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「経営者の年収はいくらが妥当か?」(小島正憲)

小島正憲氏のアジア論考
「経営者の年収はいくらが妥当か?」

小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)

1.ゴーン氏問題は、法律よりもモラルの視点から論ずべき

昨年11月末、当時、日産自動車の会長であったカルロス・ゴーン氏が、突如、東京地検特捜部に逮捕された。容疑は、金融商品取引法違反(有価証券報告書の過少記載・虚偽記載)であった。さらに12月末、特捜部は会社法違反(特別背任)で再逮捕し、拘留を延長した。

ゴーン氏側は、これらの起訴事実を全面的に否認している。識者の間でも、ゴーン氏の行為が法律に違反するかどうかで見方がわかれており、特捜部の負けを予言する者さえいる。さらに欧米諸国からは、「拘留機関が長すぎる」といった日本の刑事司法に対する批判も相次いでいる。

私は会社法や税法などの専門家ではないので、ゴーン氏の容疑を云々する能力はない。したがって私は、ゴーン氏の問題を法律の視点から論じるつもりはない。しかし私は、経営者のモラルという視点から、ゴーン氏を指弾すべきだと考えている。残念ながら、今日に至るもメディアでは、この視点からの論議が少ない。

私がこの報に接したとき、まず驚いたのはゴーン氏の年収の額だった。公表されている分が約10億円、退職後支払いを予定されていた分が約10憶円、その後、判明してきた海外他社からの報酬(約10憶円)を含めると、ゴーン氏の年収は30億円をはるかに超えることになる。ゴーン氏の年収は多すぎる。

たしかにゴーン氏は、潰れかけていた日産に乗り込み、業績をV字回復させた。しかし、その手法は2万人に及ぶ労働者のリストラであり、下請け会社の大幅整理だった。彼の異名はコストカッターである。かつてのトヨタの経営者たちは、日本が世界に誇るトヨタ生産方式を編み出し、トヨタをナンバー1企業に育て上げた。

このトヨタのように、ゴーン氏が独創的で画期的な手法で業績をV字回復させ、その報酬を手にしたのであれば、まだ納得の行く話だ。しかしゴーン氏は、労働者や下請け会社を血祭りにあげ、V字回復を成し遂げ、血に染まった手で、戦果として超多額の報酬を得てきたのだ。この手法は、経営者のモラルの視点から、断じて許せない。しからばゴーン氏の年収は、いくらが妥当なのか? この点については、次項で論じる。

私はゴーン氏の調査には、国税庁も加わるべきだと思う。なぜなら、ゴーン氏は世界各国に豪邸を構えているようだが、それが日産の経費扱いになっており、しかも課税逃れになっている可能性が強いことだ。ゴーン氏は、2012年に居住地をフランスからオランダへ変更している。フランスでは富裕税逃れだと見られている。各国を転々と居住すると、全世界所得に課税されることを免れることができる。ゴーン氏は、これを利用して、合法的に脱税している可能性が強い。これは合法である。しかしモラルの上では許しがたい。

またゴーン氏は、特別背任の疑いについて、「日産に一切損害を与えていない」と主張し、それを否認しているという。しかしゴーン氏が、「一時的にせよ、評価損の負担を付け替えた」ことは事実である。これは、「泥棒が金品を盗んで、その後、それを返し、“返したのだから罪がない”とうそぶく」のと同じである。このような行為は、日産の会長ともあろう者が行う行為ではない。恥ずべき行為であり、モラルの問題として指弾されるべきである。

2.一般経営者の年収は、大卒新入社員の年収の10倍が妥当

日本の中小企業の経営者の年収は、おおむね1500万円である。大会社の経営者の場合でも、年収は3千万円から1億円程度が多い。ちなみに2017年3月期の上場企業経営者で、1億円以上の年収は221社、457人であり、10億円以上はゴーン氏を含め4人であった。
 
また日本の首相の年収が約4000万円、日銀総裁が3500万円、最高裁長官が5000万円、衆議院議長が5000万円である。つまり日本の三権の長の年収は、3500~5000万円ということである。私は、いかに大企業の経営者であったとしても、その職責が三権の長を上回るとは思わない。したがって、経営者の年収は、三権の長以下が妥当だと考える。つまり一般経営者の年収は、大卒新入社員の年収が300万円として、その10倍程度が妥当な額であると考える。

