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「ブルーインパルスの五線」(日比恆明)

【特別リポート】
「ブルーインパルスの五線」

日比恆明氏(弁理士)

2021年7月23日より「2020年東京オリンピック」が始まりました。首都圏ではコロナ患者が毎日増加しており、来日した各国選手の中からも陽性者が発生しています。スポーツの祭典がコロナの祭典となり、オリンピックが終了した後はパンデミックになって大変なことになりそうです。本音としてはコロナを心配していても、オリンピックが始まったならスケジュール通りにゲームが終わるのを待つだけです。
 
さて、23日の夜8時から、国立競技場で開会式が開催されました。各国で開催されるオリンピックの開会式は年々派手になり、驚くような演出になりました。開会式は主催国の国力や文化を誇示するものですから、ド派手にならざるを得ないでしょう。スポーツの祭典が政治のために利用され、限りなく拡大していくようです。どこかで止めて欲しいものです。
 
開会式の日、航空自衛隊のブルーインパルスが東京上空でスモークにより五輪マークを描くことになりました。前回の東京オリンピック以来57年振りのことで、私も国立競技場まで見学に出掛けました。ブルーインパルスによる五輪マークを描く飛行は1998年の長野オリンピックでも行われたので、これで3回目ということになります。


                     写真1

この日のブルーインパルスによるカラースモークの飛行軌跡です。画面の下に見えるのは国立競技場の屋根で、撮影場所は外苑西通と千駄ヶ谷トンネルが交差した角です。なお、このタイトルは「五輪」ではなく「五線」としていますが、その理由は後ほどお判りになると思います。


                    写真2

ブルーインパルスが飛行する時刻は公表されず、当日の午前11時30分になって防衛省からネットで公表されました。それによれば、午後12時40分から55分ころに会場上空を飛行するということでした。私はこのネット情報を確認して、正午頃に千駄ヶ谷駅に到着しました。
 
私が到着するよりも前に、既に多数の観客が千駄ヶ谷駅に到着しており、駅前の横断歩道はこんな混雑ぶりでした。渋谷駅前のスクランブル交差点程の混雑ではありませんが、日頃の閑寂な雰囲気に比べるとお祭りのようなものでしょう。千葉、埼玉、神奈川方面から来られた観客は、時間に余裕を持たせて午前10時とかの早い時刻に到着し、観察場所を確保されていたようです。


                    写真3

千駄ヶ谷駅から南に向かう道路の左右の歩道では、場所を確保するために立ち尽くす人達の列がありました。東京体育館側の歩道には街路樹があるため涼しいのですが、反対側の歩道では日光を遮るものが有りません。こちらの歩道で待機していた観客は、日傘で日差しを避けていました。この日の気温は34度と真夏日となり、炎天下での待機は大変なご苦労かと存じます。


                   写真4

ブルーインパルスを見ようという観客の列は、千駄ヶ谷駅前から延々と続き、外苑西通まで続いていました。外苑西通では国立競技場が目の前にあり、ブルーインパルスのスモークと競技場の建物を同時に鑑賞できる絶好のポイントだからです。このため、外苑西通に観客が集中し、歩道には群衆が溢れていました。この日の外苑西通は交通が遮断されたのですが、歩行者天国のように車道を歩行することはできず、警察官により歩道で待機するよう規制されていました。

写真の中央より左側にある黄色い看板が地元で有名なラーメン店「ホープ軒」です。値段の割りには美味くもないラーメン店ですが、外苑西通で営業している唯一のラーメン店のため、オリンピック関連のニュースでは店主が度々取材されてます。オリンピック期間中は外苑西通は交通規制されるため、売上げは激減するのですが、ニュースで放映されたので宣伝効果は大きかったでしょう。

待機していた観客の中には、無線機を持ち込んで航空情報を傍受しているグループが見かけられました。航空管制官の指令を聞いて、ブルーインパルスが入間基地を飛び立つ時刻を察知しようというものです。12時15分ころ、入間基地を発進した、という情報を傍受すると、回りにいた観客は「それっ」とばかりに見やすい場所に散っていきました。私は外苑西通と千駄ヶ谷トンネルの交差点の南側の角で待機することになりました。この場所は競技場の南側にあたり、空が広く空いているので五輪のスモークを撮影するには絶好の場所と判断したからでした。


