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松枝九品歴史探偵帖「 中世裏原宿妄想」高山宗東

松枝九品(まつがえくほん)歴史探偵帖

第一回 : 中世裏原宿妄想

 薄くバターを引いたフライパンでバナナを焼きながら、さてこれにシナモンを入れたものか入れぬべきかと思案していた、そんな最中に松枝さんからの電話である。
 「髙山君、依頼だ」

 私が松枝さんとはじめて遭ったのは、五年ほど前のこと。場所は北関東の町外れ、街道沿いにある小さな神社だった。その時、私は狛犬のお尻の研究をしていて—尻尾の下に巻毛のついているものといないものがあって、またその巻毛にもいくつかのパターンがある。それを年代別、形式別に分類整理していた—「ん行」の狛犬の高くかかげたお尻を観察していると、向こう側の「あ行」の狛犬の口の中に頭を突っ込んで、歯の数をかぞえている人がある。変なことをするひとだな、と思ったが、これが松枝さんとの出会いであった。
 聞いてみれば、まことに良く似た境遇で、お互い近世を専門とする歴史家で、マスターを終えたのち、体よく大学との縁が切れているところもそっくりで、目下自腹で狛犬の歯の研究をしているという。

 彫られた歯の数から、スタイルを分類すれば、ある程度石工の流派のようなものが見えてくるのではないだろうか……というのだ。
 「へえ、石工の流れ……ですか。私は、近世の地方石工の徒弟制なんて、もっとミニマムなものだと思っていましたよ」
 「その通りだろうね。仰せの通り、見えてこない。だから今は、自分の立てた仮説を撃滅させるための事例を集めているんだ。つまり、墓掘りだよ、ハハハ……」
と、力無く笑う。こういう研究は、金にならない。だいたい「歴史家」などというものは、大学にでも勤めなければ、恥ずかしながらそれ自体で社会に参加できる種類の職業ではないのだ。そして、大学院生の数に比べると、教職のポストは著しく少ないから、大学に残るためには熾烈な戦いをしなくてはならない。そこに、温度差が生じる。

 そもそも歴史をやろうなどという人間のベクトルは過去を向いている。現実より思い出が、未来よりも過去が大切なのである。開拓精神なんてさらさら無い、ノスタルジーに拘泥したいならず者だ。たまさか歴史家で、「フランス文学の専門家はフランスに行くことができる、羨ましいなあ。僕は、鎌倉時代に行くことはできないからね」などというひとがあるけれど、こういう積極性はむしろ例外であって、歴史家の低血圧性を鑑みれば、研究対象地域がむしろ決して行けない場所であるからこそ、最高の衝動でさえ消極的な範疇を逸脱しない安心感がある、という風に精神の辻褄が合う。故に、ポスト争いめいたことは、本来歴史家とは相容れない情動なのである―それが証拠に、歴史家の大恋愛なんて聞いたことはありますまい。

 松枝さんの薄笑いを聞いた時、直感的に「アッ、このひとも御同類だな」と、そう思った。訳知りそうなひとだから、随分年嵩なのかと思えば、ほとんど同年代。私のタカヤマムネハルなどという名前も店晒しになった御家人のようだけれど、マツガエクホンというのも大きに時代がかっている。神官か国学者の号のようだが、どうやら本名らしい。そんな御大層な名前をぶら下げて、普段は古書店で店番をしているという。

 無論、それでは生計は覚束ないから、露店などで骨董品を掘り出しては、古美術商に持込んで家計を慰めているそうな。典型的な若年寄りである。
 驚いたことに、住いも中野と杉並と近いので、それ以後折々会っては、研究発表と称して安酒を酌み交わすようになった。

 それが、つい先日のこと。焼き鳥屋ですうっとバイスサワーを呷あおるやいなや「髙山君、僕は探偵になったよ」という。
 「ホームズやポアロのようなアレですか? しかし、実際は浮気の素行調査みたいなものが多いのでしょう? 松枝さんには不向きじゃないかなあ」
 「否、そういうのとは違う。僕は、今生きているひとは相手にしないんだ」
 「迷宮入りの殺人事件を、名探偵に調査させるなどというのは、オハナシだけですよ」
 「違う違う、歴史の探偵さ。例えば、古くから続いているお祭りには、意味の解らない儀式があるよね。その儀式の意味を調べるのさ。例えば、開発というヴェールを剥がして、その土地本来の姿を知る。地方公共団体向きだとは思わないかね? 」
 「依頼がありますかねえ? 」
 「まあ、見ていてごらん。ふるさと創生だって、然るべき歴史を踏まえたところは、生き金になっていますよ。何事も、その土地が持つ属性を無視したら成り立たないのだよ」「たつきが立つほど儲かるかなあ……」
 「うむ、儲かる! そして、社会になくてはならない商売になるよ。少なくとも、競合他者が出ない限りはね。そこで、君を伝記作家に任命することにした。ワトソン役を務めてくれ給え。アルバイト料は払うよ。どうせ、閑なんだろう?」

