商社マンが創り上げた新しいものづくり稼業―天昇電気工業㈱
― 長年磨き上げたプラスチック技術を基盤に新たな飛躍に向かう
【会社紹介】
天昇電気工業株式会社
- 創業: 1936年(昭和11年)5月
- 代表者:代表取締役社長 石川 忠彦
- 事業内容:プラスチック製品の設計・製造・販売、プラスチック金型の設計・製造・販売
- 従業員数: 約550名(2021年3月現在)
- 資本金:12億800万円
- 売上高: 155億5,700万円(2021年3月期)
石川忠彦社長
- 劇的な逆転満塁サヨナラホームラン
石川忠彦氏が2013年に天昇電気工業㈱(本社・東京都町田市)の代表取締役社長として登板するのは、野球で言うならば、スコアは4対0、局面は9回表、ノーアウト満塁、バッターは強力な4番バッターの時である。敗色は極めて濃厚で、誰もがこのピッチャーは敗戦処理投手なのかと思うほどの場面であった。
石川投手は、まずこの4番バッターを3球3振で打ち取った。次の5番打者は初球をセカンドゴロのダブルプレ―で打ち取り、わずか4球で奇跡的に押えた。このことでチームはいくらか明るい雰囲気となった。しかし、抑えただけでは試合に勝てない。攻撃は後1回、9回裏のみである。勝利するにはここで逆転しなければならない。
幸いにも打順はトップバッターから、しかし当日この打者は当たってはいなかったので機転を利かしセーフティバントで出塁する。2番バッターは3振で終わったが、3番バッターがセンタ―前ヒットでワンアウト1、3塁、ここで4番バッターがまたセンタ―前ヒットを打ちやっと1点を返す、次の5番バッターは選球眼の良い打者で球を良く見て4球でワンアウト満塁となる。ここでリリーフに出た石川投手に打順が回って来る。
石川投手はこれまでの敗色の局面にあまり噛んでないだけに極めて冷静であった。そのため相手投手の球も良く見えていた。自分が作った敗色局面ではないために幾分気が楽であったことが大きい。その上9回表を自分が最高のかたちで抑えているので気持ちに大きなゆとりがあった。これが良かった。2球ボールの後3球目内角高めの球をなんなくレフトスタンドに運んだ。あっと言う間の劇的な逆転満塁サヨナラホームランである。
- 自動車業界向けへの展開
天昇電気工業㈱が絶体絶命のピンチを招いたのは実は同社のせいではない。当時最大のユーザーであったイケイケで進めたシャープの液晶テレビ亀山モデルが過剰設備投資で破綻したからである。当時年商300億円のうち200億円が消滅する。「どうしてくれるんですか」。シャープの幹部に繰り言を述べてももはや後の祭りである。
石川社長は今では同社の売上高の70%が自動車業界である点を心配している。一本足打法は効率は良いがリスクが大きい。一度やけどを負いもうこりている筈でもうつい注文が来たぞ、売上が伸びるぞという誘惑には弱いのである。もっとも今回の自動車メーカーは1社ではなく多数のメーカーであるため事情は大きく異なるが一本足打法と言う点では変わらない。
石川社長の4番バッターを3球3振に打ち取りにあたるのが、この自動車業界向けの製品の供給である。彼が三井物産から転じ同社のマウンドに登るのが(同社の社長になるのが)2013年である。驚いたことにそれまで同社のプラスチック製品は家電業界が中心で自動車業界向けの仕事はほとんどなかった。
そこでこの自動車業界向けにユーザーを開拓することにする。当面このシャープの200億円を埋めるのはここしかないからだ。しかし、自動車業界は伝統的に格式を重んじ、敷居が高い。まず口座を開設することすら大変である。
ここで1936年創業、1961年に東証二部上場(現スタンダード市場)という同社の信用と長年磨き上げてきた技術力そして石川社長の営業力が生きて来る。自動車業界は、ひとつの機種で開発期間3年、その後生産体制、メンテナンス大体10年のお付合いのため、同社の技術力のほかにこの持久力が充分あったことが大きい。
石川社長は、「営業はキーパーソンを探し出すことに尽きる」と言う。しかし、相手の名刺にキーパーソンと書いてある訳ではない。キーパーソンは、時には調達部長であるかも知れないし、古参の部長代理かも知れない。あるいは課長かも知れないし、時には担当職員かも知れない。
