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兄弟経営のあるべきかたちを示した : ㈱新日本空調サービスホールディングス

増田辰弘が訪ねる 清話会会員企業インタビュー【第8回】

どんな場面でも社員の力を結集させる巧みなチーム力が財産:兄弟経営のあるべきかたちを示した

㈱新日本空調サービスホールディングス

【会社紹介】

新日本空調サービスグループ

創立 :昭和39 年7月    資本金:4,000万円

役員氏名 :◎株式会社新日本空調サービスホールディングス 代表取締役社長 松尾 宏一/◎株式会社新日本空調サービス東京

 代表取締役社長 松尾 長志/◎株式会社新日本空調サービス名古屋 代表取締役社長 松尾 長志/◎株式会社新日

本空調サービス大阪 代表取締役社長 矢野 孝一/◎株式会社新日本空調サービス福岡 代表取締役社長 松尾 龍亮

営業種目 :冷暖房空調機保守管理、厨房設備工事及び保守管理、各種フィルター販売及び洗浄、塗装工事全般 (設備)、産業廃棄物収集運搬、等

松尾 宏一社長

 

新日本空調サービスグループ

【創立】昭和39年7月  【資本金】4,000万円

【役員氏名】◎株式会社新日本空調サービスホールディングス 代表取締役社長 松尾 宏一/◎株式会社新日本空調サービス東京 代表取締役社長 松尾 長志/◎株式会社新日本空調サービス名古屋 代表取締役社長 松尾 長志/◎株式会社新日本空調サービス大阪 代表取締役社長 矢野 孝一/◎株式会社新日本空調サービス福岡 代表取締役社長 松尾 龍亮

【営業種目】冷暖房空調機保守管理、厨房設備工事及び保守管理、各種フィルター販売及び洗浄、塗装工事全般 (設備)、産業廃棄物収集運搬、等

 

 

  • 会社の存在自体が貴重な提案

 

 (株)新日本空調サービスホールディングス(本社・東京都港区、松尾宏一社長)の取材を始めた時、松尾社長から「うちの会社で記事になりますかね」とご心配をいただいた。確かに、新たなオフィスビルやショッピングセンターなどで空調サービス事業は業界としては拡大基調で順調、会社としても全国展開で着実に伸びている。大きな経営の課題がほとんどないだけにご心配いただくことはよく分かる。しかし、この会社は実はすでに存在自体が貴重な提案をしているのだ。それは、創業者から2代目の継承の仕方が理想的なかたちであるからだ。

同社は、1964年の現社長の実父である松尾長生氏による創業である。九州博多から上京して渋谷でからだひとつ徒手空手の状況で創業した。

最初は、社名は新日本オイルサービス㈱で現在の空調に特化したものでなく、潤滑油を使う各種機器の予防保全を行うかたちでスタートしている。長生氏はバイタイティー溢れる人で、飛び込み営業でひとつひとつ地歩を固めて行った。

社名が新日本空調サービスに変わる1974年頃から現在の様な業務形態となった。創業者は人の縁を大事にする方で三井不動産、東急グループなど飛び込み営業で創り上げたユーザーとの関係を大事に、大事に育て上げた。大阪、名古屋への地方展開は主たるユーザーである東急ホテルが地方展開を行う時に現地で空調のメンテナンスをやってくれないかという依頼が元になっている。

この創業者の意思を継ぎ事業を拡大していったのが、宏一氏、龍亮氏、長志氏、の3人の兄弟である。こう言うと簡単そうだが、兄弟で会社を経営することは大変なことである。私の知り合いの社長で丁度同じように3人の息子がいるが兄弟がうまく行く訳がないと三男に絞って事業を継承している。それだけ兄弟、肉親で経営というのは難しい。

 

  • あまり研究されない2代目経営

 

 徳川幕府が260年持ったのはもちろん創業者である徳川家康に力が大きい。しかし、第2代将軍徳川秀忠に力もまた忘れてはならない。彼の能力の片りんが武田勝頼にあればおそらく歴史は少しは変わっていた。

 豊臣政権は、秀吉の弟秀長の死からおかしくなる。石田三成ではカバーしきれなかった。仮に秀長が秀吉よりもう10年長生きしていたら、おそらく朝鮮出兵はなかったし、徳川幕府も生まれなかった。このように創業者の事業をカバーする、引き継ぐということはそれなりに難しい。

