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令和8年のみたままつり(日比恆明)

【特別リポート】
令和8年のみたままつり

 日比恆明(弁理士)

今年も夏がやって来ました。その夏が来る前の4月に、気象庁は早々と予報用語に「酷暑日」という単語を追加すると発表しました。今年の夏は例年に比べて高温になるので注意せよ、という宣言をしたようなものでした。今後気象庁では、

   『酷暑日』  気温が40度以上
   『猛暑日』  気温が35度以上
   『真夏日』  気温が30度以上
   『夏 日』  気温が25度以上

と用語を使い分けるのだそうです。気象庁の予想が正確であったようで、7月14日になると都心では気温が急上昇し、真夏日を飛び越して夏日から猛暑日になってしまいました。こうなると、都心が酷暑日になるのは時間の問題で、8月には連日酷暑日が続くのではないかと想定されます。今から熱中症の対策を立てておかねばならないようです。

 

                写真1

 さて、世界に目を向けてみると、ロシアによるウクライナ侵攻(マスコミでは戦争とは呼ばず、侵攻と呼んでいる)は2022年2月24日に始まり、すでに4年と5カ月が経過していて、現在も継続しています。80年前の太平洋戦争は3年8カ月でした。あれだけ大規模な戦闘が続いた太平洋戦争が3年余で終了したことに比べると、なんと長い戦闘です。ただ、ヨーロッパでは百年戦争という超長期の戦争があったことから、4年や5年の戦争継続は当たり前と考えられているのかもしれません。

続いて、2023年10月7日になるとハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、パレスチナ・イスラエル戦争が始まり、こちらも終局の見通しがつかなくなっています。さらに、今年の2月28日には、米軍とイスラエル軍によるイランへの奇襲が始まりました。こちらはトランプ大統領により戦闘中止の合意案が提出されましたが、締結直前にひっくり返り、戦闘はさらに激しくなったようです。

こうしてみると、世界の3地点で同時に戦闘が継続しているのは1945年以来初めてのことで、これからの世界が不安定さを増していくように思われます。しかし、ウクライナ侵攻は領土の拡張という経済問題が根本にあり(耕作地を増やして経済力を高める)、生活がかかっているので止めそうにありません。パレスチナ・イスラエル戦争と米・イスラエルとイランの戦争の根本は宗教であり、何方も一神教であることから神と神の対決のようなもので、どちらかの宗教に統一しなければ問題は解消しないでしょう。

さらに世界情勢がややこしくなったのは、アメリカの大統領にトランプ氏という歴代大統領の中で飛び抜けた発想を持つ人物がなったことでした。毎日のニュース番組のトップには、トランプ大統領の発言が報道されています。その突飛な言動には驚かされ、批判も多い(殆どが反対意見です)のですが、私はトランプ氏がアメリカ国民に選ばれて大統領になったことはむしろ喜ばしいことと考えています。トランプ氏の言動により、アメリカという国の本質が透けて見えてくるからです。

今まで、日本人の頭脳に刷り込まれていたアメリカという国は、自由で平等であり、民主主義を尊ぶ精神がある、というものでした。しかし、トランプ氏の言動から、アメリカは白人至上主義(KKK集団など)、自国の利益優先(MAGA)、キリスト教至上主義(福音派)などの思考が根本にあると見えてきました。

今まで、アメリカは世界の国に対して平和・平等・民主などと建前を言っていたのですが、本質は全く逆であったとボロが出てきたようです。これから日本人がアメリカという国を分析するには大きなターニングポイントになったでしょう。

 
                写真2

 恒例の靖国神社のみたままつりは7月13日から16日の間開催され、私は13日に出掛けることにしました。この日には奉納歌謡ショーが開催されるからです。写真1は夜9時頃に拝殿を撮影したものです。この日には拝殿と鳥居がライトアップされていました。今年から始まったのかそれとも私が気がつかなかったのか不明ですが、ライトアップされた拝殿を撮影するのは初めてのことでした。


