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講演録「“コロナ後”の日本」(馬場 伸幸)

馬場 伸幸氏(衆議院議員、日本維新の会幹事長)

 1965年大阪府堺市生まれ。高卒後(株)オージーロイヤル入社。86年衆議院議員秘書(中山太郎議員)。93年堺市議会議員補欠選挙初当選。2006年堺市議会副議長、11年堺市議会76代議長(市議6期)、12年衆議院議員選挙初当選。16年日本維新の会幹事長就任。17年衆議院議員選挙3期目の当選。

 

■「地方から日本を変える」――

日本維新の会の矜持 

 日本維新の会は、いつも皆様のご期待に添えてこられたわけではないと思います。政党自体にも紆余曲折があり、二度にわたる離合集散がありました。今の日本維新の会になって約5年、幹事長の仕事を拝命し、この間、組織をきちっと固めてさらに大きくしていくという思いを強くしながら、活動をして参りました。

 過去2回、大阪都構想を掲げ、「地方から日本を変える」ということで、やって参りました。会社で言えば、大阪市の中に大阪本社と大阪本店があり、経営者が2人いて、それぞれの経営理念で、それぞれの商売を好きなようにやっている、というのがかつての大阪でした。指揮官を一つにして、皆様方からお預かりしている税金(財布)も一つにさせていただいて、より税金が有効に、一円でもムダのないように使っていきたいというのがわれわれの考え方でありました。

 大阪都構想は今のところ成就はしておりませんけれども、基本的な考え方はこれからも変わりません。チャンスがあれば、大阪都構想か違う形かわかりませんけれども、行政の仕組みを変えていくという考え方はいささかも揺らぎはございません。

 大阪都構想が昨年、住民投票で否決されたときには、メディアでいっせいに「日本維新の会は終わり、大阪維新の会も終わり」と盛んに書き立てられました。われわれもそういうことが言われないように、色々な勉強をして参りました。

 皆様方の目下の一番の関心事はコロナだと思われます。われわれは、昨年コロナの流行の兆しが見えたときに、政党としては初めて国会で質問をさせていただきました。昨年1月の衆議院本会議、代表質問で私が「コロナというものが中国で流行っているらしい、春節になると多くの方が中国から来日をされる、ということに対して水際対策をどうしていきますか」と質問をしました。あのときは安倍総理でしたが、まだ他人事かなという感じでした。予算委員会でも私のほうからコロナ対策の質問をしました。PCR検査の際に、プライマーという試薬がないために検査ができないという情報をキャッチしておりましたので、PCR検査の段取りを早くしたほうがいいですよ、ということを申し上げましたが、当時の加藤厚労大臣もあまり危機感の感じられないような答弁でした。

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