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カンボジア:シアヌークビル近況(2024年1月)(小島正憲)

小島正憲のアジア論考
カンボジア:シアヌークビル近況(2024年1月) 

小島正憲((株)小島衣料オーナー)

4年ぶりに訪れた シアヌークビルは、廃虚と化していた。プノンペンからは高速道路(中国支援)が完成しており、車で2時間ほどの便利さになっていた。だが、コロナ禍や中国の不動産不況の影響は甚大だった。

1.廃虚と化したシアヌークビル
2.シアヌークビル経済特区の特殊性
3.シアヌークビルのカジノの盛衰

1.廃虚と化したシアヌークビル

シアヌークビル、ビル362棟が未完成                

シアヌークビルの街中に入ると、まず目に飛び込んで来たのは、未完成ビル群だった。政府発表(2024年1月末)によれば、未完成のビルは362棟に達しており、さらに完成したが使用されていないビルが176棟あるという。巷では、14階以上の未完成ビルが700棟余というウワサもある。なお、これらを完成させるには11億6,100万米ドル(約1,700億円)の資金が必要だとされている。

以前、半ば中国人街と化していた街中からは、中国語の看板がめっきり減り、レストランやモールにもお客がいなかった。夜のカジノも開業しているところは数えられるほど。中国人の姿も少なくなっていた。

                     ≪未完成ビルのごく一部≫

人口が20万人ほどだったシアヌークビル州には、2016年ごろから、海辺に、カジノ・ホテル・レストラン・スパなどを対象とした投資が激増した。ことに中国人観光客や商売人がなだれこみ、一時期、50万人を超える中国人が居たという。街中に、中国語の看板が溢れかえり、それまでの街の景色は一変した。この状況を見たカンボジア政府が、「シアヌークビルを第2のマカオに」という掛け声をかけたので、中国からの不動産投資が相次ぎ、街中に建設工事が始まった。

もともとこの地に住んでいたカンボジア人の中には、中国人に土地を貸し、にわか成金になり、郊外に別荘を建て移住した人もいた。それらの恩恵に預からなかった底辺の人たちは、追い立てられるようにして、政府からあてがわれた郊外の新居住地に引っ越さざるを得なかった。だが、今では、街は建設工事が中断した建物であふれかえり、廃虚と化し、住民は右往左往している。

2014年1月、カンボジアのフン・マネット首相は、南部シアヌークビル州向け投資促進策を発表した。税制優遇などによって、未完成のビルを完成させるなどして景気刺激につなげるという。優遇の内容は、所得税の減免、未完成ビルの完成または改装終了までの付加価値税免除、不動産賃貸に対する源泉徴収税の5年間免除、不動産税の免除など。事業の認可、免許の交付の迅速化も図るという。果たして効果やいかに。

2.シアヌークビル経済特区(SEZ)の特殊性

カンボジアは、経済特区(SEZ)とカジノが共生している奇妙な国である。タイ国境沿いのポイペトSEZやコッコンSEZにも、ベトナム国境沿いのバベットSEZにも、すぐ近くにカジノが立ち並んでいる。プノンペン市内にもプノンペンSEZがあるが、もちろん市内中央部に超豪華なカジノがある。このようなSEZとカジノの共生という現象は、カンボジア特有のものであり、他国にはない。それがなぜなのか、学問的に研究されたものは今のところない。

もともとシアヌークビルは寒村であったが、浜辺の綺麗なリゾート地として、カンボジア人の間では人気があり、そこには小さなカジノが数件あったという。

内戦終了後、カンボジアの経済成長と共に、シアヌークビル港がカンボジア唯一の深海港として注目され始め、シアヌークビルにも、2006年10月に中国資本の「シアヌークビルSEZ」が、2009年9月に日本(JICA)主導「シアヌークビル港SEZ」が設立された。

その後、中国SEZは順調に拡大し、カンボジア最大のSEZに成長した。2023年時点では計180社が入居し、雇用創出数は約3万人、貿易額は33億6,000万米ドル(約4,970億円)に達した。残念ながら日本のSEZの方は、なかなか入居企業が増えず、数年前まで3社で閑古鳥が鳴いていたが、やっと昨年、イオンが物流倉庫を構え、また中国資本の鉄鋼会社が進出した。

なぜ、中国SEZと日本SEZにこのような大きな差がついたのだろうか。私は、そこには、経済的事由以外の特殊な要因が働いていたのではないかと思う。

2012年にこの二つのSEZを訪ねたとき、私は、シアヌークビル州の人口が20万人ということから、やがて人手不足に見舞われることは必定で、これらが巨大な工業団地には発展しないと見ていた。この予測は、日本SEZについては的中した。ところが、今では中国SEZには180社もの企業が進出しており、私の予測を見事に裏切る結果となった。

