増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第10回
「破突破力に強み、格の出版社」- ㈱八重洲出版
~独自の時代の匂いを嗅ぎ取る力で独自の領域~
【会社紹介】
株式会社八重洲出版
創業年:1957(昭和32)年7月1 日
代表者:代表取締役 酒井雅康
資本金:1,000 万円
事業内容: 出版業・不動産賃貸
関連会社:株式会社八重洲PR センター
酒井雅康社長
新たな時代と同居する会社
私も何冊か本を書いているから分かるのだが、出版業界は長期に渡る構造不況業種である。清話会の佐々木社長から㈱八重洲出版(本社:東京都中央区、酒井雅康社長)は自社ビルと聞いていたから、失礼にも本業の赤字分を不動産収入で埋めていると感じていた。しかし、訪問してみると7階のビルがまるごと同社各事業部、関連会社で埋められている。このことにまずびっくりした。
そして、酒井社長に話をお聞きするとびっくりすることばかり、まず最初にびっくりするのは、出版社にしては大胆な事業展開をしているが、そのことを当たり前かのように淡々と語るのだ。そして、同社の取材で感じたのは、例えどんな構造不況業種ではあっても、工夫をし、知恵を出し、行動をすれば道は少しは拓けるということである。その意味では現在苦境の会社でも、もっとオーバーに言えば苦境の日本経済でも同社のやり方を見習えば、少しは道は拓けると思われる。
それを端的に表わしているのが同社の組織の人員構成である。社員50人のうち一番人員の多いのはクロスメディア事業部で、外部スタッフも入れて20人弱いる。ここはホームページ運営などのデジタル、イベント事業の開催、広告営業などの業務を行うセクションである。従来の出版社の発想でいうならば傍流の部門が一番人数が多く、力を入れているかたちだ。
次に多いのが15人の四輪事業部である。ここは『ドライバー』『オールド・タイマー』という同社のドル箱である自動車の雑誌と『ラジコンマガジン』を発行する部署である。
次が10人の六輪業部である。ここはキャンピングカーの『オートキャンパー』、自転車の『サイクルスポーツ』の雑誌を発行する部署である。最後が5人の二輪事業部である。ここはオートバイの『モーターサイクリスト』、同社の源流となる祖業雑誌を発行する部署である。
今日の日本経済は少子高齢化、IT化、インターネット化、価値観の多様化がかつてないほど急速に進む時代である。どの会社でもどの人間でもこの新たな時代と覚悟を決めて同居をしなければ次の展望は拓けない。
㈱八重洲出版のすごいところはためらいもなくというか、無意識というか自然体でこの新たな時代との同居ができているということである。なぜなのか。
酒井社長によると、
①各時代の時勢、時流の変化に伴い雑誌の刊行サイクルの変更や雑誌業界の盛衰も重なり、今日の各事業部体制に組織変更していったこと、
②出版不況が続く中、出版社が所有しているコンテンツを軸に、イベント事業やECコマース、デジタル事業やアーカイブ事業などを新時代のコンテンツ産業に展開していく時代になったこと、という回答であった。
中核事業の6冊の月刊誌
㈱八重洲出版の中核事業は、6冊の月刊誌の雑誌の発行である。順に述べると自動車の月刊誌『ドライバー』、古い自動車の月刊誌『Old-timer(オールド・タイマー)』、オートバイの『Motorcyclist(モーターサイクリスト)』、キャンピングカーの『Autocamper( オートキャンパー)』、自転車の『CycleSports(サイクルスポーツ)』、ラジコンの『ラジコンマガジン』である。
自動車の月刊誌『ドライバー』は各メーカーごとの自動車の良さが記載されている。
10月号では「維新前進、トヨタのクラウンの16代目新車発売記念」として特集を組んでいる。
67年前に創業者である豊田喜一郎社長が「純国産乗用車と胸を張って言えるクルマをつくりたい」と始めた高級セダンの歴史と分析がなされている。また、「私の愛車物語」や「八丁堀だよ!全員集合!」などコーヒーブレイクも忘れない粋な雑誌である。
古い自動車の隔月月刊誌『Old-timer』は、これでもかと思われるほど古い車が満載の雑誌である。9月号は、優美な商用車特集で現在でも現役の様々な古い商用車が登場してい
る。特に、初代となる1976年発売のトヨタのハイエースでのたい焼き屋さんは面白く温かみを感じた。また、巻末の13ページは各種部品などのフリーマーケットである。もうメーカーから供給を終えたものも少なくない。これらをカバーする雑誌でもある。
オートバイの月刊誌『Motorcyclist』の9月号は、「今こそ、北海道」という北海道特集である。釧路湿原、小樽、宗谷岬など北海道各地の紹介、ツーリングプランの立て方、各地のグルメなどが盛り沢山に並ぶ、明日にでも北海道に出かけたくなる内容である。
