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真田幸光の東欧?! 見聞録(全3回) 前編「ブルガリア」

【真田幸光の経済、東アジア情報】
真田幸光の東欧?! 見聞録(全3回)
前編「ブルガリア」

真田幸光(愛知淑徳大学教授)

恒例となりました今夏の海外視察は、トルコ・イスタンブール経由で、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを訪問することとなりました。
世界の火薬庫の一つと言われるバルカン半島はなかなか魅力的でありました。
 
また、三カ国共、私としては初めての訪問となりましたが、日本大使館も訪問し、各国の特命全権大使閣下より直々に現地事情を伺いました。
 
尚、スズキ財団の評議員をさせて戴いておりましたことから、「スズキ」のハンガリー工場訪問をトライしましたが、残念ながら、現地工場夏季休暇により、訪問が出来ず、残念でありました。

主要な日程としては、
「羽田空港、イスタンブール、ソフィアと空路で入った後、陸路でバルカン半島を北上すると言う日程の下、リラ、ボヤナ、ソフィア、カザンラク、ブカレスト、ブラショフ、シギショアラ、ティミショアラ、ブタペストを訪問、その後、空路でイスタンブール経由羽田空港に戻る」
との予定で動きました。

尚、イスタンブールまでのフライトは中国本土を横断、カザフ、カスピ海、アゼルバイジャン、そして、戦争地域であるクリミア半島などを進行方向右に見ながら、黒海を通過して、トルコのイスタンブールに入りました。
更に、トランジットの上、ソフィア空港に入りました。
トルコ航空のフライトは順調でありました。

[ブルガリア]
豊かな自然と長い歴史を持つ「バルカンの至宝」とも言われるブルガリアには多くの世界遺産があります。
黒海に浮かび、ローマ帝国時代の遺跡や5~17世紀の教会を保存している、
「古代都市ネセバル」
や、
「カザンラックのトラキア人の墓地」
「スヴェシュタリのトラキア人の墓地」
は紀元前の古代までその歴史は遡り、歴史好きの方にはたまらない国でありました。

紀元前8世紀にギリシャ人が植民都市を建設、紀元前4世紀にはトラキア人勢力が繁栄、6世紀にはスラブ人が南下、ブルガリア帝国誕生とビザンチン帝国との対立、第四次十字軍の動き、モンゴル族の来襲、オスマントルコとの攻防、1908年ブルガリア完全独立、第一次、第二次世界大戦後の1946年王政廃止と人民共和国宣言、1990年ブルガリア共和国への転換、2004年NATO加盟、2007年EU加盟など変化のある歴史を持っている国です。

今は少し政治的不安が見られています。
主要産業は一般機械、輸送機械、食糧品、化学製品など、主要貿易国は、ドイツ、ルーマニア、イタリア、トルコ、ギリシャ、ロシアなどです。

ソフィアに着いた初日は日曜日、ソフィア郊外の世界遺産リラ修道院やボヤナ教会などを巡り、市内見学してホテルに入りました。
リラはコウノトリで有名な町でした。
また、バルカン半島一の2,925メートルのムサラ山も眺めました。

郊外には、食用油となるひまわりがたくさん栽培されていたのが目立ちました。
ブルガリア正教会はシャンデリアがある、歌はアカペラであると言った特徴を持っている、また、偶像崇拝は原則禁止、イコンが重要視されているそうです。
また、聖人の遺骨が奇跡をもたらすものともされています。
リラ修道院のミサに行き、お祈りをしている人たちに混じりわたし達もお祈りをし、また、ソフィア市街の高級地にあるボヤナ教会を見学して市内ホテルに入りました。

昼はインゲン豆のスープ、マスのフライとヨーグルトを頂き、夜はブルガリア名物の鶏料理を楽しみました。
尚、リラ修道院、ボヤナ教会はいずれも世界遺産だそうです。 
ボヤナ教会は、外観は普通の教会ですが、内壁に、11世紀に描かれた壁画と13世紀に描かれた壁画の二層があり、特に外側二層目の13世紀の壁画が、当時のキリスト教画には珍しく写実的で、目の表情なども豊かであると評価され、世界遺産に指定されたそうです。

2日目は大使公邸を訪問、旧共産党本部、聖ペトカ地下教会、アレキサンドルネフスキー大聖堂、聖ソフィア聖堂などを訪問しました。

ソフィアは昔、湖であったが、地殻変動から決壊をし、水がドナウ川に流れ込み盆地となり、そこに温泉が湧き出たことから、人が住むようになった。そして、ローマ人もその温泉に惹かれ都市建設、その後、イスラム社会が生まれ、一時期はソフィアに70あまりのモスクが乱立していたとされ、また、その地層の下からは、ローマ時代の遺跡が出てきています。

