【特別リポート】
「2017年の『旧車天国』」
日比恆明氏(弁理士)
今年も11月19日にお台場で開催された「旧車天国」に出掛けてきました。このイベントに出かけるのは今年で4回目となりました。
このイベントの目的は、現在は販売されていないが、クラッシックカーと呼ぶほど古くはない自動車、オートバイをマニアが展示し、それを鑑賞するというものです。
写真1は、日頃は駐車場として使用されているお台場の空き地に並べられた旧車です。一見すると、中古車のフリーマーケットのように見えますが、並べられた自動車は売り物ではなく、全てマニアの大切なお宝なのです。展示されている旧車の台数は700台以上でした。また、今年は昨年よりも来場者が増えており、このイベントが年中行事の一つに定着しつつあるようです。
写真1
なお、海外、特にヨーロッパでは休日になると空き地に中古車が並べられ、自動車の個人売買が行われています。この写真のような風景に似ていて、海外旅行などでお見かけした方も多いかと思います。海外では付加価値税が非常に高く(16~25%)、中古車店が成り立たないのです。このため、個人間での直接取引が盛んになっていて、広場などには自動車を売りたい人とそれを買いたい人が集まるのです。こちらはマニアが集まるのではなく、実用的な中古車を安く売買するという市場なのです。将来的には、日本でも消費税が15パーセント以上の高率になったら、全国各地で中古車のフリーマーケットが開催されるでしょう。
写真2
写真3
今年の会場の入口は写真2のような光景でした。写真3は2年前の同じ場所で撮影したものです。この時は来場者が200メートル近く並び、行列の最後尾は船の科学館駅まで続いていました。この日の入口を見た瞬間に、私は「あれ、今年は来場者が激減したのではないか」とこのイベントが不人気になったのでは、と思わず勘繰りました。
しかし、会場内は昨年以上に来場者で混み合っていて、私の疑問は思い違いでした。2年前は、当日の入場券を購入する人達が行列していたのですが、入場券の売り場に到着するだけで30分掛かっていました。以前にこのイベントに来場した皆様は、行列に並ぶことによる時間のロスに閉口されたのでしょう。すでに昨年に体験しているため、今年の来場者の大半は前売り券を購入されていたのです。前売り券はコンビニなどでも購入できるので、こちらの効率的な入場方法を採っていたのです。これが、入口で行列を見かけなかった理由でした。
写真4
このイベントでは同じ持ち主の同じ車両が毎回出品されていることもありますが、会場の車両が全て毎年同じであれば来場者は飽きてきますので、出品する車種は調整しているようです。ざっと、三分の一は同じ車両で、残りは入れ代わっているような気がします。さらに、5パーセント程度の車両は目玉になるような旧車が出品されています。
毎年、全ての車両を入れ換えていれば来場者にとっては新鮮な印象を受けるはずですが、実現は無理でしょう。主催者の意向かそれともマニアの気分によるのか、偶然にもその年に始めて出品される珍品の旧車があります。多くの旧車の中から、驚くような珍車を見つけるのが醍醐味なのです。
写真4は、遠くからはロールスロイスのように見えたのですが、近くによって観察すると、エンブレムは全く違っていて、アメリカ製のレプリカ車でした。車長は長く、派手な色なので目立つのですが、全く実用性の無い車のようです。どこで走行しているのか不思議です。
写真5
写真5は戦前のアメリカ車で、きれいにレストアされていました。このような1940年代のデザインの旧車は珍しさよりも親しみが湧いてきます。その理由は、映画によく出てくるからです。当時のアメリカの大衆車であり、大量に生産されたため、その頃のニュース映画には必ずといっていいほど出てきます。また、戦前をテーマとした劇映画には、その時代の雰囲気を出すために利用されています。
