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令和8年8月15日の靖国神社(日比恆明)

【特別リポート】
令和8年8月15日の靖国神社

 日比恆明(弁理士)

今年の夏は大きな災害が続きました。7月28日、熊本県宇城市付近でマグニチュード7.1の熊本地震が発生しました。被害は死者38名、負傷者123名、住宅被害7285棟(8月4日発表)となりましたが、一番驚かされたのはイオンモールの爆発でした。監視カメラなどにより撮影された爆発の瞬間が動画によりテレビで放映されました。何らかの原因でガスが充満し、巨大な建物が吹き飛ぶ様子は初めて見る建物破壊でした。静止画であったなら、被害を大きなものとは感じないのですが、動画であっては破壊力の大きさをリアルに理解することができました。

  さらに下って8月11日になると、茨城県には歴史始まって以来初めて台風が上陸しました。台風による被害はあまり大きなものでは無く、その後熱帯性低気圧となり西日本の方向に移動していきました。

  台風による影響は薄かったのですが、13日になって千葉県には線状降水帯が発生し、記録的な豪雨となりました。千葉市は、24時間に360ミリメートルの降雨量となり、いたる所に冠水が発生して自動車が動けなくなりました。被害は、死者13名、床上浸水1206棟、床下浸水1619棟、公道に放置された自動車は3000台以上となりました。

  さて、7月21日に気象庁が発表した天気予報では、8月15日は最高気温が32~33度の厳しい暑さになると予想しました。しかし、関東地方がこんな天候であったことから、天気予報は見事に外れ、8月15日の実際の天気は午前中は曇り、午後は小雨で、最高気温は29.7度、最低気温は24.4度と低く、誠に過ごしやすい終戦の日となりました。

                 写真1

  写真1は11時40分頃の神門から中鳥居方向を眺めた光景です。例年のように参道には参拝者の行列が続いていました。今年の参拝者数は5万5千人で、昨年の6万3千人から8千人ほど減少しています(靖国神社発表)。人数が減少した理由は不明ですが、昨年は終戦80年目という節目の年であったことから参拝に来られた人が多かったのではないかと推測します。

今年は「英霊にこたえる会」「日本会議」などの集会はなく、参拝の終わった人達はそのまま帰路に向かわれていました。暑いので、特別なイベントが無ければ境内に留まる必要もなく、近くの喫茶店で涼みたいのが本音でしょう。また、今年は高市首相は参拝を見送ったのですが、自民党の役員、閣僚などが昇殿参拝を行っており、近隣国からの反発を予想して境内での警備が厳重となったことも参拝者が滞留しなかった理由かもしれません。

                 写真2

                写真3

   本年4月、昨今は異常気象により気温が今まで経験したことのない温度に上昇したことから、気象庁は新しい気象用語を発表しました。従来は気温が30度以上になると「真夏日」、35度以上になると「猛暑日」と呼んでいたのですが、これからは気温が40度以上になると「酷暑日」と呼ぶことに決定しました。地球温暖化により、日本でも気温40度になることは珍しいことではなくなりました。

  終戦の日に靖国神社の境内が酷暑となり、熱中症により参拝者が倒れたら大変です。戦没者を弔う人が熱中症により弔われるようになったのでは本末転倒になります。このため、神社側では酷暑なることを想定し、色々な対策を立てていました。写真2は拝殿前の参道に設置されたミストシャワーです。参拝者の列に対して直角方向に給水ホースを架け渡し、給水ホースには多数のノズルを固定してありました。給水ホースは何列も平行に配置してあり、各ノズルから水をミストにして放出させていました。参拝者にミストを浴びせて、気化熱で参拝者の身体を冷やすように配慮していました。

  昨年もミストにより参拝者の身体を冷やす対応はしていました。しかし、昨年は写真3にあるように参道と平行に給水ホースを架け渡し、参拝者の列の横方向からミストを噴射するものでした。これでは参拝者全体を冷やす効果は薄かったでしょう。

                写真4

   神社側ではミスト散布による参拝者の身体を冷やすだけでなく、身体から蒸発した水分を補給して熱中症になるのを防ぐ対策もしていました。写真4は昨年に手水舎の横に設置されたテントで、ここではドリンクを「販売」していました。

