【特別リポート】
令和6年8月15日の靖国神社
日比恆明(弁理士)
今年の夏は暑かった。7月1日、気象庁は春のエルニーニョ現象の影響で今夏は猛暑になると予想しました。日頃は当たらない天気予報ですが、この予報は大当たりし、全国的に猛暑日が続きました。毎夜クーラーが無ければ眠れない日が続きました。8月1日には、気象庁は7月の平均気温は1898年以降で最も高かったと発表しています。8月に入ってからも猛暑日が続き、熱中症で搬送された人が全国で1万2千人以上にもなりました。こんな異常気象が続いたなら、将来、日本は熱帯になり、九州四国地方はバナナ、パイナップルの生産地となり、米作は北海道でしかできなくなるのでは、と憂いています。
気温上昇の原因には、人類が発生する二酸化炭素の増加にあるとされています。このため、二酸化炭素発生を削減して地球温暖化を防止するカーボンニュートラルが提唱されています。しかし、環境に優しいとして電気自動車を勧めている中国では、石炭火力発電により二酸化炭素排出量が世界一位です。排出量世界二位のアメリカでは、次期大統領を狙うトランプ氏は自国経済発展のため化石燃料の増産を政策に入れています。こんな状況では地球温暖化は益々激しくなるでしょう。
写真1
写真1は、終戦の日の午前10時頃の靖国神社参道を写したものです。以前、この場所には5百名は収容できる巨大なテントが設営され、日本会議主催による全国戦歿者追悼国民集会が開催されて賑やかでした。かってこの集会では、安倍晋三元首相、石原慎太郎元都知事、田母神俊雄幕僚長などを来賓として招いていました。その時々の話題の人達を招き、社会情勢や国際情勢を講演して面白いものでした。
しかし、平成28年に「日本会議の研究」などが出版されるようになると、この集会の雲行きが奇怪しくなりました。集会の規模が縮小されると共に参加に制限が加えられるようになりました。それまでは誰でも参加できたのですが、いつの間にか招待者でなければテントの中に入れなくなったようです。
また、日本会議に対する社会の評価が変わってきたことから、著名人が出席しなくなったようです。このため、魅力のない集会になってきました。さらに追い打ちをかけたのがコロナウイルスの発生で、感染防止のため令和2年からは集会を中止し、オンラインによるライブ中継になりました。この年以降、テント設営による集会は行われなくなり、今年もオンライン中継となりました。もしかすると、これからもずーっとオンラインになるかもしれません。
写真2
気象庁によると、今年の終戦の日の東京の最高気温は35.7度でした。それほど極端に高いわけではないのですが、暑いことには変わりありません。参拝者には高齢者が多いため、緑陰を求めて参道脇の公園のベンチで休息されてみえました。木陰には時々柔らかな涼風が吹き、つかの間の涼しさを与えてくれます。木立の間を流れてきた風はクーラーからの冷気とは違い、肌に優しいものです。
家庭用クーラーなど無かった昭和の時代では、夏は暑いというのが当たり前でした。その頃は、蒸し暑い家から出て、涼しさを求めるて公園などの木立の下に向かうのが日常でした。原始的な方法ですが、ひとときの安らぎを求めて外出するのは良い方法かもしれません。クーラーをかけた屋内に一日中閉じ籠もっていると、気が滅入ってきます。ひとまず公園まで歩いて大量の汗を流し、木陰で涼風を受けとめて汗を乾かすのは、精神的に良いことでしょう。夏という自然を身体全体で感じ取ることができるからです。
何時ものように、終戦の日にはギョーカイ団体の人達が参拝されていました。しかし、ギョーカイ団体の数は年々少なくなっていくようで、今年確認できたのは5団体でした。ギョーカイ団体の数が減った理由には複数あると思われますが、一番の理由は団員の高齢化にあると考えられます。その昔は社会から外れた元気な若者達が参加していたのですが、小子化の影響か若者の新規加入が減少してしまったようです。また、現在は、元気な若者達には規則や上下関係に縛られるギョーカイ団体には参加したくない風潮があるからでしょう。これからギョーカイ団体の縮小化はますます加速していくのではないかと予測されます。
写真3
ギョーカイ団体の周囲には背広姿の公安関係者が見守っています。ギョーカイの人達が神社の境内で暴動などを起こすことはないようですが、念のために警備しているようです。公安関係者が警備しなくともいいのでは、とも思われますが、以前にギョーカイ団体の間で揉め事があったのを目撃したことがあり、やっぱり厳重に警備しないと治安は保たれないようです。
写真4
