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「親日『台湾』から見た日本」(全3回)-①「戦後、台湾は日本に“捨てられた”」(簡 憲幸)

【短期集中連載 全3回】
「親日『台湾』から見た日本」
第一回「戦後、台湾は日本に“捨てられた”」

簡 憲幸氏((株)IT eight 代表取締役社長、国際事業コンサルタント)

◆日本国政府から見て台湾人は中華人民共和国人?

私は、台湾と日本の文化交流活動を続けている中で、どうしても理解できないことがあります。それは台湾人の国籍についての日本国の対応です。

台湾人の国籍をご存知でしょうか? それは日本では認められていない国家です。その国は「中華民国」です。この中華民国という国家を、日本は認めていないのです。

また私が台湾人を日本人に紹介すると、多くの日本人は嬉しそうに「国籍は台湾なのですね」「私。台湾はという国が大好きなんです」などと言っていただけます。とても有難いことです。しかし「台湾」という国家は、この地球上に存在していません。

日本国政府は、台湾人に対して「中国人」として扱っています。それは日本国政府が台湾に住む人たちを「中国人」として扱っているからです。そう「中華人民共和国」の「中国人」と同様にです。

近年、日本でも台湾に対して「中華民国/china」から「台湾/taiwan」への表記に変わりつつありますが、それでも日本国政府は、中華民国という国家を認めたわけでもなく、台湾という国家独立を支援しているわけでもありません。日本国政府は、ただアメリカ合衆国と中華人民共和国の顔色を見ながら「面倒だなぁ~」と思い悩んでいるかのようです。

これが日本の外交政策です。なんと情けないことでしょうか。日本独自のアジア観もなく、アジア政策も持ち合わせていません。

日本は、政治家も国民も、アジアをビジネスの市場として捉えているだけなのでしょうか? 日本人の多くは、共に歩むアジアの同胞とは思っていないようです。

日本人は明治維新以降、急速に発展を遂げ「私たち日本人だけが貧困のアジアから抜け出して、欧米のお金持ちクラブの仲間となった」とでも思っているようです。

しかしこの現代においてすら、欧米はもちろん国際連合すら日本への認識は「極東アジアの一国」であり、「敗戦国(敵国条項が廃棄されていない)」としてしか見ていないようです。

ただし日本国は成り金国家であること、そしてかつての軍国主義国家として強暴であったことの記憶は鮮明に印象付けられていることでしょう。だからこそ欧米諸国はその日本を手懐け続けたいと思っているのです。

◆今の日本は欧米の番犬なのか?

辛亥革命で中国の歴史上初めての民主国家を樹立させた立役者の一人である孫文は、かつて日本での演説で次のように言い放ちます。

「将来、日本は、植民地支配を進める欧米の番犬になるのか、それともアジアの守護となるのか」と。(「大アジア主義」1924年12月28日神戸高等女学校における講演の一部)

ここで私は「番犬」と分り易く書きましたが原文で「鷹犬(ようけん)」です。鷹犬とはまさに人に飼い慣らされた忠実な鷹と犬のことです。

孫文の演説した時代からすでに100年近くが過ぎていますが、現代の日本は、アメリカ合衆国の犬であり、中華人民共和国の鷹として、日本は飼い慣らされているように、私の目には見えるのです。

いくら日本がアメリカ合衆国の支配と中華人民共和国の覇権を嫌ったとしても、アメリカ合衆国の軍事なくしては日本の安全保障はままならず、中華人民共和国の生産力と巨大市場に依存しなくては日本の経済安定はままならないのです。これが現実であり、どうあがいても不可逆に見えます。

日本に夢を託し、希望を抱いていた孫文は、多くの日本人の支援の元で、革命を起こし、中華民国を建国しました。梅屋庄吉、宮崎滔天、犬養毅、頭山満、山田良政と山田純三郎の兄弟など、日本人の支援がなければ中国での革命は成功しなかったでしょう。そのことを知っている日本人も少なくなりました。残念です。

革命後の孫文は、皮肉にもその日本と戦わざるをえなくなります。日本軍との激しい戦いで、正々堂々と戦った国民党軍は衰退し、力を温存し日本軍から逃げ回った共産党軍が生き残り、終戦後に、中国は共産主義国家となります。