                 写真5

                写真6

   今年は、同じ場所にテントを建て、麦茶を「接待」していました。飲料水の補給で熱中症を予防するのは正しい対処なのですが、「販売」と「接待」とでは全く意味が異なってきます。ドリンクを購入できなかった参拝者が熱中症により参道で倒れたらどうなるでしょうか。社会的な批判を浴びないように、神社は麦茶を「接待」し、万全の対策を立てられたようです。

  参拝者には麦茶を無料で配給していました。無料なので手を抜いたものではないか、と勘繰りました。例えば、水道水に麦茶の素でも混ぜ、麦茶の色をした水でも配給しているのではないかと邪推しました。しかし、そうではなかったようです。写真5は麦茶を準備している様子を撮影したもので、トレーに並べた紙コップに2リットルのペットボトルから麦茶を注いでいました。奥のテントの中では大きなプラバケツに氷水を張り、その中にペットボトルを投入して冷やしていました。金額の張るペットボトルの麦茶を配給したのは、病原による感染を防止するためではないかと思われました。熱中症対策には金と手間をかけられてみえました。

                 写真7

  この日は昇殿参拝をする一般参拝者が多く、参集殿入口は混んでいました。今年も英霊にこたえる会では全国戦没者慰霊の昇殿参拝を行っていました。その看板の前で若い人達が指でサインをして記念写真を撮っていました。指二本のピースサインなら今風なのですが、反面、軽はずみなピースサインでは英霊に対して失礼ではないか、とも考えられます。何れにせよ、若者が記念撮影する時に掲げる二本指のピースサインは靖国神社には似合わないでしょう。

  しかし、この若者達は、ピースサインでは無く三本指を立てていました。三本指を出す意味は、独裁主義に反対し、民主主義を支持するということです。元々は映画「ハンガー・ゲーム」の中で表現されたのですが、ミャンマーにおける軍事政権に反対する若者達が使用するようになったのが由来のようです。この看板の前に立つ若者達は何に対して反対し、何を支持しているのか不明です。二本指では軽く思われるので三本指で平和を表現したかったのでしょうか。

                写真8

  今年の靖国神社のあちこちには、「お願い」と称して二つの協力事項が告知されていました。それらは、

    一、コスプレ衣装の着用

    一、軍装(軍服、軍事装具等)の着用

  での参拝をご遠慮願いたい、というものでした。

  この「コスプレ衣装」について真先に連想するのは、男性が女性の服装を着用する女装です。コスプレには女装以外にも多種類の意味があり、女性が男性の服装を着用する男装や中年女性が少女のような服装をするロリータコスプレ、アニメのキャラクターに紛するアニメコスプレなどがあります。すると、どこまでがコスプレではなく許容できる範囲であるかという線引きが難しくなります。あまり厳重に考えると、昨今有名なLGBTQの問題につながりかねません。この辺は慎重に対応しないと、関係団体から苦情が来るのではないかと想定されます。

 次に、「軍装」ですが、これは単純に旧日本軍の軍装もしくはそれに近い衣装を意味するものでしょう。靖国神社にはアメリカ軍や中華民国軍の軍服を着用して参拝する人を見たことがありませんので。この告知は旧日本軍の軍服を着用したマニアを標的にしたものとしか考えられません。戦後80年が経過したことから、神社側としては旧日本軍のイメージを断とうとしているのかもしれません。また、旧日本軍の軍装をしたマニアが境内にたむろすると、中国、韓国のマスコミの恰好の餌食となり、現地のニュースに大きく取り上げられることになりかねません。神社としては、ただでさえ東南アジアの国々から批判を浴びているので、ここらで軍装マニアを排除し、海外からの誤解を防止したいのではないでしょうか。

  また、「軍装」の左側には小さな文字で「ご自身の所属や資格に基づく、制服としての軍装については、お願いの対象外です」と注意書きがありました。簡単に説明すると、「自衛隊員の軍装では参拝を許可します」という意味になります。しかし、「資格に基づく」という意味の解釈が難しくなります。どうも、消防士、海上保安官などが該当するようです。もう少し広く解釈すると、総理府に登録した政治団体の会員が統一した制服(一般には戦闘服と呼ばれる)を着用した場合も該当することになるでしょう。これも線引きが難しくなるようです。

                写真9

   写真9は、神社入口より九段坂下方向を撮影したものです。この日は地下鉄の駅から参拝者が後から後から出てきて、人の波が途絶えることはありませんでした。これだけの人数が続くのは終戦の日だけなのです。