その昔、テレビの普及しはじめた頃、テレビで放映されていたアメリカのギャング映画(アル・カポネの時代)には必ず出ていた車種ではないかと思われます。この頃のアメリカは世界で最も繁栄していた時代であり、このような大衆車はアメリカのサラリーマンであれば購入できました(自動車ローンは既に始まっていた)。トランプ大統領が「アメリカ・グレート・アゲイン」と叫んでいて、このような繁栄の時代に戻りたいと主張しています。すると、アメリカでこれから製造される自動車はこのようなレトロなデザインになるかもしれません。
なお、現在のアメリカでは、このようなレトロな中古車の足回り、塗装などを手入れして販売する中古車屋が多数あるようです。現地では、似たような旧車が走行しているのを良く見かけました。
展示された旧車の回りにはこれらを撮影しようとするマニアが群がっていました。鉄道列車を撮影するのが趣味の人は「撮り鉄」と呼ばれていますが、彼らは「撮り車」といったところでしょうか。
写真6
写真7
今年始めて見たのは写真7の軍用車両で、形状からしたらアメリカ軍のハマーかと思ったら、れっきとした陸上自衛隊の輸送車でした。トヨタ製で、足回りはランドクルーザーと共用しているとのこと。自衛隊が車両を払い下げる時には、車体を切断してスクラップとして放出するそうで、これはそれをつなぎ合わせて再生したものです。このため、走行は出来るのですが車検は通らないそうです。
アメリカ軍ではそのままの状態で払い下げるのですが、日本の役所は頭が固く、鉄くずでなければ払下げしないようです。無駄なことをするものです。スクラップとして払い下げられた自衛隊用の車両は、東南アジア、特にフィリピンに輸出され、現地で再生されて使用されているそうです。
写真8は、第2次世界大戦中にアメリカ軍が使用した水陸両用車で、後ろから見ると写真9のようにスクリューがあります。かなり前のことですが、払下げられた水陸両用車を夫婦で運転して世界一周し、日本にも立ち寄ったという手記を雑誌で読んだことがあります。多分、文芸春秋ではなかったかと思います。
その時に使用されたのがこの車両と同じ形式であったかは不明ですが、道路事情が最悪であった当時のインドや中近東を走破したのはたいしたものです。その頃の日本は発展途上にあり、世界一周の旅などは夢の世界でした。それから20年もしないうちに、日本人は世界一周どころか南極北極まで旅行できるようになったのでした。
写真8
写真9
会場のあちこちには、同好のマニアのグループが懇親会や交流会をしていました。写真10は一番勢力のある「ダットサン会」の会場で、旧車についてのウンチクを話されていました。この他に、プリンス会とかロータス会などが親睦会を開いていて、マニアの派閥が形成されているようでした。
写真10
ダットサン会ではご自慢のダットサン車を展示していました。写真11は昭和40年頃のものですが、良く見ると写真12のようにそれぞれクランクが差し込まれていました。どうも、セルモーターでは始動しないので、クランクで始動しているようでした。現在はクランクと言っても理解できる若者は皆無かと思われますが、昭和40年頃にはエンスト(この単語も若者には理解不能)したエンジンを手動で始動するために使用するものです。田舎の砂利道では、時々運転手が汗をかきかきクランクを廻しているのを良く見かけました。
写真11
写真12
今年の会場には、旧車と呼ぶには縁遠いような中古車も出品されていました。旧車というよりもポンコツと呼ぶのが相応しいかと思われました。
写真13
写真14
写真15
写真16
写真13は昭和43年製の救急車で、当時はこんな形の救急車だったようです。そもそも、私の田舎では救急車というものが無く、このような緊急車両が活躍していたことは全く知りませんでした。
写真14は昭和37年製のプリンスマイラーというトラックです。写真15は昭和33年製のホープスターという三輪車です。さらに、写真16は浜松にあったロケット商会という会社が製造したオートバイです。これらは旧車と呼ぶよりも、スクラップ若しくはガラクタと呼ばれる分野ではないかと思われます。珍しい旧車なのですが、素ピンで暖簾から顔を出した居酒屋の女将さんという雰囲気でした。
写真17
写真18
会場内には、マツダのプレートがある軽四輪が展示されてましたが、見たことの無いデザインでした。これは昭和36年に戦時賠償でミャンマーに送られた自動車で、国内では販売されなかったものです。それを現地で買いつけて日本に里帰りさせたそうです。巡り巡って出戻りしてきたという、いわれのある車も出品されてました。
