小島正憲氏のアジア論考
「一帯一路」の実相(その表と裏)
小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)
中国政府が積極的に進めてきた「一帯一路」事業(以後、事業を省いて記す)については、相変わらず「中国の覇権戦略」・「債務のワナの脅威」などを喧伝する報道が続いているが、その反面、最近、「“一帯一路”は停滞・縮小してきている」という説が浮上してきている。
たしかに、2017年ごろを境にして、縮小の傾向が見られるが、残念ながら、それを科学的に立証する論文は、今のところ見当たらない。
中国情勢は、中国自身が大国で、多面的で同時に多様性を含み、しかも中国政府発表の統計数字が信頼できないため、全体像をつかむことが難しい。なおかつ、最近では、現場における調査も制限されていることから、現象面から本質・全体像に迫ることも困難である。
さらに、「一帯一路」は、世界全体にわたっているため、研究者やジャーナリストたちの個別の努力では、その全体像をつかみ切ることは、能力・財力的に不可能に近い。
したがって、各国の研究者やジャーナリストたちが提携・協力し、総力をあげて、早急に、「一帯一路」の現場の総点検を実施し、その実相を暴き出す必要がある。
1.中国政府主体の「一帯一路」の実相=表
習近平主席が2013年に、「一帯一路」構想を打ち出して以来、中国政府は積極的に海外投資を展開してきた。しかし、最近では、その事業の透明性と環境配慮への欠如、当該国における「一帯一路」の劣悪な労働条件や安全性の欠如、また融資先国における腐敗や汚職の発生、膨れ上がった債務の返済不能による「債務のわな」への陥落の危険性など、その実相が明らかになってきており、融資先国の多くから、「一帯一路」の見直しが始まってきている。
今まで多くの国が、中国政府との間で「一帯一路」の覚書を結び、それを国内向けに大喧伝し、それぞれの国の国民の関心を惹きつけてきた。ただし、それらは口約束の類であり、発表することに意義があったわけであり、それぞれの国の政権が変わったり、「一帯一路」のデメリットが明白になるにつれ、覚書は縮小・延期・破棄に至っている。ことに、それらは2017年を境にして顕著となっている。
中東欧諸国では、一時の「中国熱」が冷めつつあり、中国と距離を置き、台湾に接近する動きが目立ってきた。それらの国々では、「一帯一路」構想による投資に期待が大きかったが、中国の投資規模などが期待外れだったという事情もある。
ルーマニアでは、中国国有企業が出資して原子力発電所の増設を進める計画が頓挫した。ポーランドもリーマン・ショック(08年)後の景気回復につなげようと中国との関係を強化したが、得られた恩恵は「不十分」(ドゥダ大統領)との認識を強めている。さらに、中国の人権状況を問題視し、リトアニア、チェコ、スロバキアの3カ国は10月下旬、台湾の政府機関幹部や民間企業トップら約65人から成る視察団を受け入れる。
アフリカ諸国では、サブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ)諸国の対中債務が、産油国のアンゴラを筆頭に近年急増しており、18年以降は鈍化したとはいえ、サブサハラ諸国向けは20年末時点の対中債務の45%を占めた。中国の途上国向け融資については、返済ができなくなる「債務のわな」に陥るとの批判の声が上がっている。ただしアフリカ諸国でも、対中債務の増加を警戒する声が強くなっており、「一帯一路」は縮小傾向である。
中国のお膝元の東南・南西アジア各国での「一帯一路」は、ラオスやタイが優等生であるが、その他の国々では、工期の遅延や破棄が目立つ。その例を、以下に列挙しておく。ただし、メディア情報を転記しているだけであり、現場検証を行っていないので、それぞれの国のジャーナリストの検証を切に願うところである。
なお、バングラデシュ・ミャンマー・カンボジアについては、裏の面まで含めて現場検証済みであり、次章で詳しく展開する。(検証済みとは言っても2年前のものであるため、コロナ終息後、現場検証を行い、情報を更新する予定である)。
