【小島正憲の「読後雑感」】
『デラシネの時代』
五木寛之著
角川新書 2018年2月10日
帯の言葉 : 「もう頼ることはできない。“漂流者(デラシネ)”の自覚が不安を生き抜く力になる」
※過去の書評記事は、こちら。
五木氏は、「デラシネ」という聞き慣れない言葉を、「デラシネという言葉は、元はフランス語で、俗に“根なし草”という意味で用いられることが多い。その背後には故郷や祖国から切り離された人という見方が含まれます」
「つぎつぎと変わる常識に右往左往しながら生きているわけで、私たちも漂流しているのではないか」
「もはや何かにしがみついていればいいという時代ではない。確固たるものが見えないなかで、この世をさまようデラシネ(漂流者)としてどう生きていくのか」
と定義・説明し、
「個の確立こそが近代人の理想です。だから、孤独死という言葉は寂しいという人もいるけれども、病院のベッドで家族が見守っているなかで“ご臨終です”と言われるよりは孤独死のほうがいい。私はやっぱり、人間は最後、一人で死ぬのがいいと思っているのです。ある時期、“行き倒れの思想”ということを言っていましたけれども、私は孤独死か単独死と言われる死に様を大事にしたいと思っているし、孤独死をきちんとした一つのスタイルにまで磨き上げたいと思っています。人は誰しも死のキャリアとして生まれてきて、デラシネとしてこの世をさまよい、土に還っていく。その自覚に、不安の時代を生きるヒントがあるように思います」
と書いている。
今後、五木氏が、どのような「磨き上げたスタイル」を作り上げるか、私は刮目して待つ。
五木氏は、終戦時、家族と共に平壌に住んでおり、命からがら徒歩で山(38度線)を越え、仁川から米軍の軍用船舶で博多へと引き揚げてきたという。幼少時のこの悲惨な体験が、デラシネという人生観を形作ったのだろう。
私にはこのような体験はないので、おそらく五木氏のデラシネという見解を完全に理解することは難しいだろう。それでも、このデラシネという言葉には、深く共感することができる。
五木氏は、
「今世紀はデラシネの時代です。本国も植民地もない。移民も本国人もない。グローバルな意味で、すべての現代人がデラシネなのです。そこに自立の志を見出さない限り、21世紀に希望はないように思います」
と書き、
「高度成長が難しいことは、多数の認めるところとなっています。人口減少によって内需が激減するわけですから、どんなに貿易に力を入れても長期的にはGDPも減っていかざるを得ない。しかも火山胎動期にあって人々は強い不安を抱え込んでいるわけで、戦後70年の歴史の中で未曾有の時代に入り込んでいると思います。こうした大変動期にある以上、これまでの人生論や生き方論はほとんど役に立たないと考えた方がいい」
と続けている。
私もまったく同感である。
五木氏は、
「物心ついてから死ぬまで終始一貫して同じ思想を持つなどという化け物みたいな人はおそらくこの世の中にはいないでしょう。運命の転変に巻き込まれながら、異なる体験を重ねるなかで思想は変わっていく、あるいは熟成されていくのです。つまり、人間の思想や生き方はそのときの時代に対応しながら、その人の年齢とともに時々刻々と移り変わっていく。このことを、私は動的な人間観と呼んでいます」
と書いている。これも納得の行く指摘である。
また五木氏は、現代は健康法や医学についても、正反対の主張が世間を賑わしており、なにが真実かわからない時代になっているので、
「他の人全員に通用することでも、自分には通用しないことがあるかもしれないと思わないといけない。今は一つ一つのことに自分の判断と選択を迫られる時代なので、1本のモノサシではなく、2本のモノサシをダイナミックに使いながら、右へ左へとスイングして生きるのがいいだろうというのが私の考え方であり、生き方なのです」
「私たちがこの世界で生き抜いていくうえで本当に役立つのは知識やエビデンス以上に、ある種の直感力ではないか」と書いている。
また、「老いと病を苦しみとして捉え、治療するべきものだと考えるのではなく、楽しんで受け入れながら面白がって養生するものだと捉えなおす必要があります」
とも書いている。
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評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。