* * *

 電話の後すぐに、松枝さんと渋谷の喫茶店で落ち合った。景気が良いと見えて、バナナパフェなど、もしゃもしゃと食べている。
「依頼があったとは驚きですね。依頼人は誰です? 」
「裏原宿って御存知かな? 」
「ああ、若い人がいっぱい集まっている……」
「うん。依頼人は、御両親の仕事の都合でアメリカで生れ育ったのだが、今般日本で暮らすことになって、長く空き地になっていた裏原宿の地所に家を建てることになった」
「景気の良い話だなあ」
「御両親が向うでコンビニ経営をやって成功したらしい。依頼人は向こうの大学で経済学を収め、今般日本の大学で教鞭を執ることになったというわけさ。それで建築現場の下見に来たところ、空き地の隅に空っぽの石祠がぽつんと残されていてね。こういうものを無くしてしまうのは気持ちが悪いから、然るべき屋敷神をお祭りしたいというんだ」
「かえって外国で暮らしていた人のほうが情緒的ですね。でもそれ、お稲荷さんじゃあないですか?『稲荷は潰すと祟る』なんて俗信もありますしね」
「お稲荷さんと一口に言っても様々だよ。その名の通り稲の神様もあれば、仏教の荼吉尼天との習合色が濃厚なお稲荷さんもある。例えば、伏見のお稲荷さんは神社に祭られているけれど、豊川稲荷はお寺だろう? 」
「豊川稲荷は確か真言宗のお寺の鎮守でしたね。手始めに、依頼主のお宗旨あたりから割り出しましょうか? 」
「依頼主の希望は、土地にゆかりの深い神様を、ということなんだ。だから、空の石祠に何様が祀られていたのかを突き止めるより、裏原宿の土地神を、探そうと思う」
そう言うと松枝さんは最後に残しておいたチェリーのシロップ漬けをぽいと口に放り込んで、ぷいと外へ出て行ってしまった。

* * *


                    金王八幡宮

「ひどいなあ、お勘定もしないで。結局私が払っちゃった。こんなことなら、私もパフェを食べればよかった……」
「必要経費として落ちる。きちんと付けておき給え。これから、金王神社へ行こう」
「渋谷駅の東側にある金王八幡社ですね。平安末期から中世にかけてこの地を支配した渋谷一族の居城跡……」
「恵比寿から代々木にかけての一帯では、まあ最も古い在郷領主だろうよ。東京、神奈川、埼玉を含む武蔵国の中でも、相当に古い勢力のひとつといって良い。さて、高山君、武士団の形成に、最も重要な因子は何かね? 」
「自分の農地を他者の侵略から守るために武装したのが武士、それが一団をなすためには核が必要になる。そこで、中央の権力に近付き、権力者の周りにさぶらったのが侍です。つまり、領主としての由緒を得た統領でしょう」
「ふふふ、いかにも身分論者の御意見だね。僕は唯物論者だ。最重要のファクターは農地だよ。米だ、米」
「そりゃま、そうですが……」
「この土地は、渋谷というくらいだから、起伏が激しい。金王神社が高台で渋谷氏の根城、ここから東南の氷川神社あたりまで天然の要害だよね。今でも、明治通りから見上げると、金王神社は高所にあるだろう」
成程、目算でも十メートル以上は高い。周囲をビルに囲まれているから解りづらいけれど、何もなくなれば、金王神社はちょっとした山城になる。しかし、残念ながら渋谷城は、大永元(一五二四)年に北条氏に攻められて焼け落ちてしまう。それが、同時に中古から続く渋谷氏の終焉でもあった。

