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「大阪北部地震に遭った日」(安田紘一郎)

【特別リポート】
「大阪北部地震に遭った日」

安田紘一郎(清話会関西支局長)

2018年6月18日(月)7時58分、私は清話会関西支局事務所にいた。
ドンと大きな音がし、激しい揺れを感じると、書籍ラックが揺らぎ棚の本や書類がバタバタと床に散った。 咄嗟に机の下に身を隠した、
私が出くわした大阪北部地震の大阪市中央区の瞬間である。(大阪市内は震度4)

事務所はビルの5階にあるが、窓に目をやると、すぐ前の阪神高速を走る車がキッキィと急ブレーキをかけて止まるのが見えた。間もなく車が動き出したので大きな地震ではないと判断しホッとしたが、すぐさまSNSで「今の地震は震度6で震源地は高槻・茨木」と情報が流れたので、我家に電話をしたが繋がらず輻輳(ふくそう)していることが判った。

茨木市が震源地のニュースに驚いていると5分程経ってから、家からの電話が通じ誰も怪我はないことが判り安堵した。が、「家中の多くの家財が倒れ、中のものが飛び散り一人では危険で手の施しようもないので、できるだけ早く帰宅して欲しい」と叫ぶように話し、電話が切れた。

後日、家内の話によると「23年前、震度7の阪神大震災」の時より今回のほうの揺れが激しかったようで、実際、前回より家財の倒れ方が酷い。

散らかった事務所を簡単に整理し、急ぎの仕事だけ済ませて、とりあえず大阪駅まで行き、JRか私鉄の阪急で茨木までの帰宅を考え、梅田に向かった。 

もちろん地下鉄も動かず、大阪駅まで45分かけて歩いた。しかし、大阪駅ではいずれの交通機関もストップし「事態を確認するまでお待ち下さい」から始まり「運転再開します、あと少々お待ち下さい」の案内放送が繰り返し流れるだけであった。

帰る方法を探し右往左往するだけで時間が経ち、タクシーも全く無く、最終的に電車の運転開始を待って、私が家にたどり着き家財道後の整理を始めたのは21時30分であった。

長男は7時56分、JR東淀川駅にて車内に閉じこまれ、解放後歩いて2時間かけて、天王寺区の会社に出社したようで、その日帰宅したのは21時、次男は7時56分JR長岡京駅でストップしたまま駅構内で待機し仕事には行けず、手配のバスで20時に帰宅したそうだ。

今回の地震で感じたことは、まず多くの帰宅困難者が出ることである。
死者や多くの負傷者も出て、家屋の大きな被災もあり大変な地震であり、被災された皆様には心からお見舞い申し上げますが、併せてこの帰宅困難者問題も早急に検討し、次なる大災害に備える必要を痛感した。

今回の地震での帰宅困難者は報道では270万人-500万人と予想外に多く、都市交通機能の整備と代替え輸送の活用など大きな問題点が判ったことが勉強だろう。

地震後、我が家は通常の生活に戻ったが、まだ多くの被災者があることを忘れてはいけない。地震からひと月、住まいするマンション(5階)のベランダからは屋根瓦が割れブルーシートで応急処置している家屋がまだ多く残っているのが見える。

(7月23日撮影)

 

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