しかし、キーパーソンを押えただけでは売込みは進まない。そのキーパーソンをどう攻略するかである。石川社長は数年前、中国出張直前に重いものを持ち、腰を痛めてしまった。どうにも動けない。中国で「1週間後の(ある会社のキーパーソンとの)ゴルフはどうしても外せない。這ってでもしないといけない。至急鍼のハリ治療の名医を探して欲しい」。誰もがゴルフなどとても無理だと思ったたが社員の探し出した名医と石川社長の情熱でついに腰痛は中国で直ってしまった。
石川社長は商社での経験から来るこのキーパーソンの特定とそこへの売込みの情熱で、驚くべき速度で自動車業界への切込みを行い、スバルを皮切りに今では全ての自動車メーカーへの納入を果たし、前に述べたように今では会社の売上の7割を果たすまでになっている。
自社商品「ミッペール」の生産
- 北米市場は韓国企業で代替
次に、3番バッターのセンタ―前ヒットであるがこれは2007年に設立した天昇メキシココーポレーション(現在の社名は三甲プラスチックメキシコ)とマキラドーラ(メキシコがアメリカや日本企業の資本誘致を目的として、アメリカ国境沿いに設けた保税輸出加工区)活用のためのアメリカカルフォニア州サンディエゴ市にある天昇アメリカココーポレーション(現在の社名は三甲アメリカ)の復活劇である。同社は、シャープの液晶テレビ亀山モデルでの世界戦略での依頼を受け伴走していた。そのひとつがこの北米市場向け工場である。
なにしろ、外国に作ってた工場の仕事がいきなり無くなるのであるから大変なことになる。シャープが転げ落ちアメリカ市場はどこの国のテレビが売れているのか。実は韓国のサムソンが50%、LGが20%合わせて70%になる。圧倒的に韓国勢が強い。石川社長はここに営業をかけた。今ではメキシコでは第2工場を建設し、あらゆるものが収納できる「プラスチックコンテナ」などの独自製品を作るまでになっている。
次に4番バッターのセンタ―前ヒットであるが、これも海外拠点で2006年にヨーロッパのポーランドに設置した天昇ポーランドコーポレーションである。格式と伝統、閉鎖性の色濃く残る東欧市場は北米のようにユーザーがそこにいるから営業をかけようということにはならない。現地では日本の無名のプラスチック会社ではなかなか会社の門を開けてくれない。
そこで、石川社長は一計を案じる。地場の名門企業である総合化学会社のボリシェフと合弁企業とすることにより、言わば深窓の令嬢と結婚(合弁)することにより皆に認めていただく戦略である。同社はボリシェフ天昇ポーランドコーポレーションと形を変えてドイツの自動車会社フォルクスワーゲンなどの現地市場の販路を開拓した。
- メキシコ工場第2工場は現在の2倍の規模
最後の逆転満塁サヨナラホームランであるが、これは石川社長による同社の経営改革である。技術力のある老舗企業を抜本的に改革し時代を先導する新しいものづくり企業を創り出すことである。
経営改革では、いろいろな試みを行ったがまずやったことが人材革命である。毎年中途採用を行い現在社員550人のうち200人は途中から入った社員である。大卒の新規採用が毎年10人であるから現在の社員の概ね半分の社員は後から入社した社員である。古参の社員と新しい社員がコラボするとこの効果は図り知れず大きく同社のキャッチフレーズであるプラスチックのトータルエンジニアリングに厚みを増したことである。
同様に、自社商品開発戦略、海外戦略、M&A戦略などを更に強化し、数年以内に自社商品比率を現在の2割から3割に、海外の生産比率を2割から5割に増やし売上高はシャープと取引をしていた2008年頃のピーク時の308億円規模に伸ばすことが射程に入った。
特に、この売上の拡大にはメキシコ工場の役割が大きい。メキシコ工場の新規工場は現在の規模の約2倍であり、かつプラスチックコンテナなど物流資材分野ですでにアメリカのユーザーから注文を受けており竣工時からこの大きな工場はフル操業を予定している。