「起伏のある土地を開墾するのは大変だよ。だから、農地は元から平坦な所に拓かれたはずだ。さらに田には、水が必要だ。平安末期に、この地に武士団があったということは、近くに、平坦で、豊富な水源があったということに他ならない」
「金王神社の脇に通る道は意外に古道でしてね。そのまま西に行くと丸子の渡しを渡って神奈川、つまりいざ鎌倉に至ると聞いたことがあります。反対に、東に行くと隠田から、代々木八幡へ……」
「それだよ、隠田。現在の、裏原宿隠田商店街。北斎の『富嶽三十六景』にも「隠田の水車」というのがあるよね。隠し田んぼ、と書くのは、こりゃあ当て字だろう?」
「一説に、中世末期に恩田某という武士が住んでいたので〈おんでん〉の地名が起こったといいますが、むしろ〈おんでん〉に住んだ侍が、恩田を名乗ったと考えた方が自然ですね。」
「恐らく〈おんでん〉の田が、渋谷氏の経済基盤に違いない。問題は、その田に何故〈おん〉の字がついているか、だ」
「今、出てきただけでも、『穏』と『恩』の別がありますね」
「発生的には『御』だと思う」
「あ、松枝さんもそう思いますか? でも御の字が付くということは、基本的には神社領ですよね。そうなると、渋谷氏との関連は?」
「さて、そこで先程の水源の問題になる」
金王神社を明治通りの方に降りてくると、通りに平行して渋谷川が流れている。
「今は排水路のようになっているが、かつては水量豊富な立派な河川だったのだよ」
川に架かる「金王橋」の欄干をステッキでカンカンとたたきながら、松枝さんが言った。さしもの名流も、今や渋谷駅あたりからは暗渠(あんきょ)になってしまっている。
「『春の小川はさらさら流る』という歌は、この川の流域で作られたそうだ。つまり、近代に入ってもなお、この川の水量は豊富で、さらさら流れていたのだろう」
「へえ、私はもっと小さな小川を想像していました」
「支流だそうだがね。ともかく、かつてのこの川の流れを辿ると、現在の明治通りを斜めに通り、隠田を縦断して表参道とぶつかる。だから、表参道を原宿駅の方から眺めると真ん中が窪んだ坂になっていることがよく解るよ。表参道は、明治神宮を造る際、つまり大正年間に代々木の林と、青山側の両方から、渋谷川を埋め立てたわけだ。表参道で一番低くなっているのは、ちょうどキディランドの所だね。そこが、川そのものだったわけだ」

いわゆる裏原宿の正式名称は、『渋谷川遊歩道』ということになるらしい。裏原宿を歩きながら、松枝さんはキョロキョロと何かを探しはじめた。


                     隠田神社

「何です、トイレですか?」
「失礼な、僕は山の手線内の使用可能な公衆トイレは全て把握している。探しているのは神社だよ」
「それなら、道ひとつ青山側に隠田神社があります」隠田神社の創建は不明。ただし、天正十八(一五九〇)年には、徳川家と共に関東に移住してきた伊賀衆によって祭儀が行われたそうだから、それ以前からの古社には違いない。元は第六天神社と称していたという。
「それだ! 第六天神。それが、この地の性格を端的に表した土地神だよ。」
松枝さんが、やや興奮の面持ちで叫んだ。
「それはどうでしょうか?」

私は、神道にはややうるさい。
「第六天神というのは、唹琉(おもだる)と阿泥(あやかしこね)のこと。つまり、神代七代の六代目に相当する神々です。確かに、面足とも書く唹母陀琉神には盤石な土台、という意味もありますが、両者は縁結びや技芸の神様として信仰されるのが普通です」
「それが、神仏習合のチョロい所だよ。神代七代の六番目だから第六天神だというなら、第四天や第五天があってもいいじゃないか」
「あ」
「となればこれは仏教の第六天こと他化(たけ)自在天との語呂合わせに他ならないだろう」
成程松枝さんの言うとおり、本(ほんじすいじゃくせつ)の神仏習合には語呂合わせや、イメージ連関が多い。例えば、大黒天はダイコクという音が共通することから大国主と習合されている。松枝さんは隠田神社の境内に腰を下ろした。