実際に、地下鉄入り口にローマ時代の遺跡、市内に、飲泉があり、市民が給水していました。暖かい温泉水でした。
アレキサンドルネフスキー大聖堂は、特に、トルコからの独立に貢献してくれたロシアに対する感謝を込めて、ソフィアの中心の丘に建てられた近代建築の教会でありました。

夜はブルガリア民族舞踏ショウを堪能しました。
尚、道上大使は私がかつて韓国ソウルに勤務した際に、韓国日本大使館にいらした方で、久しぶりの面会となりました。
道上大使は特に、
「日本とブルガリアの底辺からの経済交流、ビジネス交流を推進したい。」
と力強く語っていらっしゃいました。
そして、道上大使と共にお会いしました方はソフィア日本人会会長、副会長のお二方で、お三方から以下のようなコメントを頂きました。

大使館、外務省などの情報は以下の通りです。

人口は652万人、面積11万平方キロメートル、GDP890億米ドル、一人当たりGDP13,135米ドル、2024年GDP成長率1.9%、物価上昇率4.6%、失業率5.3%、ブルガリア人80%、ブルガリア正教、共和制国家、大統領が国家元首、一院制240人の議員、在留邦人193人、日系進出企業40社、EU、NATO加盟国と言う国であり、
ヨーロッパ的発展に舵を切り、堅固。
但し、古い社会体質と親露派勢力は残っている。
と言う国である。

海外からの投資額4,274百万ユーロ この10年で約2.6倍
2025年 ユーロ導入予定
巨大プロジェクト多数EU基金使用予定プロジェクト多数
進出日系企業のブルガリア評価 特に低賃金、高スキルの面
IT工学系に強い人材多数いる。
バルカン半島のイノベーションハブと呼ばれている。
INSAIT ソフィア大学、スイスなどが連携したAI研究所発足していて日本企業も利用勝手がある。

日系主要ブルガリア進出企業名
矢崎総業、住友電装、日立グループ、住友商事、SEGA、日本電産、川崎汽船
日系企業従業員数 約7,700人

ブルガリア主要プロジェクト
ブルガリア国鉄車両 ドイツ、中国本土
ソフィア市電気バス 中国本土
ソフィア市営地下鉄延伸 トルコ、ドイツ
原子力発電所    米国、韓国

やはり、ブルガリアに於ける中韓のプレゼンスはじわじわと高まっているものと見られる。

「ブルガリアは1991年から市場経済移行の為の経済改革を開始したものの、1996年の経済危機によるマイナス成長、500%を超えるハイパー・インフレにより大きな困難に直面した。
 1997年に通貨委員会制度を導入することにより、為替相場の安定、インフレの沈静、金利水準の低下、外貨準備高の増加等を図り、経済危機を克服した。
その後、ブルガリア経済はIMF主導の構造改革の下、総合的には一定の安定を達成し、2007年1月のEU正式加盟を経て2007年、2008年の経済成長率はそれぞれ6.9%、5.8%に達した。
 2008年年末以降、リーマンショックという世界金融危機の影響を受け、外国人投資が大幅に減少し、2009年はマイナス5%のマイナス成長となって以降、その後2014年まで経済成長率は0~1%台と低迷していた。
しかし、2015年に3.6%となって以降は安定的な経済成長が続いていた。」
「近年は特にEU諸国との貿易投資関係が進んでいること、また、最低賃金や年金の引き上げ、EU基金の消化が進んだことによる公共事業投資等により内需が拡大し、経済成長率は2022年3.93%、2023年1.85%、そして2024年は2.74%が予想されている。
新型コロナウイルス感染拡大危機、ウクライナ戦争、ガザ紛争の悪影響はあるが必ずしも大きくなく、過ごしてきている模様である。
また、緊縮財政を継続し健全な財政運営に腐心しており、ユーロ圏加入が出来るか否か、今後の課題となっている。
中・長期的には、国内に職場機会が足りず、人口流出等に伴う労働力の不足傾向が懸念材料であり、また、労働集約型産業からの脱却が急務となっている。
職場機会を作りつつ、産業の近代化が進展出来るか注目される。」

更に、ソフィア日本人会のお二方からは、以下のようなコメントを頂きました。

ブルガリアには、良い意味でも悪い意味でもnational identityが弱い。
実際に現地の旅行会社社長も、長い間、支配されてきたトルコ人を強く恨むことはあまりなく、むしろ友と考えている人が多いはずと言っていました。