私はウクライナのゼレンスキー大統領はあまり評価できない。むしろ、前任者のポロシェンコ大統領を評価する。隣にプーチンという常識破りの独裁者がいる。NATOに入る、EUに入るというポピュリズムで国民向けに格好の良いことを言えばどうなるかという創造力が欲しかった。ポロシェンコ大統領は確かに地味で人気はなかったが国民の命と暮らしを守っていたのは事実だ。親ロ派でもなかった。政治家として決断し戦わなければならない時もある。しかし、戦争を避けられる道があるのならそれを探し出すのが仕事である。

不思議なことにこの秀忠、秀長に連なるこの2代目学というのはあまり研究されて来ていない。もう少し体系的分析がなされていたならもっとスムーズな事業継承が行われたはずである。

 前段が大変長くなったが、㈱新日本空調サービスの松尾宏一社長はあるべき2代目学をよく考えられていて、私の見るところ秀忠、秀長クラスの2代目社長である。誰に教わった訳でもないのにほぼ完璧にこなしている。それは、自身「兄弟が会社を経営してうまく行くのか懐疑的であった」と話していることからも覗える。懐疑的なところからスタートしているから絶えず運営が慎重になる。会社の好循環はこうして生まれたように感じる。

  • 4拠点で独立運営

 

㈱新日本空調サービスホールディングスの主要業務は、冷暖房空調機の保守管理、厨房設備工事及びその保守管理、各種フィルター販売及び洗浄、管工事、各種貯水槽清掃などオフィスビル、ショッピングモールなどの商業施設、ホテルなどの施設の保守管理用務である。

 ホールディングス会社の下に㈱新日本空調サービス東京、㈱新日本空調サービス名古屋、㈱新日本空調サービス大阪、㈱新日本空調サービス福岡の事業会社を置くかたちで運営している。東京には千葉、横浜、埼玉、城東地区に営業所、福岡に大野城市に南営業所を置いている。売上高は、東京16億円、その他の3拠点で8億円の内訳である。合計で年商24億円である。

 そして、事業会社の㈱新日本空調サービス東京と名古屋には三男の松尾長志氏が社長を、大阪には矢野孝一氏が社長を、福岡には次男の松尾龍亮氏が社長をしている。まず、兄弟の役割分担を支店、営業所のかたちではなく独立した会社とした。また、これは重要なことだが、ホールディングス会社の機能を最小限にしたこととホールディング会社と東京の会社を別の場所としたことである。

 私も5人兄弟の長男であるから良く分かるが、兄弟仲を良くするのは長男がいかに長男風を吹かせないかに尽きる。松尾社長はこのことを良く心得ていて実にうまくバランスを取りながら運営しているのが分かる。何度も言うようだがこう言う地味なことだが大変大事なことである。

 二人の弟は、独立した事業会社の社長であるから、ほとんどのことは長男であるホールディングスの松尾社長の伺いを立てることなくできる。独自の試みや新しい分野の挑戦もできる。

 

  • ついに20億円の壁を突破

 

同社は、2010年頃から年商20億円の壁にぶつかっていた。どうして

も13億円前後で数年うろうろしていた。そこで社内に20億円プロジェクトを立ち上げ本格的な成長戦略を探ることにする。

 まず、始めたことの第一は東京、名古屋、大阪、福岡の各社に営業開発部を開設して4名の営業職を置いたことである。それまでは専門の営業マンはおらず、現場で仕事をしながらの営業であった。

 このことで、現場で受けた仕事が横に繋がり、原因を分析し、次の仕事への拡がりができた。また、同様な仕事が東京から名古屋、大阪、福岡へと全国に繋がることにもなった。これでお客の情報を会社が一体として共有できたのである。

 もうひとつ始めたのが会社の現場を5人一組とするチームづくりにしたことである。これは色々な意味がある。空調のメンテナンスと言うのは職人の仕事なのでどうしても籠もりやすい。そこで人材育成の最小組織を作った。24時間対応の仕事なので5人でお客の情報を共有し合い、シフトの編成やアフターケアの段取りなどを行う。

現場の仕事では社員のコミュニケーションを取るのが難しい。特に、新入社員は仕事を覚えるのさえ大変なのに自分で社内の人間関係を作るのはもっと大変である。そこで、このチームを基礎単位として人間関係を拡げて行くことにする。

また、これが本当の目的であったが、この5人が一つのチームで売上げの競争をさせる。目安は一つのチームで月間1200万円であるがただ仕事をこなすだけでなく数字で自分達の成果を確認させる。チームの編成は各社、営業所にまかされていて機械的に行えるようにする。

このような地味な作業を積み重ね2015年からついに念願の20億円を突破した。そしてそれだけではなくこの地味な作業の繰り返しにより毎年1億円ずつ売上高が増えて行く体制が整ってきた。現在のやり方を継続できるなら10年で10億円、20年で20億円売上高が増えて行くことになる。この体制を創り上げたことの意味は限りなく大きいと言える。

