[ 特集カテゴリー ]

「関わる人への3つの調べ」(澤田良雄)

鬚講師の研修日誌(43)
「関わる人への3つの調べ」

澤田良雄氏((株)HOPE代表取締役)

◆“内観”体験の記 児童時からの追想に涙とまらず
 
秋。追憶してみた。それは内観の体験である。

当時を思い起こし記してみる。
奈良県大和郡山市の「内観研修所」{現大和内観研修所)。

改札を出て、「来たぞ!」と腹を決める。商店街を一筋奥に入り込んだ通りに板塀に囲まれた古い屋敷風の研修所があった。周囲はシーンと静まり返っている。一瞬の緊張をふり払うように、再度「ウン!」と、腹に力を込めて玄関に入る。

頭髪の薄い、丸顔に丸縁の眼鏡を多少ずり落ちかげんにかけた老人が「よくきました」と愛想なき表情で迎えた。この人が吉本伊信所長である。
 
応接間に通され、テープで内観の心得を聞く。内観とは、自分の内側をしっかり見詰めることである。
「こちらへどうぞ」と若い指導員の案内で、離れの八畳間に入る。部屋の四スミに、それぞれ屏風が立っている。

「あちらへどうぞ」と示された一角に入る。ここが、これからの一週間、私の生活の場だ。そこは1.8m四方の屏風と壁に囲まれ、他とは遮断された密室空間である。荷物を置き、座蒲団に座ると、早速「それでは、まず、お母さんとの小学校低学年{1、2、3年生)時代のかかわりについて、お調べください」と指示を受ける。

調べるポイントは、
(1) していただいたこと
(2) してさしあげたこと
(3) 迷惑をかけたこと
の3点。
2時間かけての調べである。

30余年の前のことだ。母に「してもらったこと」は何か、「して返したこと」は何か、「迷惑をかけたこと」は何か、じっと考えた。

何も浮かばない。あぐらをかき、足を何度も組みかえ、ついには壁にもたれて追想する。フッと関係ないことに気がいき、集中せねばと心する。
 
浮かんできた。小学校入学時、農家に疎開していた当時。通学のカバンを買う金がなく、母は、配給の砂糖などをかき集め、知り合いを回って金に換え、布地の白いランドセルを買ってくれた。「セガレが学校に行くのだ、どうしてもランドセルを」と願う母であった。しかし、「こんなカバンいやだ」とダダをこねた自分。母の困った顔が目に浮かぶ。

これで、指示通りの答えができた。一瞬、安堵感を覚えた。しかし「して返したこと」がこれだと決まらない。
 
2時間後、吉本導師が廊下を軋ませて部屋に入るのがわかる。ドキッとする。他の三方の面接をはじめられる気配だ。やがて屏風がずらされ、「おじゃまします」と独特の口調で深々とお辞儀し、面接が始まる。私は、思い起こしたことを、一生懸命に答える。吉本所長は、ただしっかりと聴いてくれるだけである。

「そうでしたか。それでは次に、小学校4~6年の頃を振り返って下さい」とおっしゃって立ち去った。
以後、小学校高学年、中学校時代へと3年刻みで調べていく。薄い記憶を呼び起こし自問自答が続く。
 
5時起床、20分の作務を終えると、夜9時までこれが続く。一切、他の人とはことばを交わさない。すべてを忘れて、ひたすら自分自身を見詰めることに集中する日々だ。結構疲れがたまる。

「母」を終えると「父」そして「妻」へとすすむ。現在まで{当時40歳}の3年刻みの調べが続く。調べが進むにつれて、単なる事実現象面だけではなく、そのときの相手の心までもが洞察できてくる。

それに出て来る追想は「してもらったこと」と「迷惑かけたこと」がほとんどなのだ。「して返した」事実が中々出てこない。たとえあって、いい子に見せたい、また甘えたい、そんなこざかしさが透けてくる。

進むにつれてだんだんと思いあがりの自分、わがまま、甘え、嫉妬心、劣等感、見せかけの自分に思い至り、自己嫌悪に陥ることもある。

◆生かされている自分がある
 
時おり、部屋に放送が流れる。それが内観の実録なのである。ヤクザの大親分、キャバレーの社長、部下を持つ上長、嫁、姑などなど、内観の深まっていく状況がぐんぐんと胸に響いてくる。同時に、その方の心情が私に響き自然に涙がこぼれる。
 
5日目、3度目の母とのかかわりの調べである。素直にありのままを調べる心境だ。

「していただいたこと」がすっと浮かんできた。小さな体で馴れない農家の手伝いで稼いだ小銭を貯めて、正月に新たな衣服を買ってくれたこと、「本でも買いなさい」とそっと渡してくれたお金、身を粉にして働き、子供らには世間並みにとの親の施しの有り難さが胸を打つ。

そのとき、お前はどうだった。あまりにも謝念に欠けていた自分を発見、「母さんありがとう」と自宅の方向に向けてつぶやいた。直後の吉本所長の面接では止めどもなく涙が零れて“おえつの答え”となった。だが、なぜか、ずっと楽な自分にもなった。
 