                    写真5


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しかし、これからが長いのです。ブルーインパルスは入間基地を出発したのですが、千駄ヶ谷には中々到着しません。私が待機していた交差点の角には炎天下の直射日光がジリジリと照らしています。10分過ぎても、20分過ぎてもまだ到着しません。しかも、歩道にはラッシュアワーの山手線くらいの人が待機して、人いきれで暑さは倍増という環境となりました。
 
待つこと30分してブルーインパルスが国立競技場の上空を通過し、五線のスモークを残して飛び去りました。それが写真1です。戦闘機は東から西に抜け、それから競技場の上空に戻ってきて中央区の上方で旋回し、五輪のスモークを描くであろう、と予測していました。そうならば、写真1の撮影範囲には綺麗な五輪の輪が描かれるはずです。しかし、その予測は全く甘く、戦闘機は杉並区の上空で旋回し、全く逆の位置に五輪のスモークを残したのでした。写真6はそのスモークの一部です。
 
全くの期待外れに終わってしまったのですが、これは私ばかりではなく、周囲で待機していた観客も同じような予測をしていたのです。前回の東京オリンピックでは中央区の上空で旋回し、国立競技場の東の空に五輪のスモークを描いていました。その時の記録写真のアングルが印象に強くあるため、私を含めが観客全員が東の方向を向いていたのでした。マスコミも同じように錯覚したためか、テレビや新聞では綺麗な五輪のスモークの撮影ができなかったようです。また、この日の東京には雲が多く、スモークが雲と重なり五輪が鮮明ではありません。今回のブルーインパルスの展示飛行は写真写りが悪く、失敗でしょう。


                    写真7


                     写真8

開会式に先立つ7月21日には、ブルーインパルスは練習飛行をしていて、白色ではありますが五輪を描いています。偶然にもこの時、私は千駄ヶ谷駅前にいて、五輪のスモークを撮影しました。こんなことなら、炎天下に競技場の前で待機せず、千駄ヶ谷駅前で待機していた方が正解だった、と反省しています。

21日に出掛けた時は、会場の回りでは民間の警備会社の警備員が交通誘導をしていましたが、23日になると警察官による本格的な警備に変わりました。主要な通りには警備車両が配置され、道路を封鎖していました。警察官は全国から応援で派遣されていますが、国立競技場の周辺では新潟、愛知、栃木、広島の県警を確認できました。


                    写真9

神宮外苑の絵画館に向かう銀杏並木の入口は閉鎖され、神宮外苑を含む一帯は進入が禁止されていました。開会式では、選手村からバスに乗せた各国の選手をこの銀杏並木の奥で降車させ、国立競技場までは徒歩で誘導したようです。選手を乗せてきた多数のバスは246号線を封鎖して、開会式終了まで路上に駐車させていました。開会式終了後は逆に、246号線に駐車させていたバスで選手を送り返しました。
 
開会式に参加する選手の人数は、最初は1万1千人を予定していたそうですが、コロナ感染者が増えたことから6千人に減らしたようです。しかし、6千人の選手を選手村と競技場の間で往復させなければならなかったので、バスの運行作業は大変であったでしょう。また、最後のバスに乗車した選手が選手村に戻ることができたのは、深夜になっていたはずです。それもこれも、アメリカのテレビ局のゴールデンアワーに合わせて深夜に開会式を計画したことが原因でした。金儲け主義のオリンピックの弊害の一つです。

銀杏並木では陸上自衛隊の車両が駐車していました。私は3回ほど競技場の周囲を回ったのですが、自衛隊の車両を確認できたのはこの一回だけでした。道路での交通整理や誘導は警察官が行っているのですが、会場に進入する車両の検査は自衛隊員が行っていました。このため、開催中には警備の自衛隊車両が用意されているはずなのですが見かけられませんでした。自衛隊に関連した車両が外国のメディアにより撮影されると、日本は再軍備したのではないか、と勘繰られるかもしれません。そのような誤解を避けるため、自衛隊車両は表からは見えないように隠していたのかもしれません。