               写真3

 
                写真4

 靖国神社のみたままつりで目をみはるのは参道の両脇に吊り下げられた提灯で、境内には約3万灯の提灯が奉納されているとのこと。大型提灯の中にはそれぞれLED電球が挿入してあるのですが、以前は60W程度の白熱電灯が挿入されていました。白熱電灯は文字通りフィラメントを白熱化させて発光させるので、高温になります。一つ一つの提灯の熱量は小さいのですが、これだけの数になると相当な熱が発生します。

参拝者には参道の両側から熱波が当てられ、トースターに入れた食パンのような状態となり、大変暑く感じられていました。電灯をLED化したことで、今までのような熱波によるサウナ状況は解消され、少しは涼しくなりました。

この日、境内には大型提灯が約1万灯、小型提灯が約2万灯奉納されていました(神社側発表で、正確な数値は秘密です)。大型提灯に60Wの白熱電球に相当するLED電球が使用されているとすれば、一個のLED電球の消費電力は約7Wとなります。小型提灯に10Wの白熱電球に相当するLED電球が使用されているとすれば、一個のLED電球の消費電力は約1Wとなります。これらの数値を基礎にして計算すると、神社に献灯された提灯の総消費電力は約90キロWとなります。

これだけ大量の電力を消費することから、通常の配電では電力不足となるため、みたままつりの期間中は東京電力に依頼し、臨時の電力線を接続してもらっているのだそうです。

みたままつりのような大量の献灯は外国では珍しいようで、提灯の下では外人観光客が記念写真を写していました。写真3はヨーロッパ系の観光客で、写真4はインドネシアからの観光客のようでした。何れにせよ、外国人からすればみたままつりは戦没者を偲ぶ行事ではなく、夏の夜のお祭りの一種と考えているようです。

なお、今年もみたままつりには多数の外国人の姿を見かけました。彼ら彼女らはどのような方法でみたままつりを見つけたのか不思議です。ネットで「MITAMAMATURI」と検索しても外人向けのガイドは出てきません。もしかしたら、外国人向けの特殊な観光案内のホームページがあるのかもしれません。

 
                 写真5

 今年に奉納された大型献灯は約1万灯と発表されていますが、その内の約1割となる1080灯を献灯している団体がありました。毎年、休憩所と反対側の位置で、神門に向かって左側の目立つ場所を占拠するように献灯されています。写真6で矢印で囲まれた範囲に献灯されていました。その団体は北海道を活動範囲とする「八大龍王神」という神道系の宗教団体で、入江聖団とも称しています。

大型の提灯を献灯をするには、2万円かかります。すると、総合計は1080×2万円=2160万円となります。毎年これだけの数を奉納するのは大変なことでしょう。ただ、信仰を金額に換算するのは下衆の勘繰りかもしれません。

 
                写真6

何時ものように、境内には奉納の雪洞が吊り下げられていました。雪洞を寄贈する人達のグループには、
(1) 靖国神社に深く関係している人(崇敬会の総代など)
(2) 現在活躍している文化人(書家、画家、作家など)
(3) 文化人ではないが社会で話題になっている人(但し、思想的に左の方は排除されているようです)
(4) 歌手(奉納歌謡ショーの関係者が大半)
(5) 力士(境内で毎年奉納相撲が開催されるため)
(6) プロレスラー(同じく、毎年奉納プロレスが開催されるため)と大きく分類されるようです。

最近の傾向として政治家の揮毫は目立たなくなっています。また、雪洞は自発的に寄贈したとは思われず、神社が人選して依頼した人だけが寄贈していると考えるのが正しいでしょう。

今年も裏千家の家元の揮毫が飾られていました。従前は千玄室と千宗室の親子の揮毫が吊り下げられていましたが、千玄室は昨年亡くなられたので千宗室の揮毫のみとなりました。その代わり、右側には小笠原流家元の小笠原清忠の揮毫が飾られていました。小笠原流には煎茶道もあるのですが、本業は流鏑馬です。裏千家の揮毫があるのだから表千家の家元の揮毫があるはず、と考えるのが常識です。どのような理由で小笠原流家元が選ばれたのか不明です。

文化人のグループには漫画家も多く見かけられました。見栄えが良く、だれからも理解されやすいからかももしれません。「わたせせいぞう」のイラストが毎年飾られています。生活感が全く無い若い男女のイラストであるため、戦没者の冥福を祈るという神社の趣旨と離れているような気がします。しかし、良い方に考えれば、平和な日本を象徴する男女の生き方を表現している、ということになるのでしょうが。