中華民国の国民党は共産党との内戦に敗れ台湾に逃げ込み、変遷しつつ生き伸びています。現在、日本国政府が認めていない中華民国にいる国民の多くが、日本人であった台湾人なのです。

これは複雑と言うより、日本を中心とした中国と台湾との3者の運命的なつながりを感じます。

日本、中国、台湾の3者の関係は、たぶん古代から続いているでしょうが、台湾の英雄・鄭成功(母親は日本人)などの例を出すまでもなく、とくに明代から深く関係していることは言うまでもありません。

日本と深い関係のあったこの漢民族の国家・明を日本は見殺しにし捨て去り、そして異民族である女真族で後の満州民族の国家・清を認めたのです。この事件は近松門左衛門作の人形浄瑠璃『国姓爺合戦』として知られています。後に歌舞伎として上演され、今でも人気の舞台です。

しかし因縁とは不思議です。日本は、この清と戦って勝利(日清戦争1894年~1895年)し台湾を割譲され、国勢を失った清は破滅へと向かいます。そして中華民国の建国に深く関わったのも日本であり、中国から追い出された清(満州族)を満洲国として復活させたのも日本です。

◆日本に捨てられた台湾

さて話を台湾に戻しましょう。日本は日清戦争に勝利し、清朝から日本に割譲されたのが台湾でした。1895年(明治28年)4月17日です。そして第二次世界大戦の敗戦によるポツダム宣言1945年(昭和20年、民国34年)10月25日まで、約50年間にわたって、まぎれもなく台湾は日本でした。

そして台湾人は日本人でした。台湾人はその日本に生まれ、日本に教育され、中には日本兵(軍属から現地徴用)として戦い、日本兵としてBC級戦犯となりました。

ちなみに台湾人軍属及び軍人は21万人であり、3万人以上が日本人として命を落としています。またBC級戦犯は173人、死刑が26人でした。

日本でも敬愛されて台湾の民主化に貢献した李登輝元総統も「私は22歳まで日本人でした」と語っています。彼だけではなく、多くの台湾人は、その心の根底に、魂の深淵に、日本人としての誇りを持ち続けていました。

戦後、日本は台湾を放棄し、中華民国が占領します。これによって新たな悲劇が台湾人に降り注ぎます。

なぜなら「昨日まで日本人と戦った中華民国」と「昨日まで日本人であった台湾人」が上手く行くはずもなく、中華民国の国民党は日本教育を受けた優秀な元日本人を恐れ危険分子として粛清したのです。これが有名な白色テロです。

そして台湾人から日本教育の影響を取り去るまで30年もの時間が必要でした。それが世界でもっとも長い台湾での戒厳令です。この戒厳令とは、表向きは対中共政策ですが、内向きには国内の反対勢力への圧政です。

さて、現代の日本人は、孫文の中華民国を捨て去り、また台湾と台湾人を忘れてしまっています。日本統治をしていた台湾のことも、戦後の台湾の悲劇も、日本国政府と日本人にとっては他人事なのです。

ですから、田中角栄総理が中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」と承認し、国交を樹立した、いわゆる日中国交正常化により、日本国政府は、それまで中華民国と結んでいた日華平和条約を一方的に、いとも簡単に破棄してしまいました。

激怒した中華民国は、対日断交を宣言することで、日本との国家関係が喪失するのです。このことで多くの日本国民も中華人民共和国との国交を選ぶことに躊躇せず、歓喜をもって受け入れました。日中の熱烈歓迎の時代です。

しかし中華人民共和国が世界の工場となり、今は世界の消費国となったことで、経済的、軍事的なプレゼンスを強め、覇権国家として恐れられているのはご承知の通りです。

(続く)

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簡 憲幸(かん のりゆき)((株)IT eight 代表取締役社長、国際事業コンサルタント)

台湾系華僑二世。1954年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、アート・ディレクター、コピーライター、プランナー、マーケッター、文筆家として活動し、その後、新規事業コンサルタントとして、またアジアを中心とした海外進出コンサルタントとしても活動、また国際人、文化人として幅広く講演活動、交流事業を行っている。著書『リーダーの教科書』。(一・社)TOURI ASSOCIATION理事長、「東京台湾の会」事務局長等の役職を多数兼任している。