者が持っている金融資産で国債を購入(ただし金利は5%ほどで死亡時には国家に寄付するという条件)すれば、国家の借金はチャラになるし、高齢者が金を使うようになる」と主張している。大前氏や私のような妙案?が社会で検討され、画期的な政策が実施されれば、日本の大借金は返済できると、私は確信している。もっとも、上原氏の言うように「制御のための内面の規律」、「生きたいという欲望の制御」すなわち哲学、思想も、同時に創り出さねばならない。

次世代に大借金を残しておきながら、「君たちはどう生きるか」など、俺たちにはおこがましくて言えない。

4.「俺たちはどう死ぬか」

それでも、俺たちは、近い将来、必ず死ぬ。借金返済という大目標を掲げていても、志半ばで死ぬことと相成るだろう。その場合は、せめて、医療費や介護を無駄使いしないように心がけねばならない。つまり、ピンピンコロリを死の理想形とするべきである。そのためには、日ごろから足腰を鍛錬し頭の活性化に努め、病院通いを少なくするように心がけるべきである。それでも、病院や介護施設で最期の時を迎えることになった場合は、自分の手で食べ物を口に運べなくなったら、つまり食べられなくなったら、自らの意志で断食死するべきである。決して胃瘻などの延命措置を行ってはいけない。何もせず静かに死ぬこと自体が、大借金の上に胡坐をかき、史上最高の幸せの時代を生きた俺たちができるせめてもの罪滅ぼしとなるのである。

大前氏も上掲著で、「日本の国家予算114兆円の中で、医療費は40兆円」と書き、それは過剰医療つまり「治らない病気が好きな医者がたくさんいます」、「医療費を抑える方法は、“病気”というものを明確に定義して、それに当てはまらない場合に病院で受信したら保険は適用されないというふうにするしかない」、「介護費についても、海外老人ホームを使用すれば節約できる」とし、その利点を、「年金の範囲内で入居者をケアしてくれます。若い介護士が8時間交代・24時間体制で付き添ってくれて、食事やトイレ、入浴の補助もしてくれます」、「海外の施設では3人の介護士が1人の世話をすることができます」と書いている。私は、これに加えて、「最期の時を迎えるのも海外老人ホームが良い」と考え、その設立の準備をしている。これで、医療費と介護費を大幅に節約できる。

日本を追うようにして、世界各国も高齢化の道を歩んでいる。だから世界は、日本の超高齢者の死に様に注目している。俺たちが、「俺たちはどう死ぬか」の哲学を確立し、見事に死んで逝くことが、俺たちが贈ることができる「君たちはどう生きるか」なのだ。

 

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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。