今年も現役首相が千鳥ケ淵戦没者墓苑に参拝する姿を見物に出掛けました。しかし、例年とは違って、警備が厳重になっていました。毎年、首相は午前11時15分に戦没者墓苑に到着しています。首相の警備のため、墓苑入口は午前11時になると一時的に閉鎖され、一般参拝者は入苑できなくなります。このため、例年、私は午前10時55分前には墓苑内に入るようにしていました。
写真4は午前10時40分頃に千鳥ケ淵遊歩道の入口を撮影したもので、例年もよりも早い時期に歩道は閉鎖され、ここから墓苑には入れません。このため、迂回して内堀通りより鍋割坂を通って遊歩道に入ることにしました。鍋割坂にも警官がいて警備していたのですが、すんなりと通過できました。しかし、墓苑入口で、警官から「参拝はできません」と入苑を断られました。何度か警官と押し問答をしていると「待機はできます」と伝えられて意外と簡単に入苑できました。要するに、「首相の参拝が終了するまでは、一般人は正面通路を歩いて参拝はできないが、苑内の隅にある警官のいる場所で首相の参拝が終わるのを待つのは構わない」という意味のようでした。何だかよく分からない警備でした。
警官に指定された位置で20分ほど待機していると、定刻の午前11時15分に岸田首相が戦没者墓苑に到着しました。専用車が到着し、岸田首相が下車して花束受け取り、花束を六角堂に捧げて一礼し、順路を戻って専用車に乗車するまでは約2分の時間でした。慌ただしい献花であり、儀礼化しているように思えますが、公人による行事ですから仕方ないことでしょう。
写真5は今年の岸田首相による献花が終わって後を撮影したものです。写真6は平成18年に小泉元首相が献花した時に撮影したものです。それぞれの写真を比較すると、後方にいるテレビ局、新聞社などのマスコミの数が半分程度に減っているのが判ります。マスコミは首相の献花に関心を持たなくなったのでしょうか。そういえば、テレビ、新聞などで首相が戦没者墓苑に参拝されている姿を報道することが少ないように思われます(皆無ではなく、過去には献花する首相の写真が掲載されたこともある)。
写真5
写真6
また、両者の写真によれば、マスコミの立ち位置が右側に移動していることが判ります。マスコミに指定された撮影位置は、何故か献花台から離されていました。
写真7
首相の献花札には、「内閣総理大臣 岸田文雄」と記載されていました。以前は肩書だけだったのですが、令和2年から首相名も併記されるようになったようです。この日献花した閣僚は、厚生労働大臣武見敬三、外務大臣上川陽子、内閣官房長官林芳正、環境大臣伊藤信太郎、防衛大臣木原稔でした。防衛大臣、厚生労働大臣が献花するのは当然なのですが、環境大臣が献花する理由が判りません。どうも、戦没者墓苑は墓地なのですが、公園の取り扱いとなっていて、管理が環境省に任されていることが理由のようです。
写真8
写真9
さて、本年7月にトランプ元大統領の狙撃未遂事件が発生しました。この時、犯人が使用していたライフルがAR15であったと発表されました。漫画家「さいとう・たかお氏」の描く劇画「ゴルゴ13」で主人公のデューク東郷が使用するライフルはM16です。実は、AR15もM16もアーマライト社が設計製造した同じライフルなのです。一般人に販売する場合にはAR15の名称で、米軍が購入する場合にはM16と命名した経緯があります。トランプ氏の狙撃未遂事件発生後、ネットには銃器マニアによるこのライフルに関する蘊蓄が多数投稿されていました。
さて、デューク東郷が首相を狙撃するとしたらどのような方向から狙うか、を想定しました。写真8は戦没者墓苑周辺の航空写真であり、千鳥ケ淵を挟んだ反対側の北の丸公園の林の中A、ザ・パークハウスグラン千鳥ケ淵B、千鳥ケ淵ハウスC、三番町KSビルD、関東財務局三番町住宅E、パークマンション千鳥ケ淵Fが狙撃位置として考えられます。この内、北の丸公園Aからは墓苑周囲に立つ立木が邪魔し、首相の姿を視界に捕らえることができず真先に候補から脱落します。そもそも、終戦の日には北の丸公園にある武道館では全国戦没者慰霊祭が開催されるため、警備が厳重となり、デューク東郷でも北の丸公園には進入できないでしょう。
墓苑の廻りには正面通路を見下ろすように複数のマンションが建てられています。三番町住宅Eは国家公務員とその家族が居住するもので、居住人の身元がハッキリしていることから狙撃位置から外れます。KSビルDは賃貸オフィスビルのため、出入りは比較的自由のようです。しかし、オフィスビルのためガラス窓は嵌め込められていて開口部が無く、銃口を向けるのは無理でしょう。
