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「老害と老後レス社会」(小島正憲)

【小島正憲の「読後雑感」】
「老害と老後レス社会」
1.老害、2.老後レス社会、3.老後レス社会で老害にならぬために

小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )

1.老害

東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が12日、都内で行われた理事と評議員を集めた合同懇談会で、女性蔑視ととられる発言の責任を取り、辞任する意向を表明した。森会長はその席上で、謝罪の言葉を述べ、最後に、
「誰かが老害、老害と言いましたけど、年寄りは下がれ、はいい言葉じゃない。老人もやっぱり日本、世界のために頑張っている。老人が悪いかのような表現は極めて不愉快な話だ」
と、反発した。
私は、この様子をテレビのニュースで見て、森会長の姿は老害そのものだと思った。なお森会長は、現在83歳である。

私は40年前、新聞の連載で、豊臣秀吉や毛沢東を引き合いに出し、「60歳過ぎれば、老害を自戒せよ」と題し、次のように書いた。

「人間は60代に入ると性格が変わるといわれる。それは、それまでのたくましい男性が、自らの体力の限界や死期を悟り、人生の先を確実に読み込んでしまうからである。そこから生まれる、あせりやあきらめの感情が、それまでの俊敏な頭脳に微妙な狂いを生ぜしめるのである。厳しい言い方かもしれないが、60代に入った人々は、すべて“老害”の可能性を持っているのである。来るべき21世紀の特徴の一つに、高齢化社会があげられる。この社会の弊害は、いろいろな角度から検討されているけれども、ここに新たに“老害”をつけ加えなければならないであろう。社会や企業の第一線では、すばらしい若者たちが活躍しているにもかかわらず、いわゆる実権は、頭脳に微妙な狂いのある老人が持つという社会の構図は極めて危険である」と。

そして30年後、私はかつての自分の警告通り、62歳で社長を退任した。もちろん会長にもならず、その後、経営にはいっさい口出しをして来なかった。だがしかし、引退後12年を経た今日では、現役引退が、「少し早かったのではないか」と思うに至っている。それは何故か。

2.老後レス社会

日本社会は超高齢社会=「人生100年時代」に突入しており、巷には、それに関する論議が溢れかえっている。

最近、『老後レス社会』という本が出版された。この本によれば、「老後レス」とは、「人生に老後という期間がない」という意味であり、悪く言えば「死ぬまで働く」ということであり、良く言えば「生涯現役」ということになる。とうとう、このような題名の本が出るようになったのである。

また本書は、
「“いつまで働かせるんだ!”と言う人がいますが、私は“野生を取り戻す”と言っています。野生の動物は自分でエサが取れなくなれば死ぬので“生涯現役”です。人間も稼ぐ期間を延ばす分だけ、“野生を取り戻している”と考えたらいかがでしょうか」
とも言っている。

さらに「老後レス社会」の必要性を、社会の立場から、労働力の枯渇の解決策、つまり「今後20年間で1000万人以上減る労働力人口をすべて外国人で置き換えることは不可能なため、それを女性と高齢者の労働市場参加率を高めることで解決する」と書き、「何歳になっても働く気力と体力、スキルを持つ高齢者にはどんどん働いてもらえばいい」と続けている。

私が、老害への自戒の警告を発したのは、40年前であり、その時は高齢化社会を予測できたが、「老後レス社会」までは想定できなかった。私は警告通り62歳で引退したのだが、時代は、「人生100年時代=老後レス社会」に変わっていたのである。私はそこを読み違えた。残された40年間は長い。やはり、あと10年ほど、会長職にとどまるべきだったのか。あるいは、まったく違う分野に挑戦すべきだったのか。それかといって、老害とそしられる身にはなりたくない。その後の40年間を、野生を取り戻し、若者に伍して走り抜けと言われても、はなはだ困る。

