【特別リポート】
令和7年 元旦の靖国神社
日比恆明(弁理士)
明けまして御目出度う御座います。今年も平和な年が始まりました。と、言いたいところですが、ロシア・ウクライナ戦争は今年で3年目となり、イスラエルとガザの戦争は2年目に突入しています。
戦争はこれだけで終わるかと思っていたところ、昨年にはイスラエルがイラクを攻撃し、ついでにレバノンにも攻撃を開始しました。この影響のためシリアのアサド政権が失脚し、シリア国内はイスラム原理主義に乗っ取られ、中近東地域は先の見通しのつかない混乱状況となっています。
さらに悪いことに、次期アメリカ大統領選挙ではトランプ氏が当選し、そのとんでもない政策により世界は益々混迷を深めることになりそうです。
このような世界情勢は平和とは程遠いものであり、何処でどのようなことが引き金となって局地戦から世界大戦に変わるのではないかと不安がよぎります。
1945年に大戦が終了してから80年の間、局地的な戦闘はありましたが世界はバランスがとれていました。しかし、これほど長期に渡り平和であったのは歴史上稀なことです。現在の局地戦は境界を接する紛争国の間に不信感が溜まっていて、今回一挙に爆発したとも考えられます。
このままでいくと、ロシア、イランでは戦術核を使用するかもしれません。昨年、日本の原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞しましたが、これはロシアに対して戦術核を使用するな、という当て擦りではないかと邪推しています。
写真1
今年の東京の元日は、雲一つ無い晴れ渡った空でした。気温は最高が12.2度、最低が4.1度で、風は殆ど吹かず、日差しのある場所では極めて暖かい日でした。厚手のコートでは少し汗をかくような気候でした。毎年このような気候に恵まれるのなら有り難いことなのですが、そうならないのが世の常です。
写真2
靖国神社の社号標の回りには柵が巡らされていて、立ち入りできないようになっていました。ご存じのように、昨年5月、8月にこの社号標に中国語で落書きされる事件がありました。その防御のための対策です。5月の事件では、実行犯の3名は特定され、内1名は国内で逮捕されましたが、他の2名は中国に逃亡しました。
警視庁は中国公安局に逃亡した犯人の拘束を要請しました。杭州公安局は犯人を逮捕したのですが、その理由は詐欺事件に関係していたという容疑でした。続報が無いため犯人の処分がどのようになったか不明です。中国公安部では詐欺の容疑で逮捕し、事件の幕引きをしたのでしょう。
これから類似事件を防止するためには、夜間に神社の周囲を塀で囲って何人も侵入できないようにするのが一番です。しかし、宗教法人という性格上、参拝する人を拒まない、という原則があるため無理でしょう。警戒を厳重にするより方法が無さそうです。
写真3
写真4
参集殿の入口には「新春初詣 正式参拝 祈願参拝入口」の大きな案内が掲げられていました。神社では、行列して拝殿前でお賽銭を入れて拝むことを「一般参拝」、拝殿に登楼して御祓いしてもらってから拝むことを「正式参拝」と呼んでいるようです。その正式参拝の入口がここなのです。
ただ、案内には「初詣」「祈願」と書かれているのですが「追悼」「慰霊」とは書かれていません。参拝者の殆どが戦争体験していない戦後生まれであり、靖国神社を普通の神社のように初詣をするための神社としてとらえているからでしょう。今年は終戦80年ですが、戦没者慰霊という意義が薄れていくようです。
入口の左側には何やら外人向けの案内板が置かれていました(写真4)。外人に対して参拝の注意や参拝料の説明が掲示されていました。一段目は英語であり、これは当然のことです。二段目は中国語であり、軍属で参戦した台湾人も多いため、この表記は必要かとおもわれます。台湾で使用されている繁字体で表記されていて、中国で使用されている簡略体でないのが微妙なところです。三段目はハングルであり、慰安婦や徴用工で揉めている韓国人が参拝されるのかどうかは疑問です。
写真5
写真6
写真7