                    写真10


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写真にある普通車は赤色灯などは備えていませんが、ボンネットには大会中の警備車両であると断り書きが貼られていました。車両に搭乗しているのは制服の警察官です。しかし、ナンバーを良く見ると、なんと「わ」ナンバーでした。全国の県警から応援の車両を借り出したのですが、それでも足らずレンタカーを警備車両に使用したのです。


                    写真12

会場の近くには、チケットを処理する窓口が設置されていました。開催の直前まで観客を入場させるかどうか決まらなかったので、入場させる場合のために設置したようです。こうなると、全くの無用の設備となってしまいました。


                    写真13

開会式では各種のイベントが行われます。イベントの演出については何度もトラブルがあり、演出家や作曲家の辞任や解任がありました。開催の前日になって演出家が解任されるという出来事もありました。それでも何となくイベントが無事完了してしまうのですから、辞任や解任による影響は無かったのでしょうか。
 
イベントに参加する音楽関係者、芸能関係者の控え室は神宮球場が割り当てられました。ここで着替えをして徒歩で競技場に入場するのでしょう。窓や入口は閉鎖されていて、内部ではどのような作業がされているのか窺うことはできませんでした。

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この日は世界各国のメディアが取材に来ていました。どうも、全てのメディアが競技場に入場できるのではなく、各国に割り当てがあり、該当したメディアのみが入場できたようです。会場内に入ることができないメディアは、競技場を背景にして撮影をしていました。このカメラクルーは中国からのメディアのようで、競技場周辺の雰囲気を解説していました。


                    写真15

ブルーインパルスを見に来た人達の中には、帽子や人形などのオリンピックグッヅを持参されていた人も見かけました。しかし、このような人を会場周辺で見かけることは極めて少ないのです。その理由としては、開催が一年遅れたことがあります。昨年に開催延長が決定される前は、オリンピックの開催ムードが高く、記念品の販売もそれなりにあったようです。しかし、開催が延長されたため、国民の関心が冷え込んで記念品の販売も低下してしまったようです。


                   写真16

23日午後のオリンピックスクエア前の芝生の広場の状況です。国立競技場の南側には日本体育協会とJOCが入居する14階建てのオリンピックスクエアがあります。このスクエアの前には人工芝で覆った小さな広場(正式名称は不明)があり、オリンピックのモニュメントが設置されています。この狭い広場には、大変な人数の観客が集まっていました。この人達の多くは、ここで夜間まで待機して開会式を観覧したのです。
 
国立競技場の周囲で、歩道以外の場所で座ることができ、かつ、競技場の外観を眺めることができるのはここだけなのです。そのため、多くの人達はここに座って場所取りを続け、開会式で発射された花火を楽しんでいかれたのです。私はその時にはこの場所にはいませんでしたが、翌日の新聞やテレビでその時の状況を見ると、芝生の上には観客で密集していました。しかし、花火を間近で観るだけでも、開会式に参加できたような気分を味わられたでしょう。

千駄ヶ谷駅前では、或るフランス人によるハンガーストライキが行われていました。各種の新聞で紹介されたのでご存じの方もお見えになるでしょう。このフランス人は結婚した日本人妻に子供を誘拐されたので、再会したいという主張をしていました。細かいことはネットで検索するとお判りかと思いますが、要するに子供の親権についての国際問題を提起するためにここでストを続けている、ということです。

日本の離婚では、親権は父母の何方か一方にのみ属するのですが、国際的には少数派のようです。この日本の法律を改正して欲しい、というのが要求のようです。オリンピックが開催されると、千駄ヶ谷駅には諸外国からの入国者が増えるため、それに合わせてアッピールしているようです。


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                    写真18

写真の左から2人目は在日フランス大使のようで、ストを継続しているフランス人と何やら話をしていました。大使がオリンピックの開会式に出席するために千駄ヶ谷駅で下車し、偶然にスト継続者と出会ったのか、このスト継続者をニュースで知って、国際問題となるのを避けるために説得に来たのかは不明です。フランス語で話しているので内容は判らないのですが、大使はこのストの中止を求めているようではなさそうです。スト継続者からの陳情を細かく聞いている、というような雰囲気でした。