               写真10

               写真11

   この日、九段坂にある歩道橋には見物の人達で鈴なりでした。この歩道橋は靖国神社と武道館を結ぶものですが、日頃はこの歩道橋を利用する歩行者は少なく、こんな光景が見られるのも終戦の日だけでしょう。見物客の視線は九段坂下の方向に向けられ、靖国通りの路上で行われている交通規制を眺めていました。

  歩道橋の上から撮影したのが写真11の風景です。例年、この日には同じ場所で交通規制が行われているのですが、今年は従来とは異なった規制でした。以前の交通規制は主に街宣車を対象としたもので、新宿方向から神田方向に向かう街宣車がここに到着すると、警官が飛び出してきて街宣車を停車させ、反対方向に引き返させていました。規制の目的は不明ですが、どうも街宣車が九段坂下より右折して皇居前広場に向かうのを阻止させるためではないかと推測されます。従って、従来の交通規制は街宣車だけを狙い撃ちしているため警備は比較的緩やかなものでした。

  今年の交通規制は従来とは異なり、カラーコーンを斜めに配置し、片側三車線の道路を一車線に絞り、通過する全車両を検査していました。また、従来は配備されていなかった白バイも緊急追跡のために配備されており、不審車両の摘発に相当の力を入れていることが判ります。

  このように従来とは違った厳重な警備が行われたのは、反日活動があるのではないかと予測したからだと思われます。高市政権が発足してから台湾有事の発言があり、この件で中国政府との関係がギクシャクするようになりました。今年は高市政権が始まって最初の終戦の日であることから、予測できない事件を防止するため最大限の警備体制になったのではないかと推測されます。

                写真12

   今年も九段坂下の地下鉄の出口から靖国神社に向かう歩道には、各種のビラを配付する人達が一列に並んでいました。各種の団体、個人がそれぞれの主張を印刷したビラ、チラシを配付するのですが、その内容はその時の社会情勢によって違ってくるようです。以前は北朝鮮による拉致事件を取り上げた団体が多かったのですが、最近は減少する方向にあります。また、慰安婦問題について反対する団体も減少しているようですが、これは韓国本国での活動が下火になりつつあるためと考えられます。今年は、プーチン首相による北方領土の訪問があったことから、北方領土奪還を主張したビラが増えていました。

  この九段坂でのビラ配りには宗教関係者も多く、法輪功、キリスト教(もろみの塔)、神道系などがあります。その中で最近目立って多くなってきたのは日蓮宗系の顕正会です。富士山マークでお馴染みの顕正新聞を配っていましたが、これだけの人数が並ぶのは壮観でした。なお、写真12には写っていませんが、歩道の右側にも同じ人数の顕正会の人達が並んでいました。

               写真13

               写真14

   靖国神社の入口の歩道では、顕正会の信者らしき女性が拡声器を使って顕正新聞の記事を読み上げていました。この日の新聞の内容は、高市政権の政策の批判や高市首相の個人的な疑惑でした。顕正新聞では高市政権を特に誹謗しているのではなく、今までの各政権もそれぞれ誹謗してきたようです。顕正会の目標は、「富士山に国立戒壇を建設すること」であるため、それに賛成しない政権を敵視しているのでしょう。女性が神社に向かって新聞記事を読み上げていたところ、2、3人の右翼団体の若者から「ここで叫んでいないで、あっちに行け」と文句が出たようでした。暴力的にはならなかったようですが、女性と若者との間でもめることになりました。直ちに、近くにいた私服、制服の警察官が両者を引き離して解散させていました。

  この日、参道の休憩所付近で、元気のいい叔父さんが新聞記者を追いかけているのを目撃しましたが、やはり警察官により引き離されていました。終戦の日に神社で参拝者同志でトラブルになることは滅多に無く、珍しい体験でした。

                写真15

   例年、私は千鳥ケ淵にある戦没者墓苑に出掛け、首相が献花する姿を撮影してきました。これまでは10時55分頃までに入苑し、そのまま墓苑内で待機していれば首相が参拝する姿を観察することができました。しかし、昨年は10時30分から11時15分の間、一般参拝者の入場が規制されていました。昨年の私は10時45分に墓苑に到着したので入苑することができませんでした。今年は余裕を持たせて10時15分に墓苑に到着したところ、10時20分から11時30分の間は一般参拝者の入苑ができない措置となっていました。辛うじて入苑することができたのですが、入苑後5分して墓苑から追い出されました。

