児童虐待

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

児童虐待 [ 第3回 ]

 事件記者時代、警察担当のサツ回りの頃、殺しが起きれば、流しか敷カンのどちらか、だった。敷カンは面識犯。被疑者と被害者の関係が濃密な濃カンならスピード解決だが、希薄な薄カンや流しなら難航する。濃カンの動機は恨みか、金銭トラブル、痴情のもつれとシンプルだった。

 

 しかし、時代とともに、様々な要因が絡み合うようになった。年間約1,000件の殺しの9割は敷カン。その6割は家族犯罪だ。今や殺人の半数以上は家庭の中で起きている。DV、親や子殺し、介護殺人……。児童虐待死は毎年50件前後。先の国会で、体罰を禁止する改正児童虐待防止法が成立したが、悲劇の連鎖を断ち切ることは容易ではない。

閲覧にはログインが必要です。→ .
ひきこもり

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

ひきこもり [ 第2回 ]

 既視感があった。惨劇を目の当たりにし、私たちは忌まわしい記憶を封印し、目を背け続けてきたのではないか。そして今、20年近い歳月を経て、暴風が吹き荒れた時代の悪夢がよみがえったのである。

閲覧にはログインが必要です。→ .
昭和、平成、そして令和へ

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

昭和、平成、そして令和へ [ 第1回 ]

「令和」の新時代が幕を開けた。

 30年前の1989年1月7日の朝は皇居で目覚めた。昭和天皇の闘病は111日に及び、時代の終焉が迫っていた。宮内庁2階の記者クラブに泊まり込み、簡易チェアでウトウトした頃、卓上電話が鳴った。壁の時計を見上げると、午前5時を回っていた。

「侍医長が家を飛び出しました」

 昼夜張りついていた記者からの一報だ。昭和最後の長い1日が始まった。

 藤森昭一宮内庁長官が「午前6時33分、崩御あらせられた」と発表し、官邸では小渕恵三官房長官が新元号を「平成」と読み上げた。半旗の向こうに、青空が広がっていた。

 昭和天皇の開腹手術を機に宮内庁担当となった新参記者にとって、皇室は威厳に満ち、神秘に包まれていた。まず驚いたのは、宮中言葉がごく普通に使われていたことだ。

閲覧にはログインが必要です。→ .