対人関係能力に関する仕事ならばと、吉本所長の計らいで、他の方々との面接も体験した。アル中の人、登校拒否の女生徒、家出三度目の中学生男子、姑に悩む嫁、妻の婚前の過ちの告白に悩む男性、会社派遣の幹部社員もいた。自分の調べの数倍も緊張し、真剣に聴かせていただいた。これだけ真剣に人の話を聴いたことがあるだろうか。自室にもどり、それを振り返り自分ならどうかと自問も試みた。

「汝自身を知れ」の言葉があるが、内観はまさにこれであった。自分の心のスミズミまでを洗い出す。本物の自分の人間性、事を成すときの心の持ちよう、所行はいかなるものであったか? 周囲の人々との関わりの中で、父母はもとより、妻、同胞がいかに自分を温かく見守り、協力いただけたかが浮かび上がり、強い謝念と反省の気づきが享受できた機会が重なった。
 
そこから導き出した学びは、この世に送りだしてくれた両親はじめ、多くの人々に「生かされている自分」に、強く気づいたことである。特に、両親の代償を求めない愛に深く懺悔すると同時に、身近な人だからこその施しに改めて「ありがとう」の言葉が自然に発する自分でもあった。いずれにしても、しっかりと現在の自分を見つめたすばらしい経験であり、一回り大きな人間へ脱皮するスタートでもあった。
 
内観研修所を出て、すぐに、自宅の母に電話した。かつてないことだ。電話口の半身不随の母は、「良雄か…」ドギマギしていた。土産を買って帰るから楽しみに、と心をはずませながら一気に話して、電話を切った…。

「母親に感謝できない人は、他の人にも感謝できない」とは、内観後の小一時間、吉本所長と語り合ったときの教えの言葉に共感したからだ。

◆気づき研修の起点となった
 
身体を透視する機器は精巧になった。だが、心の世界を透視する機器はあるだろうか。例えAI化が進んでも完璧にはなるまい。特に自分のことになると難しい。たとえわかっていても、自分の都合の良し悪しによって、無視し偽っていることもある。

他人に対しては、自分の心のゆがみから、相手の心をゆがんで受け取っていることに、なかなか気づかない。これが、人との摩擦を引き起こす。周囲の人を、ありのままに受け取り、素直に自分を認めることができればもっとゆったりと、人とかかわっていけるであろう。
 
内観による学びは、小生の人材育成の基軸も「気づき研修」と称することにした。現在でも、研修開始時の板書やテキストの出だしには「共に楽しく気づき合って参りましょう」必ず記している。

それまでは「ダメ、だからこうしろ、何でできない、もっとこうしろ」式の押しつけ多用の指導であった。しかし、内観法の持つ「自ら気づき、心が変われば、行動が変わる」の活躍改革の導きは、北風と太陽の話のごとく、自ら心を開かせる働きかけであり、馬に池の飲水を無理強いすることなく、飲みたい欲求状況を創ることである。まさに「育成の真髄はここにあり」と自省と新たな躍動を促がされた影響力だ。
 
以後、受講者の主体的に進化したい欲求を喚起し、現状の強味をより磨き、弱みを改善する楽しみを導ける支援者としての講師活動を根幹に置いている。
 
お陰で受講者から「お陰さまで、自分を素直に診断するよい機会となりました。これからは、自ら変わることを第一として活躍していきます」。また、担当者からは「受講前と表情が変わりました。何かスッキリとして自ら頑張る姿勢がみえます」と評価をいただく。

◆時には、自己内観を試みる
 
いかがであろうか。関わる人を日常の活躍に引き寄せてみれば、タテ(上下)ヨコ(同僚)、ナナメ(他部門・顧客様、協力関係社等)が対象である。そこで一人ひとりに「していただいたこと」「迷惑かけたこと」を振り返り、ならば「して返したこと」はいかがかと自問自答してみるとよい。

特に次の場面、事態時に試みてみることを提案する。
① 実績形成。目標達成・商談締結を成したとき
② 昇級、昇格を成したとき
③ 不平不満・攻め心が涌いたとき
④ 対人関係に迷ったとき
⑤ 商談、協力関係に行き詰まったとき
⑥ 部下育成、指導の授受に思う通り行かないとき
⑦ 仕事に行き詰まったとき

必ず、謝念と自省、そこから切り開くヒントがみえてくる。でなければ独りよがり、上から目線の押しつけ、はてまた・・・せい病、くれない族の責任転嫁で自己を甘やかす、自己の可能性を粗末にすることになりかねない。一週間でなくてよい。帰宅時の電車内や就寝前のひとときを自己内観の機会としてみることだ。
                 
吉本所長は今は亡き人、若い指導員だったH氏は北陸内観研修所を設立された。当時を追想し、その後の現在までの調べを試みている物思いの秋のひとときである。

 

///////////////////////////////////////////////////////

澤田良雄

東京生まれ。中央大学卒業。現セイコーインスツルメンツ㈱に勤務。製造ライン、社員教育、総務マネージャーを歴任後、㈱井浦コミュニケーションセンター専 務理事を経て、ビジネス教育の㈱HOPEを設立。現在、企業教育コンサルタントとして、各企業、官公庁、行政、団体で社員研修講師として広く活躍。指導 キャリアを活かした独自開発の実践的、具体的、効果重視の講義、トレーニング法にて、情熱あふれる温かみと厳しさを兼ね備えた指導力が定評。
http://www.hope-s.com/
  


///////////////////////////////////////////////////////