一般に日本の経営者の年収は、海外の経営者と比較した場合、かなり少ない。2017年度の日米欧の主要企業のCEOの平均報酬を見てみると、日本は2億円、欧州は5億円、米国は12億円であった。しかも日本の経営者には、少し前まで、自らの資産を担保にして、銀行から資金を借り入れ、経営に携わらなければならなかった。これは他国には例が少ない習慣だ。だから日本の経営者は、倒産という事態になると、個人資産まで没収され、身ぐるみはがされ、丸裸になってしまうことが多かった。日本の経営者は、日夜、その恐怖に苛まされながら、少ない年収で、真剣に経営に取り組んできたのである。

私も、長い間、年収1000万円ほどだった。もちろん日本国内で操業していた零細企業の時代は、私が高額年収を取れば、企業は赤字になってしまい、取ろうにも取れない状況だった。海外に進出し、それなりの利益が上がるようになっても、私は年収を増やさなかった。なぜなら、……。
 
若きころ、私は学生運動に関わっており、マルクス・レーニン主義を信奉し、「マル経」を学んだ。そこで私は、「資本主義社会では、資本家(経営者)と労働者が対立しており、常に性悪な経営者が性善な労働者を搾取・収奪している」と教え込まれ、それを信じた。したがって、卒業して家業を継ぎ、経営者になることが嫌だった。

爾来、とうとう私はその職から足を洗うことができなかったが、常に、「性悪な経営者」であることを自覚し、罪の意識を抱えながら、経営に携わってきた。だから、「高利益を上げる優秀な経営者」になったからといって、法外な年収を取ることは、自らの信念に反することだったのである。

かつて飯田経夫氏は、その著書「経済学の終わり」(PHP新書 1997年11月刊)で、
「かつては、財界・経済界の重鎮のなかに、私自身の世代にとってはまことに懐かしい名前だが、故湊守篤氏(日本興業銀行、後に日興証券)を一例として、その発言を聞いていると、まるで“マル経”学者そっくりの人が、少なからずいたものである。彼らは、資本主義の尖兵として働きながら、他方ではその限界を、つねに意識していたように思われる。若いときに勉強した“マル経”の教えを旨としつつ、仕事としてはカネ儲けに励み、つねになにがしかの罪の意識に苛まされながら、みずからの行為を律した財界・経済界のリーダーが、過去にはかなりいたという事実は、まことに感動的だと私は思う。いってみれば、それは節度であり、絶妙のバランス感覚であろう。見方によっては、それはまことに中途半端であり、そういうことでは、そもそも大したカネ儲けはできないかもしれない。だが、それならそれでいいではないか」
と書いていた。
私は、この考えを現代の経営者も学ぶべきであると思う。

ゴーン氏の年収は、大卒新入社員の1000倍であるが、その額は欧米では桁外れに高いわけではない。識者の中には、日本の経営者の報酬水準は欧米に見劣りし、世界レベルで優秀な経営者の獲得が難しいという者もいる。

それでもいいではないか。日本の経営者には、誇るべき「清貧の精神」があるではないか。だからこそ、日本は経営者と労働者の所得格差がきわめて少なく、そこには敵対的対立が起こりにくいのである。欧米での資本家(経営者)と労働者の所得の天文学的隔たりは、やがて労働者階級を決起させ、共産主義革命を再来させるに違いない。現にフランスでは、9週間連続で大規模な週末デモが起きているではないか。

3.外野席からの発言

メディアでは、このゴーン氏問題を騒々しく取り上げているが、それは法律問題に終始している。この際、メディアは、正面切って、「経営者の年収は、いくらが妥当か?」という議論を巻き起こすべきである。そして、多くの経営者を登場させ、そのモラルを問うべきである。日本には、「清貧の精神」で立派な経営をしている経営者が数多くいるので、欧米各国の経営者にもその範を垂れることができるだろう。
 
日産の労働者は、ゴーン氏を含む経営陣の年収について、疑義をさしはさむべきだし、場合によっては、ストライキを行うべきである。V字回復はリストラの結果であり、それは労働者や下請け業者の犠牲の上に成り立ったものであることは明らかであり、その張本人のゴーン氏の年収は高すぎる。

今にいたっても、このことに日産の労働組合から追及の手が上がらないのはきわめて不思議なことである。また裁判の結果、もしゴーン氏が勝訴し、その復活があれば、日本の消費者は日産車のボイコット運動を始めるべきである。


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清話会  小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。