 
                 写真7

                 写真8

 参道より能楽堂までの一列には、相撲力士達の揮毫が飾られていました。階級順に並べられていて、左側が朝紅龍、右側が欧勝海です。職業が力士なので、揮毫が下手なのは致し方ないのですが、「なんとかなるっぺよ」「にくまん」の文字はどうも感心しません。

 

                 写真9

 こちらはプロレスラーによる揮毫が飾られた雪洞の一列です。ザ・レディA1による「不屈の心」はまともな揮毫なのですが、その右にある清水ひかりによる「焼き芋」の揮毫についてはどうでしょうか。本人は焼き芋が好きなようですが、靖国神社と焼き芋がどのような関係にあるのか不明です。来年はその関連性について説明文を書き加えて頂けないでしょうか。

 

               写真10

 今年も能楽堂では日本歌手協会主催の奉納歌謡ショーが開催されました。写真10は午後5時に撮影したもので、開催までには2時間もあるのですが、神社が仮設したテントの下のパイプ椅子は観客で満席でした。これだけ長い間待機するのは、入場料が無料だからです。今年6月に日本歌手協会が主催した「夏まつり唄まつり」ではステージ近くのスペシャル席は1万2千円でした。

靖国神社の歌謡ショーではパイプ椅子と能楽堂との距離は20メートル程度しかなく、まさにスペシャル席です。多少蒸し暑いのを我慢して2時間待機すれば、歌謡ショーのスペシャル席と同じような権利が得られるのです。時間はあるが金が無い年金生活者達にとってはまさにピッタリの娯楽です。テントの下には毎年お見かけするマニア達をお見かけしました。

 

                写真11

 夜も少し暗くなった午後7時から歌謡ショーが始まりました。今年の出演者は、左から村木弾、松原のぶえ、あべ静江、合田道人、田辺靖雄、こまどり姉妹(敏子、妹)、石岡みどり、工藤夕貴の合計8名でした。プログラムには原田直之の氏名が印刷されていましたが、体調不良のため出演休止となりました。こまどり姉妹の姉、栄子は現在入院中のため代役として石岡みどりが出演しました。

この歌謡ショーには歌手協会から会員の歌手が派遣されるのですが、過去には大津美子、大川栄策、三浦光一、弘田三枝子、二葉百合子などの大物歌手を鑑賞させて頂きました(しかも、無料で)。しかし、最近は出演する歌手が固定化されてしまい、マンネリ気味となっています。歌手協会には、未だ靖国神社で奉納歌謡ショーに出演されておみえにならない歌手が多数お見えになります。北島三郎、天童よしみ、倍賞千恵子、美川憲一、由紀さおりなどです。来年からは、1名で結構なので目玉となるような大物歌手を出演させて頂けないでしょうか。

毎年出演されいるあべ静江は持ち唄の「森の水車」と「みずいろの手紙」を歌ってくれました。以前は同じ衣装で出演されていましたが、昨年からは毎回違った衣装で出演されてます。特別収入があったのでしょうか。歌に合わせて水色を主体とした布を合わせたようなデザインの膝下のドレスでした。ほぼ同じデザインのため専属のデザイナーがいるのでしょうか。あべの顔を見ると叔母さんなのですが、声は明るく弾んだ高校生のような声でした。やはりプロは違うな、と感銘しました。

 
               写真12

 
                写真13

 明るい色調の和服姿で出演したのは御年88歳のこまどり姉妹の妹、敏子でした。姉の栄子は誤嚥性肺炎のため昨年3月から入院中で、妹だけの出演となりました。岸壁の母を歌ったときは敏子だけでしたが、三味線姉妹を歌う時には姉の代わりに石岡みどりが共演していました。現在、こまどり姉妹として出演する際には、敏子と石岡の組み合わせで全国の歌謡ショーに出演しているのだそうです。

なお、体力的な問題なのかハンドマイクが持てず、今回の出演者の中では敏子だけがスタンドマイクを使用していました。相変わらず声は良いのですが、高齢のためと以前に脊椎を傷めたため一人での歩行は困難なようでした。