グラン千鳥ケ淵B、千鳥ケ淵ハウスC、パークマンション千鳥ケ淵Fにはいずれもバルコニーがあり、狙撃するには最適です。千鳥ケ淵ハウスCは高級賃貸物件で、家賃は百万円以上します。グラン千鳥ケ淵B、パークマンション千鳥ケ淵Fは超高級の分譲マンションで、一部屋が数億円します。デューク東郷に狙撃を依頼する世界の金持ちでは、この程度の金額にはへこたれません。現金でポンと払うでしょう(ただし、劇画の上での話ですが)。しかし、これらの超高級マンションの入居では審査が厳しく、どこの馬の骨だか判らない目つきの鋭いデューク東郷に賃貸或いは売却をするとは思われません。従って、これらのビル、マンションから狙撃するのは極めて困難でしょう。
写真10
当日、私は正面通路に一番近い千鳥ケ淵ハウスCのベランダを観察していたのですが、どの部屋もカーテンが閉められ、人影が全くありませんでした。場所が場所だけに、住人の方も見ないそぶりをしていたのでしょうか。
ここ数年の間、終戦の日には、外苑西詰所の脇で日章旗と海軍旗を飾る男が出没しています。今年はインド女性に日の丸の寄せ書きの意味を説明していました(日本語で)。インド女性は近くのインド大使館に勤めてみえる方のようで、日本語はあまり覚束ないようでした。男は熱心に説明していましたが、インドには無い風習をどの程度まで理解されたのか不明です。
写真11
例年、地下鉄九段下駅の出口から神社の入口までの歩道では、各種団体によるチラシ配りとイデオロギー宣伝が行われています。しかし、最近は「元気」な団体が減少したように思われます。「元気」というのは、その主張が派手で過激であるという意味です。以前は慰安婦問題や尖閣列島問題を掲げた団体が目立ったのですが、今年は皆無でした。その代わり、北朝鮮を批判するプラカードを持った二人が目立っていました。北朝鮮に戦争を仕掛けようという主張のようです。今年一番目立った団体でした。
写真12の団体は、沖縄の辺野古基地建設のために、沖縄南部の土砂を使わないで欲しい、という主張をしています。沖縄戦では、戦没者は南部に集中していて、現在も遺骨が発掘されています。その遺骨が混じった沖縄南部の土砂を埋立てに使わないで欲しい、ということです。団体を主宰するのは具志堅隆松という人で、独力で戦没者の遺骨収集の活動を45年続けられているそうです。地道な活動を続けた人で、記録映画になったり、テレビ番組でも紹介され、単行本も発行されています。
どうも、この人の主張は基地建設に反対するのではなく、建設のために遺骨の混じった土砂を埋立てに使わないで欲しいというもののようです。遺骨が埋立てられると、戦没者の尊厳を損ねる、という切実な問題を提起していました。基地建設反対、という平和運動とは別のようです。
写真12
写真13
今年のビラ配りでは、富士山マークの宗教を宣伝する人達が目立った多かったようです。歩道の一番目立つ場所の左右に一列に並び、チラシを配る姿は壮観でした。以前この場所では、もろみの塔という宗教団体の宣伝活動の場所でしたが、今年はこの団体に押し出されてしまったようです。これだけ多数の信者が並び、宗教を勧めているのですが、果して成果があったのでしょうか。これから神社に向かう人達に、神道とは別の宗教を勧誘するのですから、何か無理があるように思われるのですが。
写真14
写真15
昨年は台風の影響で開催されなかったのですが、今年は1時30分より大鳥居の脇にある木陰で軍歌を歌う会が開催されました。団体の名称は「愛国女性のつどい花時計」で、その昔の「愛国婦人会」を連想させ、福島瑞穂の耳に入ったら金切り声で罵倒されることは間違いありません。主催者は女性で、以前は子供のピアニカなどで演奏していしたが、今年はサキソフォン、トランペットなどの本格的な楽器を使用していました。この会では寄付を一切受け付けていません。また、当日は軍歌を印刷した歌詞集を配付していましたが、これは販売ではなく貸与ということでした。どうも、寄付や歌詞集の販売は営業行為に該当するため集会を止めてくれ、と神社から苦情があったようです。そこで、一切の寄付は受け付けず、歌うことだけを楽しむ無償のサークルとして神社と交渉が成立したようです。
木陰で皆さまと一緒に歌うのは気持ちいいものです。しかし、夏の真っ盛りに汗水流しながら歌うより、春秋の気候の良い時に開催した方が良いのではないでしょうか。
写真16
外苑の参道横で、何やら変な人達がいました。中年男性二人が詩吟のようなものを謡い、それに合わせて30代の女性が舞っていました。歌詞は詩吟なのか祝詞なのか全く意味が理解できませんでした。もしかすると、モダンバレーの一種なのか、それとも、ギリシャ、ローマの時代の古代ダンスを再現したものなのかもしれません。靖国神社の境内には何時も不思議な人達が集まってきます。
この日も猛暑日となり、汗だくだくで歩いた歩数は1万7千歩以上となりました。熱中症にかからなかっただけでも幸せでした。