特に目を引いたのは「ゴールデンカムイを訪ねて」「アイヌ文化を知ろう 日高・白老」「新選組最後の地にて侍たちの思いを馳せる函館」など極めてマニアックで面白い。
キャンピングカーの月刊誌『Autocamper』の9月号は、「キャンピングカー何して遊ぶ」特集で、花火、サーフィン、ハイキング、サイクリングなど様々な遊び方が読者からの報告のかたちで並んでいる。
また、巻末のホットラインでは全国各地で行われるキャンピングカーのフェアや新設のRVパークの案内などがなされている。これを見るとキャンピングカー生活が日本人の定年後のひとつの選択となりつつあることが良く分かる。
年間50冊の単発雑誌(不定期ムック)も発行
自転車の月刊誌『CycleSports』は、これはページをめくると若者の匂いがしてくる。9月号は、バイクパッキングで旅の道具の選び方、荷物の積み方、キャンプの仕方がそれぞれのサイクリストから写真付きで事例を交えながら記載されている。
サイクリストのいしだゆうすさんの「僕の細道」という連載がある。これがなかなか読ませる。東北各地の観光地、温泉、そして地域のお蕎麦、団子などのグルメ情報など話題満載の自転車一人旅を綴っている。
ラジコンの月刊誌『ラジコンマガジン』は、これは超マニアックな雑誌で妥協を許さないほどの徹底ぶりである。これを40年も続けていることに感動すら覚える。意外にラジコンはパーツが鍵となっているようでここの部分をスペースでふんだんに取っている。
そのほかに月刊誌のかたちではないが単発でも多くの雑誌も出している。『痛車天国』や『車中泊軽バン』など前述した6冊の雑誌に連なる乗り物関係が多いものの『日本橋老舗物語』これは日本橋の老舗の有名店が掲載されている。
北海道版、近畿版など全国の地区ごとの『道の駅シリーズ』『愛猫を長生きさせる習慣』『よくわかる補聴器選び』『戦国剣豪』『アンテナショップの担当者のイチ押し絶品』など、この出版社に確たるコンセプトはあるのかと問われるくらい色々な雑誌を出している。その数、年間50冊にも上る。
酒井社長は「最近の雑誌の返品率は平均で40%、良くても30%です。高度成長期の一番よい時期は20%以下だったのですが年々厳しくなっています。だから新規に定期雑誌を新創刊するようなところはほとんどありません。残存者利益を奪い合っている感があります。
だからこの雑誌は当たった、これは外れたと一喜一憂しないで一定量を長く出し続けることが何よりも大事です。我慢比べの時代ですね」と語る。
しかし、なんだかんだと言ってもこの雑誌での売上げが同社の収入の9割を占める。またその売上げの9割が街の書店での販売である。通来のやり方、従来の販売方法が中心なのである。
人生を豊かにするきっかけを創り出すイベント事業
同社の大きなもうひとつの特徴であるイベント事業を始めたのは2012年9月24日、25日の「神奈川キャンピングカーIN よみうりランド」からである。以後、最近ではコロナ前には年に8回、東京、名古屋、大阪と場所を変え、「お台場旧車天国」「名古屋サイクルスポーツデイズ」「EXPO 痛車(いたしゃ)天国」とテーマを変えて開催している。
このイベント事業の特徴は、まず出展者の意欲が旺盛であることだ。特に旧車天国展や痛車天国展の需要は旺盛で遠い地方からもやって来る。自分のこれまでやって来た成果を多くの人に見せたいのである。見学するお客さんの需要も旧車や痛車などは入場料を取っているが、それでも旺盛である。
出展者が多く、お客さんも多いと何も問題なさそうであるが、東京オリンピック開催の影響により、開催場所のお台場地区がその準備段階から使用不可になってしまった。だからイベントの開催場所が年々微妙に変化している。
酒井社長に「よくこれだけのイベント事業に踏み切れましたね」とお聞きすると、
「社会が成熟化すると自己満足化要求が高まります。自分の努力、工夫を見せたい、見てみたいという欲求は高まります。
最初は、イベントの専門家をスカウトして始めたのですが、最近は社員が慣れて来てひとつのイベントで社員半数ほどが駆り出されますが、スムーズにこなしています。このイベント事業は社員が世の中の流れを肌感覚で理解することができる。我が社に取ってこの事業の持つ意味は大きい」と事もなげに語る。
また、この事業はイベントごとに本業である雑誌のバックナンバーを現地で販売することができるなど副次的な効果も多い。そして、キャンピングカーや旧車などの愛好者が集い、知り合い、交流し人生を豊かにするきっかけを創り出していることの意味は大きい。
こだわりの顧客ニーズをいかに早く汲み取るか
同社のデジタル戦略、これも出版社にしてはすごいの一言に尽きる。同社の主たるユーザーは自動車やオートバイのマニアである。それもキャンピングカー、痛車、サイクリング自転車など言わば深堀りマニアが多い。だから雑誌はこのこだわり顧客のニーズをいかに早く汲み取るかに尽きる。これをたくみにデジタル面でも追いかけている。