「中世以降、本地垂迹説によって日本の神々は、全て仏に対応させられていた……」
本地垂迹説とは、本来は仏であるものが、衆生を救うために神の姿を借りて現れるという考え方。例えば、天照大神は大日如来というように、神と仏を同一視するわけである。このため、ほほとんどの場合、神社と寺は抱き合わせになっている。例えば金王神社の隣には、今でも東福寺というお寺がある。
「そもそも、何故神を仏と同一視しなくてはならなかったのか? それは、神道には仏教のような宗教的体系がないからだよ。宗教的体系ということのみで、両者を比べたら、神道はコンプレックスを抱かざるを得ない」
「それは、発生の根本が……」
「そう、髙山君でも知っている信仰の根本を、神主というか宮司というか、彼らは十世紀頃には見失ってしまったのだ。だから、仏教の絢爛たる体系に憧れて、神と仏を同化させることによって、無理矢理体系的にしてしまった。そもそも日本の神様は、体系的なものではないよね。アニミズムなんだから。ここに水が湧いている幸せ。それで作物が穫れる喜び。そういう自然の恵みに神という体裁を付与しておろがむ……それが、本来の日本の信仰だと、僕は思う」
「まあ、御霊信仰とか祟神など、例外もありましょうが、基本はそうでしょう」
「そうした極めて単純な自然崇拝を大切に考えるなら、複雑な仏教体系はむしろ相容れない。しかし本地垂迹に傾く世間に、あえて拮抗するつもりもない。そこで、心ある神社は仏教と一線を画すために、本来仏敵であるところの魔神第六天を本地に起用した……」
「しかし、仏教化に抵抗して天魔を起用するというのも、随分仏教的な発想ですね。」
「それだけ、思考のベースとして仏教的解釈が定着していたのだろう。対系的な議論をしたら、神社には勝ち目がなんだから。体系づけないで、その土地その土地の神々の個性を尊重することが、日本の信仰の基本なんだから」
「アッ、それで、第六天はしばしば修験道で信仰されるわけですね。修験者は、山岳の修行者。本来は、土地の恵を知り尽くした、アニミズム信仰の行者です。つまり、神の側に近しい者であったはず。それが、仏教と同化して、今日的な修験者に変わってくるのが平安の頃。そうか、彼らは天魔をいただいているのではなく、天魔が非仏教、すなわち日本的アニミズムの看板として、当初は機能していたわけですね。ところが、その装置を作ったひとがいなくなると、意味も解らず第六天の信仰のみは続けられたと……」
「解ってきたね。勿論、信仰の過程では、もっともらしい解釈も付帯された。だから、神代七代の六代目が第六天神などというのは、語呂あわせに過ぎないと、僕は思う」
「では、この第六天魔にカムフラージュされて『隠田神社』にお祭りされているのはどなた様、つまり、依頼人が求めている解であるところの、原宿の土地神とは、いったい何神様なのです?」
「今の隠田神社には、もういらっしゃらないようだね。古地図を見ると、第六天社は現在の隠田神社よりもやや表参道方面にあったようだし、そのあたりの地形は明治神宮造営時にすっかり変わってしまっている。」
「神様がまだ何処かにおられるのですか?」
「会わせよう」

* * *

松枝さんに連れてゆかれたのは明治神宮だった。
「あの……ここにお祀りされているのは明治天皇……」
「今日は、本殿は失礼する。この地オリジナルの神様は御苑の中にいらっしゃるのだ」
といって、御苑の中にずんずん入って行く。菖蒲池を抜けた御苑の最深部にあったのは、「清正井」という湧泉。明治神宮が建てられる以前、ここには彦根の井伊家の屋敷があった。その前は、肥後の加藤家の屋敷だったという。その由縁かこの井戸には、加藤清正が掘ったという伝承がある。手をつけると、ひんやりと冷たい。
「これが原宿の土地神様だよ」
「加藤清正では少々時代が新し過ぎやしませんか?」
「神は本来神出鬼没、これといってもこの井にあらず。つまりね、大昔からこの界隈には綺麗な水が湧くところが沢山あったんだよ。それらがこの地全体を潤し、田を育んだ。その恩恵を神に感謝して、御田と称したのではないかな。清正井は、その象徴としてたまたま残っただけさ。つまり、中世の原宿は、水の神が数多湧き起こる天与の田地であったのさ。その聖地に、近代開闢の皇帝であるところの明治天皇が祀られたというわけだ」

そういうと、松枝さんは、何処からかバーボンのポケット瓶を出して、清正井の水で薄めに割って、すうっと呷った。
「ああ良い水だなあ、汗が引く」

* * *

来る令和5年10月13日(金)

高山宗東氏の案内で、渋谷・原宿界隈に残る神社をめぐりながら、江戸時代から今日の東京へと思いを馳せる第24回「東京ぶらり散歩」が実施されます。
ぜひご参加ください ‼