【小島正憲の「読後雑感」】
『真説 日本左翼史』
池上彰・佐藤優対談 講談社現代新書 2021年6月20日
副題:「戦後左派の源流 1945-1960」
帯の言葉:「“左翼”は何を達成し、なぜ失敗したのか」
この1年半の間、コロナ禍で海外調査にも行けず、当初は悶々としていた。それでも遅まきながら、「自分の人生を総括するための時間が与えられたのだ」と考えを改めていたときに、本書がタイミングよく発刊された。
本書は、1960年以前を扱っており、私が体験した時代ではないので、その真偽を自らの体験に照らし合わせて確認することはできない。しかし、戦後左翼の激動と模索の15年間を生々しく描いており、その影響を色濃く受けた次の時代を生き抜いた私は、「もし、本書をあのころに読んでいたら、おそらく人生は大きく変わっていただろうに」と思う。
この時代を当事者として生きた革命家のほとんどは、すでに鬼籍に入っているので、彼らの証言を聞くことはできない。池上彰氏は71歳、佐藤優氏は61歳であり、したがって、彼らも私同様にこの時代は体験していない。だがしかし、かえって当事者としてのバイアスがかかっておらず、本書は信憑性が高いと思う。
いずれにせよ、本書は、戦後左翼の総括の初巻であり、次巻は1960年からを扱うという。そこは私が駆け抜けた時代である。次巻の発刊を、私は胸の高鳴りを抑えながら、待っている。
本書には、「米占領軍の中の民主化勢力とそれを錯覚し、共産党が解放軍と規定したことの混乱。戦前の講座派と労農派の対立が、そのまま戦後の共産党と社会党に引き継がれ分裂を固定」などなど、多くのことを冷静に整理して書き留められている。「宮本顕治が非転向だった理由を、“リンチ死事件”と結びつけ、転向は即死刑となる。だから転向できなかったのだ」と書き、袴田里見の証言なども載せており、納得の行く分析をしている。
反面、野坂参三のスパイ説については、深い追及はない。野坂参三の米国・ソ連・中国での立ち回りを、もっと詳しく追跡すれば、人間性の理解に大きく役立つのではないかと思う。純粋に社会主義を追求した社会主義協会を理論的支柱に、上層部の国会議員内では政治ゴロが暗躍するという社会党の分裂的な性格と、それが故の消滅も、納得。「浅沼稲次郎の暗殺など、テロが歴史を変える」という説明もよくわかる。
日本共産党内で上田耕一郎と不破哲三の天才兄弟が、『戦後革命論争史 上・下』を書いて、宮本顕治から譴責処分を受けた件については、本書を読んでも、なぜか釈然としない。私も学生時代に、古本屋にしかなかった『戦後革命論争史』を買って勉強したが、結局、わからなかった。この本は、まだ書庫に残っている。このコロナ禍の余裕時間を利用して、読み直してみようかと思っている。また、日本共産党における宮本顕治の果たした功罪については、もっと深く追求して欲しかった。
なお佐藤氏は、本対談の目的を、「私は、“左翼の時代”がまもなく到来し、その際には“左派から見た歴史観”が激動の時代を生き抜くための道標の役割を果たすはずだと考えているからです」と話している。たしかに、最近、巷ではマルクス主義の再評価が行われ始めている。あの難しい『資本論』を、勉強しようとする人が増えているようだ。
佐藤氏の言うように、左翼の時代が来るかどうかはわからないが、いずれにしても、戦後左翼が絶好のタイミングを逃し、理想の社会を築けず、四分五裂してしまったことについて、しっかりとした総括をしておく必要がある。その意味で、本書は、その材料を提供する意味で、大きな意義を持っていると思う。
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評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。