この工場はアメリカの順調な成長に伴い、当初の液晶テレビ分野だけでなく、玩具、医療分野など様々な分野拡げてきており、今後同社の大きな柱となる。考えて見ればシャ-プが経営的にダウンして顧客を失い途方に暮れていた頃からは想像もできない状況となって来ている。
自動車部品「グリル」の生産
- 社内を一体化し自社製品開発
天昇電気工業㈱の今後の事業展開でもう一つの柱が自社商品開発戦略である。数年以内に自社商品比率を現在の2割から3割にする部隊のトップを務めているのが同社の技術本部長で埼玉工場(埼玉県比企郡川島町)の第一技術部長を兼ねる中沢茂雄氏である。
「自社製品比率を現在の2割から3割にするのは一見簡単そうですが、かなり難しい作業なのです。それは、これまでの仕事の中心が自動車や家電など他社の仕事を請け負う仕事と自社で製品を作り市場に送り出す仕事は思考法、手順、展開の仕方がまったく異なるからでず。請け負いに慣れた身体を大きく変えて行かねばならない。
確かに、自社商品は自分で値段が決められ、利益率も多く見込めます。しかしその製品が本当に市場で受け入れられるか。どのように売っていくのか。これを自分たちで詰めねばなりません。マーケットセンスがぜひとも必要とされるのです。
自社製品開発は、外部人材を活用しながら若手社員が中心のプロジェクトチーム方式で進めておりますが、3歩前進2歩後退のような状況のなかで、洪水・冠水を防ぎ、浸水のリスクを軽減しゲリラ豪雨などの雨水貯留浸透施設の“テンレイン・スクラム“などを市場に出して来ました。これからも地道にこれらの体験を積み重ねるしかないのです」と中沢技術本部長は控えめながら自社商品開発の今後の抱負を語る。
その意味では、社員550人のうち200人は途中から入った社員、大卒の新規採用が毎年10人で50人とこの新戦力は新製品を出すという視点からすと、同社の過去を知らないだけに返って良いのかも知れない。
これまでは、福島工場、矢吹工場、群馬工場、埼玉工場、三重工場、と各地区ごとに進めていた自社商品開発を現在一体化して進めている。石川社長の自社製品比率を現在の2割から3割にするというのは自社商品開発ということで会社を一体化するということにあるのかも知れない。
製品展示ルーム
■人生は縁と運で決まる —-絶えず、勉強、努力、精進が合言葉
天昇電気工業㈱の石川忠彦社長は、「人生は縁と運で決まる」と語る。ニューヨークで生まれ、ロンドンで育つ、大学を卒業し1979年に三井物産に入社し以後35年間一貫して同社の化学品、プラスチック分野で活躍する。2013年にそれまでまったく知らなかった天昇電気工業㈱の社長兼海外事業本部長に就任する。
ニューヨークで生まれ、ロンドンで育つという商社マンになるための願ってもない環境は、父親の転勤という運の良さである。天昇電気工業㈱の社長に就任する縁は、まず三井物産で化学品、プラスチックの分野の仕事に就いていなければあり得なかった。また、シャ-プが液晶テレビ亀山モデルの世界戦略で破綻をしなければあり得なかった。この2つの大きな縁がなければ今日の彼の姿はない。
確かに人生とはまさに縁と運で成り立っているが、石川社長が天昇電気工業㈱の社長になるのは相当の縁と運が重さならなければたどり着かない。しかし、この縁と運まかせだけではなかなかうまくは進まない。その上に絶えず、勉強、努力、精進が大事だと語る。まさに運とは運び込むものである。
商社マンの動きは世界を股にかけダイナミックである。一方、プラスチック製品の設計、製造、販売というものづくりの企業は技術の奥が深くどうしても中に入り込むため引き籠りがちになりやすい。現在の天昇電気工業㈱は石川社長の就任以来、このミックスの味が良く出ている。同社のパンフレットで2036年に創業100周年と書いてあるがこの頃までにはこの会社ミックスの味で大化けしそうな予感がする。
増田辰弘(ますだ・たつひろ)
『先見経済』特別編集委員
1947年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1次アジア投資ブーム以降、現在までの30年間で取材企業数は1,600社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。