しかし、よくその中身を検討してみると、1企業当たりの雇用者数は200人弱であり、規模が極めて小さいことがわかる。縫製工場の採算分岐点が雇用者数600人ということを考えると、入居企業の経営に疑問符が付く。私は、夜間にこのSEZを見て回った。その結果、ほとんどが夜間操業していなかった。

今までの私の経験から、儲かっている工場はほとんどが2~3交替で操業、つまり夜間も操業している。だから、このSEZの入居企業は、工場操業で大きな利益を上げているところは少ないのではないかと思った。そして、おそらく、入居企業には他のメリットがあるのではないかと考えた。最近では、中国SEZが米国への迂回輸出拠点との疑惑もある。 

カンボジアは、国内でドルが自由に流通しているし、市内の銀行のドル預金の金利は8~10%である。しかも東南・南西アジア諸国の間で、もっとも資金の持ち込み・持ち出しがやり易い。これらのことが、中国SEZの大発展に大きく関わっているのではないか。カンボジア、ことにシアヌークビルにおけるSEZとカジノの共生は、ここに真因があるのではないか。

3.シアヌークビルのカジノの盛衰

2012年ごろからシアヌークビル(中国)SEZが本格的に稼働し始め、そこに多くの中国人が流入してきた。同時に、中国SEZから車で5分ほどの距離にある浜辺のリゾート地に、中国人向けの小さなホテルやカジノができ始めた。

その後、中国政府の「一帯一路」政策に後押しされた中国企業と中国人が、シアヌークビルに大挙して訪れるようになり、2015年ごろから、中国資本のカジノが増え始め、「シアヌークビルを第2のマカオに」という声も聞かれるほどになった。ここに、SEZへ投資などの名目で資金をシアヌークビルに持ち込み、シアヌークビルのカジノを通じてマネロンして、カンボジア国外に資金を持ちだすというシナリオができ上がった。

そのような状況下、中国政府も手持ち外貨の激減を恐れて、2017年から外貨持ち出し規制に踏み切った。だが、シアヌークビルでは2018年に入っても、カジノ・ホテル・マンションなどの建設は目白押しだった。

しかし、この風景は、2019年に一変した。詳細は、以下の2019年12月の私の調査レポートをお読みください。

2019年8月18日、フンセン首相はオンライン・カジノ禁止令を出した。その表向きの理由は、カンボジア全土(ことにシアヌークビル)で、オンライン・カジノに関係する中国人の犯罪が多発しており、それを防止するというものであり、同時に中国人の手から警察権などカンボジアの主権を取り戻すというものであった。しかしこのフンセン首相の禁止令の陰には中国政府からの厳しい通達があったという。

その証拠に、8月20日、中国外交部の耿爽副報道局長は定例記者会見で、「オンライン・カジノの禁止は、カンボジアと中国の両方の人々の利益を保護するのに役立つと信じている。カンボジアと協力して法執行と安全保障の協力を深め、国民の利益のために効果的な措置を講じる用意がある」と、カンボジアの決定を支持する声明を、ただちに出した。

この数年で、カンボジアではオンライン・カジノが激増していた。ことにシアヌークビルでは、リアル・カジノ(従来のカジノ)に客が数人ほどしかいなくても、その上階のホテルはほぼ満室という奇妙な現象が起きていた。つまり、中国人がホテルの個室を借りて、そこに卓を置き、オンライン・カジノを開き、中国内の無数の顧客とネットでつながり、莫大な利益を稼いでいたのである。

現在、シアヌークビルには、リアル・カジノが90社ほど存在しているが、そのほとんどが数十室の客室を備えており、それらのほぼすべてでオンライン・カジノが開帳されていたという。その数は補足不可能であり、そこに従事する中国人だけでも数万人と言われていた。

シアヌークビルの街全体でもカジノが公認されており、マンションの一室などでもかなりの数のオンライン・カジノが開帳されていた。それでもリアル・カジノビル内の個室は安全が保障されており、そこにオンライン・カジノが集中していたのである。

オンライン・カジノにおけるカネの流れや決済方法については、いろいろな方法で取材を試みたがわからなかった。結局、この不明部分こそがオンライン・カジノが短期間に激増した真因だったのである。オンライン上で大金が動き、マネーロンダリング後、カンボジア国内からのドルの持ち出しは自由なため、それを利用して堂々と海外へ流出して行ったのである。

この春、プノンペン空港では、香港から350万$(約4億円)をカバンに詰めて持ち込もうとした中国人3人組が逮捕された。これは氷山の一角であり、プノンペン空港よりもはるかに検査の甘いシアヌークビル空港では、毎日、中国各地から、チャーター便で乗客名簿なしの中国人が入国しており、彼らが現金をトランクに詰め込んで飛んできていたという。またネット上でも特殊決済を通じて、莫大な金額が動いていたことは間違いない。

フンセン首相がオンライン・カジノ禁止を指令した真の理由は、「このオンライン・カジノを通じて、中国から外貨が大量に流出しており、それを防止することを中国政府に迫られた」からである。