  戦没者墓苑の入場制限について、過去のの経過を説明すると次のようになります。令和6年まで、首相の公用車が入苑する30分くらい前までは一般参拝者は自由に墓苑に入苑することができました。一旦入苑すると、そのまま墓苑内で待機していても構いません。首相が入苑すると苑内には規制線が張られ、一般参拝者は首相の道筋から50メートルほど離れた位置にまで追いやられます。だが、一般参拝者は離れた位置から首相の参拝を観察することができました。そして、首相の参拝が終了して公用車が墓苑から退出して5分くらい経過すると規制線は解除され、一般参拝者は墓苑内を自由に歩き回ることができました。

  昨年からこの規制が厳しくなり、規制された時刻よりも前に入苑しても、定刻になると一般参拝者全員が墓苑から追い出されるようになりました。どのような理由で昨年からこのような規制強化が始まったのか理解できません。安倍元首相の銃撃事件から警備が厳重になったのは理解できるのですが、銃撃事件の影響で規制強化したというなら令和4年から同様な規制を行えば良いはずですが、事件から3年も経過した令和7年から墓苑への入苑規制が強化したというのは全く腑に落ちないものです。

                写真16

                 写真17

  こうして、今年は墓苑に入苑できたのですが、墓苑に滞留できたのは5分間だけでした。しかし、首相が墓参する直前における墓苑の様子を撮影することができました。

  写真16は、首相に渡す献花を用意したテントです。この日に用意された献花は7束であったことから、首相の他に6名の閣僚が参拝するのでしょう。各献花には氏名を記載した紙片が付されていたので、反対側から紙片を撮影しようとしたのですが女性SPに阻止されました。

 写真17は、首相が献花する前の六角堂内部です。今までは献花が終わった後の献花台を撮影していたので、献花台には献花が置かれた状態でした。今回はこれから献花が始まるため、白布の上には何も載っていません。不思議なことに、献花台の奥の方には宗教用具のような壺と菊花が置かれていました。もしかしたら、この日の午前中に宗教団体が開催した行事に使用した用具を置き忘れたのかもしれません。過去の写真と比較したのですが、用具が残っている年と残っていない年があるようです。この理由は不明です。

  毎年、8月になると戦争関係の特集番組が放送されます。戦争番組はほぼNHKの独占であり、民放から放送されることは余りありません。戦前の記録フィルム、資料を保存しているのはNHKだけであり、民放では編集することができないからです。テレビ局が8月に戦争特集を放映する理由は「平和を学習するため」という大儀なのだそうですが、それほど平和を考えるのであれば、8月だけに限らず一年中放送してもいいと思うのですが。

  さて、最近の戦争番組を鑑賞すると、アメリカの政策を批判するような内容が見かけられることがあります。今年8月6日にNHKから「原爆ドーム  世界遺産登録の”舞台浦”というタイトルで特集番組が放送されました。内容は、1986年に原爆ドームがユネスコの世界遺産に登録されるまでの裏事情をまとめたものでした。日本は被爆国の象徴として原爆ドームを永久保存したい民意があり、ユネスコに登録の申請をしました。しかし、アメリカによる原爆被害の実態を後世に残すようなもので、戦争を早期に終結させるために原爆を使用した、という大儀が薄くなってしまうことからアメリカは反対していました。結果として、アメリカは賛成も反対もせず、原爆ドームはユネスコにより世界遺産として登録され、恒久的な遺産として認められた、というストーリーでした。番組ではアメリカによる反対については軽く触れられていましたが、アメリカは相当強力な反対活動をしたのではないかと推測されます。なぜなら、アウシュビッツの収容所と同じように、原爆ドームはアメリカによる虐殺を象徴するような遺物なのだからです。この点については、特集番組ではサラッと流していましたが、原爆ドームが世界遺産に決定されたのはそれほど簡単な経過ではなかったものと確信しています。ユネスコで世界遺産に決定されるまでの本当の経過が表に出るのは50年後でしょう。

  今までの戦争番組では戦争の残虐性を強調し、「平和は尊いもの」「戦争には反対」という抽象的な表現で最後を締めくくる内容が多いものでした。しかし、最近の傾向ではアメリカによる戦争責任を問うような番組も増えてきています。戦後80年も経過してきたことから、今までとは違った視点で戦争というものを評価する時代に入ってきたようです。