 

                写真14

毎年出演されている松原のぶこは「九段の母」と「蛍」を歌ってくれました。「九段の母」は二葉百合子によるものが有名ですが、最初は塩まさるという歌手によって発表された曲です。戦時中の塩まさるは軍歌調歌謡曲を歌って大ヒットしたのですが、戦後は社会環境が変わって鳴かず飛ばず状態となったようです。

私は30年位前に或る事情により塩まさると面会することがありました。その頃は足立区にあったスーパーの社長が塩まさるの後援者であったため、スーパーの二階が自宅でした。その後、90歳を越してから超高齢歌手ということで有名になり、テレビにカムバックしました。

 

                写真15

 今年初めての出演は村木弾という歌手で、船村徹の最後の門下生だそうですが、ヒット曲は無く、これからの人でしょう。その服装、リーゼントの髪形から判断すると、演歌よりもロックンロールが似合っているのではないかと思うのは私ばかりではないでしょう。

 
                写真16

 井沢八郎の娘である工藤夕貴は父親の持ち歌の「あゝ上野駅」を歌ってくれました。集団就職のために汽車で上京した若者の気持ちを代弁するような歌なのですが、これからこの歌がどのように評価されるか問題です。当時の中学卒業生は「金の卵」と言われ(当人にとっては金ではなく、中小企業の経営者から見た場合には金のような価値である)、集団就職列車に乗って上野駅に到着したのでした。

集団就職列車の最後は1975年(昭和50年)で、逆算すると最後の就職列車で上京した中学卒業生は現在66歳になり、定年退職しています。これからこの歌を聞いて、上野駅を懐かしく思い出す人は減ることはあっても増えることはないでしょう。

これは私だけの思考なのですが、「あゝ上野駅」という歌に感動を受けるのは東北6県の出身者だけで、他の地域から上京した若者達は感動しないでしょう。東京に職を求めて集団で上京したのは、鹿児島、宮崎、沖縄などからも多くいました(四国地方、中国地方は関西方面に就職することが多い)。彼ら彼女らの多くは、フェリーで晴海に上陸したはずです。フェリーで集団就職した人数は、東北6県から集団就職した人数に比べると少ないでしょうが、相当の人数であったはずです。すると、「あゝ晴海桟橋」のタイトルで「・・就職フェリーに揺られて着いた、晴海はおいらの上陸地点だ・・・」という歌が出ても奇怪しくはないはずです。

毎年、奉納歌謡ショーで悩まされるのはその暑さです。狭い境内に昼間の熱がこもり、むっとするような湿気に耐えなけれなりません。今年は、午後に軽く雨が降り、歌謡ショーの始まる7時前には雨は上がりました。打ち水をしたようなもので多少の湿気はあっても例年のような蒸し暑さはなく、楽しく鑑賞することができました。

しかし、歌謡ショーとの開幕と同時期に、大村益次郎銅像の周りでは盆踊り大会が始まりました。盆踊りでは、音頭を取るため仮設のやぐらの上で大太鼓が叩かれていました。このため、歌謡曲の合間に、「ドンドコ、ドンドコ」という大太鼓の音が聞こえ、少々興ざめでした。

 
               写真17

 この日、九段坂の歩道脇では屋台と警察官とのトラブルがありました。歩道脇の芝生の上に道具を載せ、これからかき氷の屋台を始めようとした男と警察官4名が何かやり取りしていました。屋台をする場所は公道ではなく、公園の扱いのようで、道路交通法が適用されないようでした。このため、警察官は「道具を撤去して立ち去るように」と口頭で注意するのみで、実力行使ができないようでした。

屋台の親父は威勢の良い人で、警察官を相手にこの場所で営業できる権利がある、ことを延々と説明していました。この後、どうなったかは不明ですが、警察官による営業妨害で仕事ができず、自発的に撤退したのではないかと思われます。

なお、この屋台で使用していたかき氷の機械は今時は珍しい手動のものでした。骨董品とも言える機械をどこから持ち出したのか不明ですが、こんなことをして生活を続けてきた根性はたいしたものでした。