 

  • 人材の確保と育成

 

少子高齢化で日本経済全体のマーケットが縮小するなかにあって同社の行う業務用空調メンテナンス業は、新規のオフィスビル、ショッピングモール、大型ホテル建設などでマーケットは着実に拡大している。

 しかし、この業界にも課題がある。それは人手の確保である。すなわち、この業界は良い人材が集まりさえすればどんどん企業は成長できる状況にある。しかしこれは相当深刻な問題である。現在、同社は社員が200人、パート、アルバイト200人合わせて400人の体制であるが、正確に言えばこの体制を維持するのに四苦八苦している状況である。これは全国にある同業の100社も変わらない。同社の経営課題は1にも2にも人材の確保に尽きる。

 そのためにこれまで様々な努力をしている。まず、10年前から始めた工業高校の新卒採用である。これも最初は大変であった。元々地元思考が強いのとそれぞれの高校に就職の得意先企業がある。知らない会社よりも素性の知れた馴染みの会社のほうが良いと思うのが人情である。

最初は、本当に1人、2人から始まり現在では毎年15人採用ベースにまでなった。今年の採用は、東京が7人、名古屋が3人、大阪が1人、福岡が4人の配置である。彼らを借上げの独身寮に住まわせまさにヒナを育てるように大事に育てている。お陰で離職率は少なくいくつかの地方の工業高校には馴染みの会社となりつつある。

もうひとつやっているのが、現在はコロナで行われていないが毎年の社員の海外旅行である。それも家族の同伴も可能である。総勢約300人を2班に分けハワイやグァムなどの海外に出かける。名古屋地域の企業にはこの社員の海外旅行が定石となっており、いろいろ調べたが家族込みというのは記憶にない。そしてこのほかにも、各社ごとにリクリエーション、決算発表後の食事会など社員の福利厚生には力を入れている。

人材育成については、入社後1年目、2年目、3年目に行われる階層別研修、専門技術研修そしてコンプライアンス、ビジネスマナー、リーダーシップなどを体系的に学ぶ外部機関㈱ラーニングエージェンシーで行なっている。なにしろ24時間対応の仕事なのでこまめに工夫をしながら人材育成を行って来ている。

 

 

■現代の豊臣秀長~㈱星野リゾート専務・星野究道氏

 

 カリスマ経営者として㈱星野リゾートの星野佳路社長は全国で知らない人はいないほど有名である。テレビや新聞、雑誌で登場する有名な経営者のひとりである。

 しかし、弟である専務の星野究道氏はマスコミにはほとんど登場しない。兄の佳路社長が営業、マーケティング、弟の究道専務が財務と新規案件担当の役割分担というがほとんど裏方の仕事である。彼は公認会計士で常に会社の隅々まで見ている。また、社内でのほとんどの仲裁役、調整役を行っている。新規案件になると佳路社長の発言が慎重になるのは最終的には究道専務が決めているからとも言われる。

注目すべきなのは、㈱新日本空調サービスの松尾社長が「兄弟が会社を経営してうまく行くのか懐疑的であった」と発言していると同様に佳路社長が「兄弟経営はなかなか難しい。最後まで協力してやって行ける兄弟は少ない」と話していることである。兄弟が仲良く経営を行うのはお互いにまず難しいことと言う自覚を持って臨んでいることである。

 ところで、この星野家というのは経営の名門で初代は星野嘉助氏で鮮魚や雑貨を営む「星野商店」を経営する。その後生糸業を始める。2代目の国次氏に時代になると生糸業は隆盛きわめるがやがて世界の生糸相場が崩れるとその資金を元手にすでに軽井沢に山林を購入していた土地を開発し温泉を掘る。1914年に星野リゾートの前身である「星野温泉旅館」を創業する。

 3代目の嘉政氏はこの旅館に電気を引くため、独学で木製水車を開発し電気を引いた。4代目晃良氏は軽井沢高原協会での西洋式ウエディングを始めている。そして、5代目が佳路、究道氏兄弟である。

 星野家がこれだけ、次々と優れた経営者を輩出しているということは元々優れた血筋なのである。㈱星野リゾート5代の家族を調べてみたが、今のところ究道氏にあたる役回りの兄弟を確認はできなかった。

 これは秀長と同様、佳路社長は歴史に燦然と残るが究道専務はこれから余程のことがない限り歴史に残らない。そういう役回りなのである。そして、もうひとつ佳路氏の奥さんの朝子さんは日産自動車の副社長。これもすごい話である。