今、中国政府は悲願である人民元国際化を遅らせてでも、死に物狂いで、なりふり構わず外貨流出を食い止めている。香港政府に逃亡犯防止条例を策定させたのも、これが主因である。ところが、シアヌークビルから、外貨がダダ洩れしていたのである。フンセン首相の指示を受け、シアヌークビルの警察は、オンライン・カジノを徹底して取り締まった。

9月に入って、オンライン・カジノ関係者がいっせいに、シアヌークビルから引き上げた。その結果、マンション価格などが激落したのである。さらに街中に、「チャンス到来」・「担保なしで、すぐにお金を貸します」、あるいは「フォークリフト・クレーン車を貸し出します」・「中古設備を高価買取りします」の中国語の看板が街中に溢れる事態となった。両方とも、8月以前には、なかったものである。

「チャンス到来」の方は、オンライン・カジノを開帳していた中国人が最後の大儲けを企み、シアヌークビルに働きに来ていた中国人からカネを巻き上げようとしたものである。ところが彼らにはカネがないので、「担保なしで、すぐにおカネを貸します」とあいなったわけである。

最近、シアヌークビルでは、餌食になった中国人ワーカーが拉致され、十数人の縛られた中国人男女が小部屋から発見されるなど、陰惨なニュースが飛び交っている。また中国人ホームレスが出現するなど、シアヌークビルは無法地帯と化し、重慶ヤクザの荒稼ぎの場と化した。なお、「フォークリフト…」の方は、オンライン・カジノの撤退やカジノの倒産の後始末で一儲けしようとする中国人の仕業である。

さらに、給料の未払い、建設費の未払い、飲食店業者などへの支払いの踏み倒しなどが頻発しており、街中では、中国人やカンボジア人が、プラカードを掲げて抗議行動を起こしている。これらも8月以前には、なかった現象である。

    《チャンス到来の貼り紙》     

  《担保なし カネ貸しの貼り紙》

12月25日の現地情報では、シアヌークビルに90軒以上あったリアル・カジノのうち、4軒が閉店、23軒が一時閉店、33軒が臨時休業という状態で、それらのカジノから解雇され無職となったカンボジア人が約8000人であるという。

それでもシアヌークビルでは、依然として建設ラッシュが続いている。建設中のビルが倒壊し、建築許可がかなり難しくなったが、それでもお構いなし。中国人は、「上に政策あれば下に対策あり」と、次の妙手を生み出そうとしているし、カンボジア人はそれを信じ、その尻馬に乗ろうとしているからである。

 《建設ラッシュの現状のごく一部》

   《倒壊したビルの跡地》

オンライン・カジノ禁止令が施行され、シアヌークビルは大混乱に陥った。9月以降、年末までに、市内に居住していた20~30万人と言われた中国人のうち、80%が帰国したと報じられている。シアヌークビル空港からは毎日4~5000人が出国し、大混乱を呈していたという。もちろんチャーター機まで出た。

シアヌークビルでは、2017年ごろから中国人が激増し、その結果あるマンションでは、月額家賃(1LDK)が250$から2000$へと約8倍に跳ね上がっていた。ところが最近では、20~30%値下がりし、それでも空室が目立つようになってきた。

ある戸建てアパート(10室)のオーナーは、「8000$まで上がっていた月額家賃を、3000$まで下げたが、それでも借り手がみつからない」と途方にくれていた。同様に中国人を当てにしていたレストランや小商店も、顧客が激減し悲鳴を上げていたが、それでも、シアヌークビルの住民と州政府は、ほとぼりの冷めたころ、必ず、中国人は戻って来ると思っていた。

ところが、2020年、中国と世界をコロナが襲い、中国人の出入国が不便となり、カンボジアへの中国人入国者は増えなかった。同時に工事も中断されたままだった。それでも、シアヌークビルの住民も、残留中国人も、コロナが収まれば中国人は戻ってくるし、建設も再開されると信じていた。

だが、それらの期待も空しく、2021・22年と、なかなかコロナは収束せず、中国人の海外渡航は制限されたままであった。その結果、シアヌークビルの建設途中のビル群は朽ち果てていくままだった。

2023年、中国政府の中国不動産業者への貸し出し規制が、中国国内における不動産バブルを崩壊させた。その結果、大手不動産業者さえも資金繰りに苦しむようになり、中小業者は次々と倒産していった。中国国内にも、建設途中で放置されたままのビル群が林立するという惨状が、多くの都市で見られるようになった。

2024年、コロナが終わっても、中国の不況は続き、新たにシアヌークビル(中国)SEZへ進出する企業も少なく、中国国内で生き残った中国不動産企業にも、シアヌークビルに再進出し、工事を続行する力はなかった。シアヌークビルはかくのごとく廃虚と化したのである。

 

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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。