オウム真理教秘話(下)

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

オウム真理教秘話(下) [ 第6回 ]

産婆に聞け――。

 

警視庁捜査一課に伝わる格言だ。

「落としの〇〇」と称えられる名刑事に取り調べの極意を尋ねた時、彼は即答した。そんなものはない、と。自分の足で過去をたどり、相手の人生を頭に叩き込む。そのうえで、ホシ(被疑者)に向き合い、勝負時を見定めて、本人も覚えていない出来事をぶつける。「そこまで……」とホシは観念し、完落ちするという。

実家の柱に幼い頃の背比べの傷跡を見つけた時は、「落ちる」と確信したそうだ。この世に生を受けた日まで遡り、相手を知る。それが先輩から教えられたすべてなのだという。

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オウム真理教秘話(中)

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

オウム真理教秘話(中) [ 第5回 ]

 地下鉄サリン事件の衝撃はすさまじかった。平成7年(1995年)3月20日朝、都心の地下鉄に猛毒サリンが撒かれ、13人が死亡し、負傷者は6,300人にのぼった。警視庁はXデーを22日に定め、オウム真理教の一斉捜索に向けて水面下で準備していた。だが、教団に先手を打たれた。延期やむなしの声が上がったものの、警視総監の井上幸彦は首を縦に振らなかった。脅しに屈したことになる、と。トップの決断は揺るがず、警視庁は22日朝、「カナリア先頭」の号令とともに、山梨県上九一色村の教団施設に突入した。

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オウム真理教秘話(上)

平成事件簿 三沢 明彦 [ 特集カテゴリー ]

オウム真理教秘話(上) [ 第4回 ]

 その年の暮れ、私は迷っていた。打つべきか、打たざるべきか。なかなか決断できなかった。

 平成6年(1994年)6月の松本サリン事件では8人の命が奪われ、半年経っても第一通報者が重要参考人とみられていた。当時私は警察庁キャップ。水面下では極秘捜査が進行していることを掴んでいた。長野県警の刑事がサリン原材料物質を追跡するうちに想定外の敵と遭遇したのだ。オウム真理教である。県警が太刀打ちできる相手ではない。警察庁主導の捜査となり、山梨県上九一色村の焦げた土を鑑定することになった。11月半ば、異臭騒動の場所からはサリン残留物質が検出された。教団ダミー会社が原材料物質を大量購入していた事実も浮かんだ。

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