ブルガリアの大卒初任給レベルは800ユーロ強、全体の離職率は10%弱、但し、技術系人材は採用難しくなっており、IT系人材が増え、またそうした人材は海外に流出してしまう。
組織化するのはどちらかと言うと苦手、個人の資質は高い。
社会主義時代の流れを汲み、女性の社会進出度は高い。
共働きが原則、但し、弊害として、離婚率は高く、また、少子化問題は存在している。
産業は重化学工業が少なく、労働集約的産業が多い。
自動車は中古車比率が高く、欧州車、米国車が中心。
しかし、最近の新車販売を見ると、トヨタが首位となっている。
因みに我々が使用した大型ハイテクバスはドイツ製でありました。
物流は黒海に面する港からのトラック輸送と欧州を繋ぐトラック輸送が中心。
今や鉄路の輸送はかなり壊滅的。
アマゾンや郵便系物流も弱い。
国内B to C系物流会社は育ってきている。
日系金融機関のオペレーションはなく、欧州系金融機関と自社グループ内部の資金でキ
ャッシュ・フロー運営を行っている。

法人税は10%、但し、近々、15%に上がる可能性はある。
外資に対する税制優遇制度はあまり整っていない。

ソフィア在住日本人は約120人、うち約20人は留学生。

外資ではやはり中国本土、韓国の進出傾向が顕在化、存在感を増す。具体的には現代自動車、中国本土IT関連企業。

ブルガリア人の日本に対するリスペクトは高い、まだまだ通用するジャパンブランド。

ブルガリアの建築は社会主義国のそれと同じく、先ずは建物を建てる、この際、現地金融機関はファイナンスをつけるが、建物から上がるキャッシュ・フローではなく、計画経済の方向性が大きな拠り所となる。
それから内装などを含む二次ファイナンスに入るが、二期工事に入れない建物もあり、そうした、建設が途中で止まっている不動産物件がソフィアでも散見された。

国家計画、ビジョンが弱く、発展の方向性が分かりにくい。外国人支配が長かった為の反動か?
1990年代の社会主義との決別の際、当時の既得権益層が個人で安価に国内資産を買い占め、それを高価で外資に売り、一気に富裕層になり、それが今日に続いていることから、貧富の差が顕在化、最近の政治不信もこうした延長線上にある。
但し、社会革命に至るような不満までには至っていない。
そして、オスマントルコ時代と社会主義時代はあまり触れたくないとする傾向が国にも国民にも見られる。

3日目は、ソフィアを発ち、ローズオイルの世界的産地であるバラの谷を訪問、カザンラクで世界遺産のトラキア人の墓標などを訪問した後、ルーマニアの首都ブカレストに入りました。

カザンラクのトラキア人の墳墓は、王墓であり、ブルガリア中部の町カザンラク近郊のレンガ造りの丸天井型地下墳墓で、古代には、トラキア人の首都セウトポリス近郊にも位置していたところであります。
また、バラの谷のバラのエキスは単位当たり金の3倍もの値が付く高級品、クリームや石鹸、ハンドソープ、オイル、バラのリキュールなども販売されていました。
かつて、王が亡くなると一夫多妻の中の王が最も気に入っていた妃を一緒に生き埋めにし、正妻はその後の政治を司ったそうです。
そして、バルカン山脈のボテフ峰の近くのシプカ峠を抜けましたが、ここは露土戦争のシプカ峠の戦いと呼ばれる戦いの場となり、これによってオスマン帝国によるバルカン半島統治の終焉を決定づけたと言われています。

国境都市はブルガリア第五の都市、ルセ、国境通過には手続き、混雑で意外に時間が掛
かりましたがドナウ川を渡り、ルーマニアに入りました。
尚、入境チェックでは、我々のバスの前にいたバスはウクライナに向かう、ウクライナナンバーの観光バスでありました。

【次号[ルーマニア編]に続く】

 

真田幸光————————————————————
1957年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。1984年、韓国延世大学留学後、ソウル支店、名古屋支 店等を経て、2002年より、愛知淑徳大学ビジネス・コミュニケーション学部教授。社会基盤研究所、日本格付研究所、国際通貨研究所など客員研究員。中小 企業総合事業団中小企業国際化支援アドバイザー、日本国際経済学会、現代韓国朝鮮学会、東アジア経済経営学会、アジア経済研究所日韓フォーラム等メン バー。韓国金融研修院外部講師。雑誌「現代コリア」「中小企業事業団・海外投資ガイド」「エコノミスト」、中部経済新聞、朝鮮日報日本語版HPなどにも寄稿。日本、韓国、台湾、香港での講演活動など、グローバルに活躍している。
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