何時ごろから始まったのかは不明ですが、国内では御朱印集めが流行っています。どうも2013年の伊勢神宮式年遷宮から始まったというのが定説のようです。靖国神社も神社であるため、御朱印を授与しています。以前は申し込んだ窓口で、担当者が御朱印帳に目の前で墨書してくれたのですが、年々御朱印の申込みが増加しため対応できなくなってきました。このため、授与の作業を円滑化するため3年前から分業制に変えたようです。
写真5は授与の入口で、ここから受付窓口にまで受領者が順番に並びます。昨年に比べて、この行列のための通路が2倍に延びたようです。受付の窓口は写真6の右側で、御朱印帳を戻してもらう窓口は左側にあります。右の窓口に御朱印帳を提出すると、奥の方で複数の担当者が墨書し、出来上がると左側の窓口から御朱印帳が手渡されます。
しかし、御朱印を申し込む人の数が多く、手作業の墨書では短時間に終わりません。このため申込み者は出来上がるのを待つのですが、写真7が待機するテントです。この日、社務所の中で墨書する人達はてんてこ舞いに忙しかったでしょう。
写真8
今年も大村益次郎銅像の回りにある円形広場には屋台が出店していました。その昔、正月になると大鳥居から茶店の間までズラーと数十の屋台が並んでいましたが、現在は三分の一以下の店数になったのではないかと思われます。現在の屋台の店数が適正かどうかは判りませんが、どうも今後はこの店数を維持していくのではないかと思われます。店数を多くすると飲み食いが目的の遊興客が増えてしまいます。
神社は信仰のための参拝者を受け入れるのであり、飲食させるための場ではありません。参拝者の小腹を満たすのであればこの店数で十分と判断したのでしょう。店数が減ったことに誰も苦情を申し立てないのでこれでいいのでしょう。苦情があるとすれば、屋台を出店したい業者だけかもしれません。
写真9
それぞれの屋台(業界では「三寸」と呼ぶらしい。台の高さが3寸のため)では、客を引き寄せるために派手な暖簾を掲げています。昔は木綿の布を染めたり文字書きしていたようですが、最近はターポリンの素材にインクジェットで印刷する技術が発展し、デザインを簡単に印刷できるようになりました。また、インクジェットによる印刷は安価のようで、昔のように色あせたり破れた暖簾を使い続けることなく、汚れたら直ぐに新しい暖簾に交換しているようです。このため、どの屋台もピカピカの真新しい暖簾を下げていました。屋台の暖簾を専門に製作する業者もいるようです。
写真10
それぞれの屋台に下げられた暖簾には、売りたい商品を強調した文章が印刷されていました。しかし、暖簾の表記内容と販売している商品とが関係しているとは思われません。写真9の屋台では「大分中津 からあげ」と印刷した暖簾を下げていましたが、大分の中津から出張してきたのではありません。中津のからあげが有名のため、地名を借用したのでしょう。どこにも「中津から来た」とは書いてありませんので。
写真10では「総本家 銘菓 鶏卵かすてら」とうたっていて、「創業昭和五十八年」と但し書きもありました。しかし、商品はどこでも見かけるベビーカステラで、どうしてこの屋台が総本家なのか理解不能です。お客の方もそんな誇張は分かり切ったこと、と深くは考えていないと思います。
写真11
写真12
写真11は、バナナにチョコレートを塗布したバナナチョコを販売している屋台です。暖簾の左右にはキティちゃんのイラストが印刷されていました。著作権の許諾を受けているのかは不明です。当然のように、無断で使用していると思われます。しかし、数日だけ出店し、あちこちに移動してしまう屋台のことですから、著作権者が苦情を申し立てようにも相手を捕捉することはできないでしょう。業者の方もそれが判っているのでイラストを無断使用しているのではないでしょうか。
写真12の暖簾には「コットンキャンディ」の文字が印刷されてました。何のことはない「綿あめ」のことです。直訳すればこの表現となるのですが、和製英語の典型的なものと言えます。なお、綿あめは一番利益率が高い商品のようです。原料はザラメなのですから原価は高が知れています。