・オーストラリアは、2021年初旬、「一帯一路」に関連してビクトリア州政府と中国が署名した覚書の150兆円相当
(1兆5,000億米ドル)のインフラ契約を見直し、スコット・モリソン(Scott Morrison)豪首相は、2018年に締結
された契約を撤回すると発表した。
・フィリピンでは、2019年にドゥテルテ氏と習近平国家主席が会談した後、中国企業による46億米ドル(約5,035億円)の投資計画が打ち上げられた。ただ実行された案件は少ないとされ、ミンダナオ鉄道も新型コロナウイルスの影響などで着工が遅れている。次期大統領のもとで、案件が後退するという情報もある。
・マレーシアでは、ナジブ前政権時代の2017年8月に着工した総延長600キロメートルを超える鉄道計画を、中国政府との間で締結したが、財政再建を掲げて18年5月に発足したマハティール政権は同年7月に中止を発表した。ただし、2019年4月、両国政府は中止していた東海岸鉄道の建設を、財政再建が急務のマレーシアに配慮して、建設費用を215億リンギ(約5,800億円)圧縮して再開することで合意した。
・インドネシアでは、ジャカルタ―バンドン高速鉄道は、日本と中国が激しい受注合戦を繰り広げた末、2015年に中国が建設を主導することが決まった。だが、同鉄道は16年に着工したが、土地収用の遅れなどに伴い、開通予定は当初の19年から22年に延期されている。ただし遅延したことにより、事業費は19年時点で想定された60億7,000万米ドル(約6,840億円)から30%以上、拡大しており、差額はインドネシア政府が国費で負担すると発表。
・ベトナムでは、中国支援のハノイ鉄道が開業遅れで追加費用発生し、中国輸出入銀行は追加融資を拒んでいるため、ベトナム運輸省は追加費用を国の予算で穴埋めする必要があると説明している。
・パキスタンでは、「一帯一路」の中心地を、予定されていたグワダルからカラチに変更することで合意した。米軍のアフガン撤退により、グワダルを巡る地域情勢に危険性が増したという理由もあるが、中国が限られた資金源の中で、より経済性や実現性の高い事業を選ぶようになったためでもある。
2.民間主体の「一帯一路」の実相=裏
かつて中国政府は、「走出去」という政策を掲げ、中国企業の海外進出を煽ったことがある。そのときから中国企業は全世界に進出し、投資先国で腐敗や汚職を発生させ、劣悪な労働条件や安全性が欠如した環境で労働者を酷使し、環境を破壊するなど、種々な問題を巻き起こしてきた。その上に、中国政府主導の「一帯一路」事業が始まり、それは融資先国に「債務のわな」や「覇権拡大」を警戒させることになった。
しかし、それらはあくまでも表の面である。したたかな中国企業は、「走出去」や「一帯一路」を利用して、中国内から海外へ、資金を合法的にしかも大量に持ち出していた。これが裏の面である。カンボジアやバングラデシュやミャンマーでは、それが顕著に見て取れる。他国でも、同様のことが行われていると思うが、私だけでは目が行き届かず、立証できない。
なお、海外進出する中国企業には二つの特徴がある。まず、ほとんどの中国企業が、中国本土で借金をしまくって、それを海外投資に振り向けていることである。次に、進出先国で大儲けしても、その利益を本国に還流させていないことである。
一般に、中国では無借金経営を貫いている企業はきわめて少ない。海外へ進出している企業でも、本国での余裕資金を投資に振り向けている企業は少ない。また、利益を本国に還流させているという企業の話も少ない。建国当初、毛沢東の呼びかけに呼応して、資金を携えて中国に戻った華僑の悲惨な末路を知っており、同時に中国経済の先行きに強い不安を抱いている人たちは、中国に利益を還流させようとは思わない。
中国企業と比較して、日本の海外進出企業は、利益の大半を日本国内に還流させている。これは資本収支の大幅黒字で証明されている。残念ながら、中国政府からこれらに関する統計数字の発表はない。
《カンボジア》