3.老後レス社会で老害にならぬために

しからば、老後レス社会を老害にならずに生き抜くには、どうしたらよいのか。私は前出の老害の小論の中で、その解決策にも言及して、次のように書いている。

「昭和40年代、学園に学生運動の嵐が吹き荒れていた。この学生運動の組織から、“老害”克服のヒントを見つけ出すことができる。この組織の前衛部分は3年生であり、4年生は就職問題などを控えているため、前線より引退し補佐役に回る。4年生は、いわば手塩にかけて育てた後輩の部下になるのである。
これが組織の鉄則なのである。組織における強制的新陳代謝である。この組織に老害は少ない。もちろん、3年生のとき組織の長として、すばらしい実力を発揮した人物でも、4年生になりその地位を去るや、とたんに俗物化してしまう人もいる。まさに人間の器量は、その人間がトップの座にあるとき、何をなしたかではなく、トップの座を降りた後に、後継者をいかにうまく補佐したかで決められるのである」と。

つまり、40年前の私は、「老人は補佐役に回れ。人間の器量はそれによって評価される」と書いているのである。またそのための「組織による強制的新陳代謝」の必要性も指摘している。これらの主張は時を超えて有効だと思う。

私は62歳で引退し、その後の10年間、中国や東南・南西アジア諸国の情報を現地で確認し発信してきた。また来るべき超高齢社会に備えて、即身仏や臨終最適地を現地調査し、自らも断食などの身体制御法を実体験し、それを伝えてきた。

それでも、その10年間は、62歳までの人生に比べると、緊張感の欠けるものだったし、不完全燃焼でもあった。多分、組織に身を置かず、気楽な単独行動をした結果だったのではないだろうか。だから、それを超克すべく、72歳から新たな組織を作り、補佐役として働こうと決意していたのだが、親友の急死や新型コロナウイルスの襲来で、その出鼻をくじかれてしまった。

最近、私は新型コロナウイルス撲滅には、やはりロックダウンが有効だと思うようになった。全国民に十分な助成金を配布し、長期の完全ロックダウンをすればよいだけの話なのではないか。

残念ながら日本国家は、すでに莫大な借金を抱えているので、それが不可能なため、ダラダラと感染が続き変異株まで出現してしまっているのである。だから、国家は不測の事態に備えて、常に無借金状態でなければならないのである。この借金の恩恵をこうむったのは、われわれ団塊の世代である。したがって、われわれ団塊の世代には、長寿を甘受した代償として、「国家の借金返済」など、多くの課題が残されている。

林望氏は近著『定年後の作法』の中で、
「人生を諦めずに、老いてますます盛んという風に、健康に気を配り、日々に新しいことを身に付ける努力も重ねながら、一方で、人生の始末に心を砕く、こうしてプラスとマイナスと両方向に努力をしなくてはならない、というのが、若いころには想像もできなかった現実です。
そうやって老いこむ一方ではなく、ある意味で老いを超越する気力と努力を心がけながら、しかし現実としての“人生じまい”にも、おさおさ怠りなく努力をする、つまり人生は、最後の最後まで努力の積み重ねなのだなと、つくづく思っているところです」
「私どもが、子供たちに残してやれる“遺産”は、どういうものかと言えば、それは畢竟、親である私どもの“生き方そのもの”であるかもしれません」
と書いている。

たしかに林望氏の言うように、高齢者の、「老いを超越する気力と努力で、“人生じまい”にも怠りなく努力をする」という生き様が、遺産となることは認める。だが、それは借金という負の遺産を返済しておくことが前提条件である。

同時に、高齢者には、「老後レス社会を老害にならずに生きぬく」ことも求められている。私は、コロナ終息後、ただちに居住地を変え、新社会を見据えて、新しい組織の中で、補佐役として生き抜くつもりである。

 

※参考
『老後レス社会』朝日新聞特別取材班 祥伝社新書 2021年2月10日
『定年後の作法』林 望著 ちくま新書 2020年12月10日

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清話会 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。