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「平成30年建国記念の日の靖国神社」(日比恆明)

【特別リポート】
「平成30年建国記念の日の靖国神社」

日比恆明氏(弁理士)
 
本年の建国記念の日に靖国神社にでかけてきました。境内で見てきたままを報告します。


       写真1
 
今年の建国記念の日は、薄曇りの気候で、時々薄日が射すような日でした。気象庁発表の最高気温は14.9度ということでしたが、風が強く、それほど温かくは感じられませんでした。

また、今年は37年ぶりの豪雪となり、全国で雪が振りました。裏日本では久しぶりのドカ雪となり、積雪が2メートルを越え、山形県では4メートルを記録しています。天候変化の原因は、太平洋側の低気圧が弱く、大陸からの寒気を押し戻せないとか、ラニーニャ現象による影響だとかと言われてます。

東京でも1月22日に20センチの積雪となり、交通機関が混乱しました。積雪から20日を経過したこの日も、都内の日陰には未だ雪が残っていて、寒い日が続いていました。何れにせよ、自然現象であることから、大雪を防ぐことはできず、ただただ耐えるのみです。

この日の靖国神社の拝殿には紫の幕が吊り下げられていました。通常の日は白の幕が吊られているのですが、大祭のある時だけ紫の幕が吊られます。紫の幕が吊られているのは正月以来で、一ヵ月ぶりのことです。参拝者の人数は例年程度と推測され、この日の寒さを考慮すれば、出足は良い方ではないかと思われます。

        写真2

        写真3
 
この日、境内での大きな変化は参道の中央に仕切りの柵が設置され、参拝者は半分の幅の参道を歩かなければならなくなったことです。

1ヵ月前の正月にはこのような柵は設置されていませんでした。柵が設置された理由は、写真2、3にあるように、参道の両側に仮設のパネルが張りめぐらされ、両側で改修工事が行われているためです。

駐車場側では写真4にあるように、舗装が剥がされて工事が行われていました。駐車場の舗装は径年変化により凹凸が発生したため、舗装をやり直すことになったのです。地面を掘り起こし、再度舗装を施工することで駐車場を平らにするのだそうです。この工事のため、駐車した参拝者の車を出庫させるために、参道の半分を一時的に車道に利用しているのです。この工事は3月中には完了する予定であり、桜の咲くころには駐車場は一新されるでしょう。

写真2の左側にもパネルが張りめぐらされていますが、これは大村益次郎銅像から茶店の間の北側の一帯を公園にする工事に取りかかったからです。工事は来年春でなければ完了しないため、今年の春にはこのあたりの桜花を楽しむことは期待できないでしょう。

        写真4

        写真5

この日の靖国神社では、例年のように政治団体の一行が参拝に来られていました。団体による参拝は年々減少しており、今年は午前中で2団体の参拝を観察しただけでした。

20年前の建国記念の日であれば、街宣車は30台以上、参拝の団体は10団体以上を見かけることができたのですが。社会情勢が変化してきて、団体による参拝を社会がそれほど重視しなくなってきたかもしれません。参拝者全体としては、一般の人による静かな参拝が増えてきています。

       写真6

        写真7
 
今年初めて見た街宣車で、ジープ型の車を改造してあり、四方に旭日旗を掲げていました。車体のあちこちには沢山のステッカーが貼られていて、主張を誇示していました。

しかし、そのステッカーを良く見ると、写真7のようにセロハンテープで仮止めしてありました。どうも、普段は自家用車として利用していて、参拝や街宣の時にだけステッカーを貼り付けて街宣車らしく装飾しているようです。もしかしたら、ジープ型の車は知人の所有であり、街宣の時や参拝の時だけ知人から借りてきてステッカーを貼るのではないかもしれません。いずれにせよ、本腰を入れて活動しているのではなく、コウモリのような街宣車でした。

       写真8
 
駐車されていた街宣車をバックにして、記念写真を撮影している家族を見かけました。日本人の家族ではあまりこのような記念撮影をすることはありません。問い合わせてみたところ、台湾から観光旅行に来日した一家でした。台湾ではこんな装飾をした街宣車は見かけることは無く、一家にとっては珍しい車だと感じたのでしょう。

世界的に見ても、日本の街宣車の装飾は特異なものであり、外人の眼には極めて異質に写るのでしょう。もしかしたた、この一家は帰国してからインスタグラムに投稿するかもしれません。

        写真9
 
子供連れで参拝する家族がいました。男の子に日章旗と旭日旗を持たせ、大鳥居から拝殿まで歩かせていました。愛国心を育むための英才教育の一環なのでしょう。男の子は旗の意味は判らないようで、振り回しながら歩いていました。