カンボジアは、他の東南・南西アジア諸国と比べて、金融面での規制が緩い。資金の持ち込み・持ち出しがほぼフリーであり、かなり田舎の街でもドルが通用するし、一部では人民元も流通している。また二重国籍も罪には問われないので、外国人の不動産取得も不可能ではない。したがって、マネーロンダリングには好都合な国である。しかも親中国であり、カンボジア全土に中国人が浸透しており、かなり田舎でも中国語の看板を見ることができる。ベトナムで反中暴動が起きたときには、ベトナムにいた中国人技術者を、ビザなしで大量に受け入れ、数週間カンボジア国内に滞在させたほどである。
「一帯一路」については、コロナ禍であっても、フンセン首相と習近平主席との間の約定は、空港や道路の改修・新設など着々と実行されている。ことに南部のシアヌークビル州を見れば、カンボジアにおける「一帯一路」の実相が一目瞭然である。まさにシアヌークビル州は、この10年余で、中国の領土と化してしまったからである。私は、2~3年おきに4度、シアヌークビル州を訪ね、現場検証を行っており、その変貌に驚くばかりである。
約10年前、シアヌークビルはのどかな漁村であった。そこに相前後して、二つの経済特区が誕生した。一つは、中国資本の「シアヌークビル経済特区(SEZ)」(以後、中国SEZと略記)、もう一つは、日本の円借款でJICA主導の「シアヌークビル港経済特区(SEZ)」(以後、日本SEZと略記)である。
オープン当初、中国SEZには数社の入居しかなく、とても貧弱だった。日本のSEZも2社が入居しているのみだった。私は、シアヌークビル州には当時20万人ほどしか住んでおらず、すぐに人手が枯渇してしまい、労働集約型企業が大儲けできるとは思えず、両SEZとも大発展することはないと予測していた。ことに、中国SEZと言っても、この親企業は江蘇省の紅豆集団であり、赤字まるけの借金企業であることがわかっており、追加出資などが期待できないと考えていたからでもある。
当時、シアヌークビルはプノンペンからの道路事情も悪く、シアヌークビル空港も国内便が飛んでいるだけであり、不便な場所だった。
ところが数年後、中国SEZは30社以上に膨れ上がった。そのとき、オープン当初入居していた日本企業がすでに撤退していたので、その理由を事務所でこっそり聞いてみたところ、人手不足が主因だと話してくれた。中国系の進出企業もあまり儲かっているとは思えなかったが、なぜか入居する企業は増えていた。残念ながら、日本SEZへの入居企業は、相変わらず2社のみ。そのころまだ、シアヌークビルの浜辺には、カンボジア料理のレストランが数軒立ち並んでいるだけで、のどかな風景が広がっていた。
さらに数年後、シアヌークビルは一変した。中国SEZは150社を超え、大盛況になっていた。人手不足もさらに深刻となり、工場の門前には求人の広告がデカデカと貼りだされ、従業員の奪い合いの様相を呈していた。それに比べて、日本SEZは3社のみで、SEZ内の道路はひび割れ、ぺんぺん草が生えていた。
私は、「もし、中国SEZへ出た企業が大儲けしているのならば、日本SEZに出ても大儲けできるはずだ。しかし誰も進出していない。ということは、中国SEZ進出には、儲け以外の目的があるからに違いない。紅豆集団が、中国内の借金を完済したという話は聞いておらず、中国SEZは資金持ち出しの絶好の受け皿となっているのではないか」と考えた。
驚いたのは、シアヌークビルの浜辺に巨大な中国人街ができ上ったことである。中国SEZに来る中国人の遊び場として利用されていた浜辺が、中国SEZの巨大化とともに、一変したのである。かつてのレストランは姿を消し、そこにホテルが立ち並び、そこで毎夜カジノが開帳されるようになった。
シアヌークビル空港へは、毎日、中国各地から直行便が運航されるようになり、多くの中国人が現金をトランクに詰めて飛来した。シアヌークビルでは夜の女性も中国人となり、それらを管理する中国マフィアが進出してきたため、カンボジア警察では間に合わず、とうとう中国の公安に支援を要請する始末になった。中国人建設作業員などが大量に進出し、建設事故が多発し、中国人診療所も増えた。
