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令和6年 建国記念の日の靖国神社(日比恆明)

【特別リポート】

令和6年 建国記念の日の靖国神社

日比恆明(弁理士)

能登半島地震が発生してから1か月以上が経過したため、昨今のテレビ、新聞で取り上げられてるニュースは被害状況よりも復興支援に関するものに移っています。急峻な海岸線の多い能登特有の特殊な地形のため、これからどのように復興が進むのか見通しが立たないようです。現地を見た訳ではありませんが、鉄道網が無く、平地の少ない地域であっては東日本震災と比べ復興には時間がかかるようです。

メディアが取り上げるニュースは国民の関心の深い地震関連に移っていますが、国外ではロシアとウクライナが未だ戦争を続けていて、もうすぐ3年目に突入します。当初アメリカはウクライナを支援していたのですが、トランプ氏はウクライナを支援しない、と言いだしてきました。

もしトランプ氏が次期大統領に当選したなら、アメリカは軍事支援を中止するかもしれません。すると、ウクライナはEUからの細々とした支援により戦闘を継続しなければならなくなりそうです。歴史的に見るとロシアと周辺国との戦争は長期化する傾向にあり、旧ソ連が介入したアフガニスタン紛争は10年以上も続きました。世界情勢の変化により、ロシア・ウクライナ戦争は予想を遙に越える長期戦となるかもしれません。


                   写真1

昨年より暗いニュースが続いていましたが、昨今の明るい話題は株価の上昇です。現在の日経平均株価は昭和64年につけた最高値の3万9千円に接近しています。証券会社では「日経平均は近いうちに4万円を突破します」と盛んに持ち上げていますが、株を買ってもらわなければ商売にならないからです。昨年の同一時期に比べると日経平均は1万円も上昇していて、「あの時に株を仕込んでいれば儲かったのに」と商才の無い私は残念がっています。しかし、賃金が上がらず、物価が上昇している状況で、何で株価が上がるのかその理由が理解できません。

株価が上昇して株式市場は好況なのですが、その反面「近いうちに株価は暴落する」と警告を投げるアナリストも見かけられます。その理由としては、中国の景気低迷や悪性インフレの発生などを挙げています。景気上昇に冷水をかけるようなのですが、株価の暴騰・暴落の際には必ず反対の意見を出てくるのが通例のようです。株価はこれからも上昇するか下落するか、アナリストでも本当は予想できないでしょう。

今年の建国記念の日は薄い雲が見える程度の快晴で、気温は12.8度でした。平均的な気温なのですが風が殆ど吹かず、3月のような暖かさでした。写真1は神門から拝殿方向を撮影したものです。何時もなら拝殿には白色の神前幕が吊り下げられているのですが、本日は紫色の神前幕が下げられていました。正月、建国記念の日、春秋の例大祭の合計4回しか紫色の神前幕は下げられないため、久しぶりの対面となりました。この後、正午になると神前幕は紫から白に変えられるのですが、この日には取り替えの作業の最初から最後までを観察することができました。係員が拝殿の軒に梯子をかけ、軒に登って手際よく神前幕を交換していました。


                     写真2

今年の2月は気温の変化が激しいもので、2月5日には気温が6.2度にしかならず、5日夕方から6日にかけて大雪となり、都心でも6センチの積雪となりました。首都高は通行禁止となり、一部の鉄道では不通となりました。首都圏が降雪に見舞われるのは久しぶりのことで、スリップによる交通事故が多発し、転倒による怪我人も多数出たようです。
久しぶりの大雪のため、降雪してから5日が経過しても境内の日陰にはまだ雪が残っていました。しかし、風が無いため、日差しの良い場所では暖かいものでした。参道脇に設置されたベンチで日向ぼっこする人達を見かけました。


                     写真3


                     写真4

この日、例年のように、靖国神社にはギョーカイ団体の人達が参拝されていましたが、団体の数が激減していました。この日に確認できたのは3団体だけでした。平成の初めの頃では多数のギョーカイ団体が参拝していました。当時の団体の数を正確に測ったわけではありませんが、15から20の団体が参拝していたと記憶しています。その頃は、参道には参拝する団体が行列して順番待ちをしていました。

ギョーカイ団体の人達は専用の車で神社に来られますが、その街宣車の数が減ってきています。参拝するギョーカイ人の人数が減っているのですから、街宣車の車両数も減るのは当然なのですが、異常に減少しているのです。平成23年には駐車場に約50台の街宣車が駐車していました。それよりも前の、昭和時代の終わりにはもっと多かったようです。


                      写真5


                     写真6

街宣車の数も減ったのですが、車の大きさも小さくなってきたようです。最近は、靖国神 社に参拝する街宣車の大半が5ナンバーのワゴン車を改造したものなのです(登録は特殊車両のため8ナンバーとなっています)。

以前は大型バスを改造した街宣車も多く見かけられたのですが、現在は大型バスの街宣車は激減しています。そういえば、街でも大型バスの街宣車が走行しているのを見かけることが少なくなりました。では、大型バスの街宣車が少なくなったのはどんな理由かといえば、維持費が高い、ということでしょう。景気が悪くなり、公安からの締め付けも強くなり、政治結社の収入が細くなってきたことから、経費を馬鹿食いする大型バスを持てなくなったというのが本当のところでしょう。

また、最近は神社の規制も強くなり、街宣車を参拝者用駐車場に駐車させなくなりました。このため、街宣車は写真5にあるように路上に無断駐車していました。


                     写真7

靖国神社に集まってくる街宣車の中には変わった装飾をした車両も見かけられます。写真 6は運転席の上にミサイル(らしき)の模型を固定した街宣車です。このミサイルが実際に発射できる訳ではなさそうで、一種の虚仮威しのようなものでしょう。

写真7は或る街宣車のリアガラスに貼ってあったステッカーで、何と「恐喝専用車両」とありました。半ば冗談のように貼ったのではないかと思われるのですが、あまり気分の良いものではありません。もう少し品の良い?ステッカーにして欲しいものです。


                    写真8

この日も境内には清掃奉仕されてみえる方をお見かけしました。ゴミ拾い用の金属トングとゴミを入れるビニール袋を持参され、あちこちに落ちている紙屑を拾われていました。数人のグループで活動されてましたが、その中の1人が目立っていました。大小3個のブランド物バッグを下げてみえました。自分で買ったバッグなので、どのように利用するのかはその人個人の趣味でとやかく言うものではありませんが、何とも目立つ姿でした。ご本人は特に奇怪しなこととは思ってもみえず、泰然と構えてみえましたが。


                     写真9

鳥居の近くでは、和服を着た集団が記念撮影をしていました。和服の愛好会のようなのですが、着用されているのは「和服風」洋服なのだそうです。生地は背広と同じものを使っていて、素材はポリエステルで、袴のように見えるのは前にチャックが付いたズボンなのだそうです。袴の帯はベルトのようになっていて、腰の回りに廻してホックで結んで固定するのです。この人達はこの簡易和服を世間に広めるための団体なのだそうです。