旧車天国には全国から自慢の愛車を出品したい人達が集まってきます。愛車を会場に搬入するには、所有者が自力で運転するかキャリアーカーで陸送するかのどちらかです。会場内には全国各地のナンバープレートを見かけました。一番遠方から出品されたのは帯広と大分でした。遠路はるばると参加され、ご苦労さまでした。
写真19
写真20
写真21
写真22
会場にはステージが設えられ、各種のライブが演奏されてました。写真21ではKISSというロックバンドが出演しており、ロックの音楽をガンガン鳴らしてました。この道では有名らしいのですが、私には全く理解不能の音楽でした。
さて、このステージの反対側には各種商店のブースが並んでいて、音声は遮蔽物は何もなくそのままブースにまで届いていました。災難なのはブースで店番している人達で、一日中耳をつんざくような音楽が容赦なく浴びせられるのです。会話ができない程の音量のため、こうなると拷問のようなものでした。店番していた人達は「とんだ場所にブースを開設してしまった」と申されてました。
今年の出店には写真23のようなマニアのブースもありました。ここで展示しているのは自分で撮影した旧車の写真集で、単なる旧車の写真ではなく、全国のあちこちに捨てられた廃車を撮影したものです。道路脇や山林に捨てられ、再生されることなく草むした状態になった中古車を好んで撮影したものです。旧車を所有するのではなく、車の墓場のような状況を撮影するのが趣味のようです。趣味もいきつくとこのような分野も一つのジャンルになるようです。
そういえば、放棄された旅館やホテル、病院などを撮影する「廃墟マニア」というのがありますが、廃車を撮影する趣味は、廃墟マニアから分岐したものではないでしょうか。
写真23
写真24
例年、旧車天国には車の部品や中古品を販売する業者が出店するのですが、今年はその数が多いような気がしました。写真25、26はお馴染みの光景で、フリーマーケットという雰囲気がプンプンします。旧車を見るのに飽きたり、亭主が旧車を見て回っている間に家族がフリーマーケットで時間を潰す、ということになります。この種の出品は大半が中古品であり、スーパーやデパートなどでは売っていないものばかりのため、時間潰しにには絶好です。来年はもっと露天業者の出店を増やして欲しいものです。
写真25
写真26
露天業者は色々な商品を出品していたのですが、写真27では自動車のカタログだけを販売しているブースです。今は販売していない自動車のカタログで、5百円から2千円程度でした。この商売は面白いと感じました。元はタダのカタログであり、それを10年ほど自宅で保管して販売すれば数百円に化けるのです。しかも、古ければそれだけ価値が上がるので、漬物と同じようなものです。
新規上場の株を購入して値上がりを待つには元手がかかります。しかし、カタログは無料で投資できるため、効率は極めて良いはずです。写真28はホーロー看板を販売している業者です。田舎の商店の壁に掲げられていた看板を外して販売しているのです。これも元手はかからないでしょう。
写真27
写真28
露天業者の出品の中で一番驚かされたのは写真29の不祝儀袋です。1袋10円で販売していました。百円均一よりも安いことは安いのですが、お台場まできてわざわざ不祝儀袋を買い求める人がいるのか疑問です。写真30は柿を販売している業者です。山梨県から来たというので、自宅の庭にはえている柿の木からもいできたのでしょう。こちらは結構人気があり、売れ行きが良いようでした。
写真29
写真30
さて、今年の旧車天国では、会場の空き地に休憩所が設置され、家族連れが休んでいました。陽の光を浴びて、広い会場を歩き廻るのは健康に良いものです。秋晴れのホカホカとした気候であり、一家団欒にはもってこいの環境なのです。パチンコとかカラオケのような密室での遊びではなく、青空の下で一日楽しめる健全な遊びなのです。
来年の旧車天国も抜けるような秋晴れであって欲しいものです。
写真31