またカジノで丸裸にさせられた中国人向けのサラ金も増え、トラブル解決のための中国人弁護士までシアヌークビルに現れた。コロナ禍で、相当数の中国人が帰国したが、徐々にまた、勢いを取り返しつつあるという。コロナ終息後、ただちに現場検証に訪ねてみるつもりである。
2021年10月、カンボジア財務経済省は、シアヌークビル州を中国の深センをモデルに多目的経済特区(SEZ)として整備する計画に向け、中国企業とコンサルタント契約を締結した。これが、カンボジアにおける「一帯一路」の典型例=シアヌークビルの実相である。
《ミャンマー》
ミャンマーは、中国と長い国境で接しており、しかもそのほとんどが少数民族地域である。その地の住民には国境周辺での行動の自由が認められており、それに伴い密輸なども頻繁に行われている。国境地帯では、中国資本のカジノなども経営されており、中国側からビザなしで中国人が流入している。また国軍に襲撃された少数民族の住民が、大量に中国側に逃げ込むこともある。また、国共内戦終了後、中国から国民党員が逃げ込んだので、それを追って共産党員がなだれ込んだ。それらがその地に居ついてしまったこともあって、中国との人的交流なども深く、地下を通じた資金移動などが盛んであり、それらをつかむことは容易ではない。
民主化以前にも、中国政府とミャンマー軍事政権との間に、ミッソンダム開発と石油・天然ガスパイプライン建設、チャオピュー工業団地建設などのプロジェクトが進められていた。このうち、石油・天然ガスパイプラインは完成したが、ミッソンダムはテイン・セイン大統領によって中断され、チャオピュー工業団地については大きな進展がない。民主化後、習近平主席とスー・チー国家顧問との間に、いろいろな案件の約定があったが、2021年2月1日の国軍クーデターによって、棚上げ状態になっている。
ミッソンダム建設現場では、ダム両岸の土台の一部が建設されただけで、肝心の工事は遅々として進まなかった。その間に、中国企業のダンプカーがさかんに土砂を、ミャンマーから中国側に運び出した。そのせいで、ダム周辺に大きな穴がいくつもぽっかり空いてしまった。
ミッソンダム周辺は、宝石の産地であり、中国企業はダム建設という名目で、宝石を含む大量の土を合法的に奪い去ったのである。これに気付いた住民たちが抗議行動に立ち上がったため、やむを得ずテイン・セイン大統領が中止決断に至った。私が4年前に現地を訪れたとき、ミッソンダム周辺の穴ぼこやはげ山は、飛行機の窓からも確認できた。ダム工事の方は、両岸に中途半端な土台が残っているのみだった。
石油・天然ガスパイプラインの起点であるチャオピューの陸揚げ基地には、陸上からのルートはない。海上から小船をチャーターして、数時間かけて接近する方法しかないため、ジャーナリストの目は届きにくく、報道が少ない。
8年前、私が小船で現地を訪れたときには、途中から大雨が降って来て、海が荒れ、怖かった。基地には、海上に立派な備蓄タンクが何基も建っており、陸上には中国人用宿舎などが立ち並んでいた。数年前にパイプラインは完成し、チャオピューからマンダレー経由で、中国の瑞麗から昆明へと輸送が行われ、中国経済を支える動脈になっている。これこそ中国にとって、「一帯一路」の代表作とも言えるが、クーデター発生後は、このパイプラインの襲撃が民主派によって呼びかけられており、中国側は国軍にパイプラインの防衛を強く要請している。
チャオピュー工業団地は、いまだ計画段階で進展していない。パイプライン関係を除けば、チャオピューに進出する中国企業はほとんどない。10年ほど前から、ヤンゴンやマンダレーへ中国企業の進出が目立ち始めており、スー・チー政権になってから、欧米の経済制裁が解けたこともあって、ヤンゴン周辺の工業団地では中国企業が一段と増え、中国人技術者を数多く見かけるようになった。
それらの中国企業の経営が軌道に乗り始めた矢先、ミャンマーには国軍のクーデターが起きた。一時、国軍のバックに中国がいるというウワサが流れ、しかもコロナが蔓延したため、身の危険を感じた中国人は、いっせいにミャンマーから姿を消した。