同社に『ドライバーWEB』というサイトがある。見出しは、最新記事、動画、ニュース、新車、旧車、カー用品、コラム、モータースポーツ、イベント、Q&A、オーナーズボイス、マガジンと話題豊富にならんでいる。
そして、これがオートバイだと『モーサイ』というサイトで、自転車だと『サイクルスポーツ』というサイトで、雑誌で紹介している分野がすべてウェブでも展開されている。これを見ているとこの会社はITの会社ではないのかと思えるほどである。
これらを総括的にまとめているのが同社のホームページであるがこれがまたすごい。雑誌の案内と注文、イベントの案内と参加申込みなどすべてが色彩鮮やかに記載されている。
酒井社長に「ホームページにはどれくらいの経費をかけているのですか」とお聞きすると、「ほとんど自社でやっています。人員は5名程度ですがそれだけやっているわけではありません。また、自社でやりきれないものは外注しています。良い人材がいればスカウトもしています」と事もなげに語る。
しかし、これは一つひとつが普通の出版社では大変なことなのだ。イベント事業同様多くの日本企業は自社でのIT人材の育成、効果的な外注、会社に見合うIT人材のスカウト、これらをうまく行えないから苦労をしている。成長できない体制をつくり出している。
どうも酒井社長はこの会社の空気を澱ませない。停滞させないことに独特の才がある。多くの日本企業は保守的でこの空気を変えることに臆病である。
「出版業界は右肩下がりに下落しています。しかしながら、やりようによっては小さいながらも続けていける道はあると考えます。幸い、コロナ下の3年間で大きな出血を防ぐことを学びました。編集取材費や原稿料の見直しによって、売上げ自体は下がっても経常黒字の体質が定着しつつあります。後はその他事業収入の強化や新事業の開発などによって、企業体質の転換を進めて行くことによって売上げの向上を図ることが大きな経営課題だと考えています」と酒井社長は語ってくれた。
◆生涯疾走―究極ののめり込み精神が次々と奇跡を呼び込む―
1冊の457ページにも及ぶ分厚い本がある。㈱八重洲出版の創業者で、全日本モーターサイクルクラブ連盟初代理事長の酒井文人氏の一代記「生涯疾走」である。これを読むと車には疎い私も誠に彼の忙しく情熱的な人生を読み取ることができる。
彼は1924年(大正13年)長野県中条村の農家の生まれ、9歳の時に父を亡くしている。18歳で長野の中条高校卒業し日立製作所に入るが半年で退社、夜間の日本大学に通うがその後学徒出陣する。敗戦後21歳で、長野で友人と雑木林を購入し炭焼き事業を始める。うまく行かず24歳で、沼津で電動モーターの巻き線加工業を行う。
これもうまく行かず25歳で長野に戻り松脂採取事業を始める。これにも失敗し28歳で当時のモーターサイクル普及会(現㈱八重洲出版)に就職する。初めてのサラリーマン生活である。ここから彼の人生と生活が安定してくる。酒井社長によれば、「他人と同じような人生は歩みたくない、何かを成し遂げたいという思いが強烈に感じられました。そのきっかけはモーターサイクルと自動車のモータリーゼーション勃興期に出会て始まり、うまく高度成長期の日本経済の波に乗れたような生き様でした」と語る。
日本最初の国産2輪車耐久レースを記した「浅間高原を行く」を始め同社の雑誌『モーターサイクリスト』の記者として出筆を始めるが、まさに行動する記者で次々と新しいことを始める。オートバイにのめり込み、人間にのめり込む、薄味に慣れた現在の日本人には珍しく濃い味の人生を生きる。勢いに任せて生きる生き方と高度成長時代という時勢がうまくあったのであろう。そしてこののめり込み精神こそが今日の㈱八重洲出版を創り上げた。
この『生涯疾走』が教えてくれることは、家族は大変だったと思うが、人生こう生きなければつまらないのだよ、という示唆してくれていることである。今、日本社会が成熟したがゆえに欠け出したものをたくみに教えてくれている。
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増田辰弘(ますだ・たつひろ)
『先見経済』特別編集委員
1947年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1次アジア投資ブーム以降、現在までの30年間で取材企業数は1,800社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。
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2024.4.9追記
酒井社長より、
「先月末、弊社の先代創業者がMFJよりモーターサイクルスポーツ殿堂の顕彰を授かりました」
とのことで、トロフィー写真を送っていただきました。