       写真10
 
今年になって発見したのですが、靖国神社の絵馬には桜の形があるのです。平凡な山形の絵馬の他にこのようなデザインの絵馬があったとは知りませんでした。桜の開花情報は毎年靖国神社の標準木から発信されていて、桜と靖国神社とは縁が深いものです。

こうなったら、靖国神社での記念品は桜尽くしにしても良いかもしれません。御神籤から破魔矢などの授与品を桜のデザインで統一したら面白いかもしれません。境内の授与所に桃色の授与品が並べられたら、華やかなことになるでしょう。


        写真11
 
この日も能舞台の前では、各種の奉納演芸が行われていました。写真では、太鼓の愛好会が出演していて、大太鼓をドンドコドンドコと叩いていました。この日のスケジュールでは、午前10時から午後4時まで各種の演芸愛好団体による演目がびっしりと詰まっていました。古武道、歌謡曲、日本舞踊、手品など何でも有りです。一日中鑑賞していても飽きないかもしれません。

この奉納演芸は特定の祝日などに開催されるのですが、どのような手続きで予約できるのか不明です。出演する時間の枠が既に各団体に割り当てられていて、新規の団体では予約しにくいかもしれません。次回にでも聞いてみます。

       写真12

       写真13
 
参道脇にある茶店では、年々宣伝が派手になっていくようです。その茶店の入口には「お花見ご予約承ります」の大きなポスターが掲げられていました。

花見までは1ヵ月以上も先のことなのですが、もう予約を開始していました。一昨年から花見時期には屋台の出店が禁止されたことから、境内で飲食できるのはこの茶店しかありません。しかも、茶店の席数は数十席しかないため、今のうちから予約客を募集しているのでしょう。民間企業であれば独占禁止法に該当するのでしょうが、宗教施設であることから大目に認められているのかもしれません。

       写真14
 
さて、九段界隈の地図を見ると、靖国神社の北側には白百合学園があります。ここには、幼稚園、小学校、中学校、高等学校の女子専門の学校が設置されてます。都心の私立学校にしては結構広い敷地を保有されてます。

白百合学園はフランスの修道女会が運営する学校で、宗派はキリスト教です。神道とキリスト教が道路を挟んで対峙していることとなります。丁度、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地であるエルサレムのようなものです。

キリスト教が靖国神社の近くに接近して学校を設立したのは、神道への当て擦りかと思ったら、意外にも歴史は古いようでした。白百合学園は神田猿楽町に所在していたのですが、関東大震災により焼失したため現在地に移転したのだそうです。どういう経過でこの土地を入手したのか不明ですが、その当時は千代田区にも広大な土地が売られていたのでしょう。

しかし、神道とキリスト教が隣接していても、宗教問題には発展しないようです。その理由は、白百合学園に入学する家庭が、必ずしもキリスト教の信者であるとは限らないからです。また、白百合学園も校舎の周囲に、目立つような看板などを掲げていないことも宗教紛争にならない原因かと思われます。

       写真15

       写真16

どういう理由か不明なのですが、建国記念の日には、必ず白百合学園の小学校で「展覧会」が開催されています。この会場に入場したことはないので、何が展示されているか不明ですが、生徒が制作した絵画、手芸品などが出品されているのではないかと推測されます。多分、小学校では一年間の生徒の成果を発表し、父兄を招待しているのでしょう。

この日は父兄と生徒が作品を鑑賞するために来場していました。また、これから入学する就学前の女の子に、学校の雰囲気を確かめさせるために父兄と共に招待されているようです。小学校の入学人数はわずか60名であり、入学するのは狭き門となっています(附属幼稚園から入学する60名とは別の募集です)。

校門の前には警備員が常時待機しており、小学生が危害にあわないように警戒しています。警備員は退出する在校生に、「ごきげんよう」と声をかけてました。小学生も「ごきげんよう」と返事していました。皆様、お育ちの良いお嬢様ばかりです。

       写真17
 
JR線市ヶ谷駅の近くには日本棋院のビルがあることから、駅の周辺には「囲碁棋士 井山裕太 七冠」の旗があちこちに立てられてました。史上初めての2度の七冠を達成したことから、2月13日に井山名人は国民栄誉賞を受賞しました。

私は囲碁には詳しくありませんが、7つのタイトルの全てを制覇するのは超人的な能力のようです。さらに、井山名人はおん歳28歳という若さであることにも驚かされました。