しかし、コロナの終息を見計らって、中国人はただちにビザ取得のための新ルートを確立し、続々とミャンマー入り、操業を再開し始めている。中国人商工会も機能し始め、中国人へのPCR検査やワクチン接種、コロナに感染した場合の診察体制なども確立した。クーデター後も、民間段階での「一帯一路」は、着実に進行している。だが、これらの中国企業の経営実態は定かではないので、コロナ終息後、ただちに現地に赴き調査を開始したい。
《バングラデシュ》
バングラデシュはイスラム教国であり、印僑の勢力範囲なので、中国企業の進出は少ない。習近平主席は2016年、ダッカでハシナ首相と会談し、インフラ整備など27項目の合意事項や覚書に署名した。しかしバングラデシュ側が投資対象の一部を変更し、別の事業への切り替えを希望したため、5事業を対象とした総額36億ドル(約3800億円)に上る中国の融資について見直している。
2011年、バングラデシュ政府と世界銀行はパドマ河に多目的ブリッジを建設することで合意した。パドマ河は大河のため、渡るにはフェリーで5時間を要し、これがバングラデシュ南西部経済発展のネックになっていた。だから橋の開通はバングラデシュ経済を大きく浮揚させるものとして、期待を集めた。ところが、着工間近で、ハシナ首相周辺のこのプロジェクトに関する汚職疑惑が浮上し、世界銀行が手を引いたため、このプロジェクトは棚上げになってしまった。
その後すぐに、私は、ダッカから車を走らせ、現地を見に行った。道路はデコボコで、なおかつ道中は延々と泥沼と草原が続き、退屈極まりなかった。現場では、両岸に取り付け道路ができているだけであり、現地の事務所も開店休業状態だった。
2014年末、ハシナ首相は、政府の自己資金で工事を再開することを決めた。橋の建設は中国橋梁工程有限公司(MBEC)が、河川管理は中国の中濃水力公司が請け負い、工事が進められた。
5年前、私は再び、現地を訪ねてみた。たしかに大河の真ん中に立派な橋げたが立っており、工事は進んでいるようだった。だが、私は前回とはまったく違う様相にびっくり仰天した。ダッカから現場まで、前回は泥沼と草原ばかりだった道路の両側の土地がすべて買い占められ、そこに売り出しやら貸し出しの看板がびっしりと建てられていたからである。私は、行きも帰りも、その看板を見続けることになった。中国資本が土地を買い占めたのか、中には相当数の中国語の看板があった。
2022年末までに、パドマブリッジは完成予定である。私は、完成後、ただちに現地に行って、このプロジェクトで、「誰が大儲けしたのか?」を確認してみたいと思っている。
3.「一帯一路」は2017年以後、失速
「一帯一路」への融資額が頂点に達したのは中国の国家開発銀行(CDB)と中国輸出入銀行が7兆5,000億円相当(750億米ドル)を貸し付けた2016年である。2019年までにこうした銀行からの融資額は4,000億円相当(40億米ドル)に減少した。
「一帯一路」への融資額が2017年から減少した理由は、中国政府が外貨持ち出し禁止に方針転換したからである。中国では、2016年の1年間で、外貨準備高の1/4=1兆ドルが海外逃避した。これをそのまま許しておけば、2017年中に、外貨不足に見舞われ、貿易決済用の外貨にも事欠く事態に追い込まれることが予測された。中国政府は慌てふためき、2017年初頭、外貨の持ち出し禁止の実施に踏み切った。同時に、もっとも大きな抜け穴である「走出去」・「一帯一路」事業に急ブレーキをかけたのである。その結果、すでに覚書が交わされていた事業でも、継続への再検討がなされ、難癖が付けられ、延期・縮小・破棄がなされた。
中国にはかつてのような財務面での余力がもはや残っていない。
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小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。