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令和6年 春の九段界隈のできごと(日比恆明)

【特別リポート】
令和6年 春の九段界隈のできごと

日比恆明(弁理士)
 
今年も春がやって来ました。先月まで「寒い寒い」とダウンコートを着ていたのですが、1か月もしない内に暖かくなりました。暖かくなって外出が楽しくなると、当然のように花見に出掛けたくなる雰囲気になります。今年も九段界隈にでかけましたので、ご報告いたします。

今年は3月30日、4月6日、4月15日の3回に分けて出掛けました。このため、表示した写真の撮影日時がそれぞれ違っていますのでご注意下さい。


                   写真1

さて、桜の開花は4月上旬で、桜の花吹雪の下で入学式が行われるものだ、という固定概念がありました。その昔の映画(白黒の映画ですが)で入学式のシーンになると、校門の両側に植えられた桜の木から桜花がヒラヒラと舞い落ちる光景が定番となっていました。入学式、新学期は桜の花の下で迎えるものである、というのが日本人の常識となっていたようです。実際、昭和30年前半での平均開花日は3月24日であり(東京地区)、入学式のある4月始めには満開となっていました。
 
しかし、地球温暖化の影響か、桜の開花時期が毎年早くなってきています。過去の開花日と満開日を一覧にすると下記のようになります。

     和暦    西暦      開花日     満開日
    平成25年 2013年   3月16日   3月22日
    平成26年 2014年   3月25日   3月30日
    平成27年 2015年   3月23日   3月29日
    平成28年 2016年   3月21日   3月31日
    平成29年 2017年   3月21日   4月 2日
    平成30年 2018年   3月17日   3月24日
    平成31年 2019年   3月21日   3月27日
    令和 2年 2020年   3月14日   3月22日
    令和 3年 2021年   3月14日   3月22日
    令和 3年 2022年   3月20日   3月27日
    令和 4年 2023年   3月14日   3月22日
    令和 5年 2024年   3月29日   4月 4日
 
このような記録から、東京の開花は3月中旬というのが常識になりつつあります。驚くことに今年の開花日は3月29日となり、過去10年間で一番遅くなりました。昨年に比べると半月も遅いことになります。千代田区観光協会が今年主催した「さくら祭り」は3月22日から4月2日の間に設定していたのですが、この大幅な開花の遅れにより、急遽一週間延長することになりました。都内の他の桜の名所でも同じような対策をされたのではないかと思われます。

気候の変動は予測できませんが、来年はどうなることやらと今から心配しています。また、昨夏は異常な高温となったため、その影響で一部の桜の品種では今年は開花しなかったようです。

東京の桜が満開となった4月6日の土曜日、靖国神社の大鳥居の前で白いウエディングドレスを着た女性を見かけました。結婚式の前撮りのようで、プロのカメラマンが撮影していました。日本人かと思ったのですが、モンゴル人だそうです。日本語で多少の会話ができるので、技能実習生か学生のようでした。私は何年も靖国神社に出掛けているのですが、境内で結婚式の前撮りをする女性に初め出会いました。もしかしたら、既にこの女性以外の女性がドレスを着て、靖国神社で前撮りされていたかもしれません。この女性にとって、特に政治的な意図はなく、靖国神社は日本固有の風景の一つと考えたのではないかと思われます。外国人にとって、靖国神社は前撮りの場所として有名になっているのでしょうか。彼女はここで撮影してから千鳥ケ淵に移動し、満開の桜の下でも前撮りされたのでしょう。
 
しかし、前撮りされている女性が中国人で、撮影した画像が中国のSNSに掲載されたなら大変なことになるでしょう。反政府者として炎上するのは間違いないからです。

今年も3月の最終土曜日に「靖国神社の桜の花の下で同期の桜を歌う会」が開催されました。軍歌を歌う会なのですが、今回は40回目となりました。以前は4月の最初の土曜日に開催されていたのですが、桜の開花が早くなったため開催日も一週間早まりました。

大村益次郎の銅像の台座の上で袴姿のコーラスガールが軍歌を歌うのに合わせて、参加者全員が合唱していました。コーラスガールは銀座の軍歌酒場(現在は廃業)で歌っていた人達で、以前は10名位が参加していたのですが年々人数が減り、今年は5名だけとなりました。銅像台座の手前で歌っている3名の女性は、当日に飛入りで参加した人達です。軍歌は男性だけが嗜好するものかと思っていたら、女性でも軍歌の愛好家は結構いるようです。

        
                   写真2


                 写真3

毎年開催される軍歌を歌う会ですが、以前はルパング島の小野田少尉なども招待され、参加者も数百人以上でしたが、今年は二百人以下ではないかと推測されます。一番の原因は軍隊体験者が激減していることです。最後の志願兵は昭和4年生まれのため、健在であれば95歳となります。軍歌を懐かしく思い出す人達が減れば、歌う会の参加者も当然のように減っていきます。この会も参加者の減少に伴い、いつかは消滅することになるでしょう。しかし、消滅することを惜しんでいては進歩しません。社会では、古いものが消えることで次の新しいものが生まれるからです。

この日の軍歌を歌う会に参加されていた老人です。亡くなった弟の遺影を持参されてみえました。本人は昭和12年の生まれのため軍隊経験はありませんが、樺太で終戦となり、昭和20年暮に一家で北海道に引き揚げられたそうです。比較的早い時期の引き揚げであり、「満州からの引揚者は大変苦労されたが、我々は比較的運が良かった」と申されてみえました。

ただ、引き揚げ後は自宅が無く、親戚に厄介になっていたのですが、狭い家のため居場所がなかったそうです。このため、夜になると閉まった駅舎に潜り込んで就寝し、朝になると駅舎から出てくる生活を続けられたそうです。引き揚げでは財産一切を現地に残し、裸一貫で生活を再建しなければならず、敗戦による悲哀と言えるでしょう。


                 写真4


                  写真5

4月6日に千鳥ケ淵に向かいましたが、この日は満開宣言の翌々日で、花見には絶好の日でした。観桜客は都営地下鉄の九段下駅で下車し、急峻な九段坂を新宿方面に登り、坂の頂上で左に曲がって千鳥ケ淵の土手沿いに進み、戦没者墓園まで歩くのが定番のコースです。このコースでは桜の並木が一番多いからです。たまに、へそ曲がりの観桜客がいて、田安門を左折れして北の丸公園に入り、ここで花見をされる方もお見えになります。しかし、北の丸公園では桜木の本数が少なく、花見には不十分です。ただ、ここでは芝生が広いため、お弁当を楽しむにはいいかもしれません。
 
こうして、観桜客の大半は千鳥ケ淵の土手に沿ってぞろぞろと歩くことになり、どこに行っても人ばかりです。桜を鑑賞するため土手沿いを歩くと30分の時間はかかるのですが、このコースの途中で写真撮影に適した場所は数カ所しかありません。満開の桜を撮影するためにピッタリの場所では、スマホなどで撮影する観桜客が密集して立ち止まっていました。警備員が「立ち止まらずに歩いて下さい」と叫んでいましたが、次から次と観桜客が立ち止まるので焼け石に水でした。


                  写真6

千鳥ケ淵のボート乗り場の二階は展望台となっていて、ここからは周囲の桜が一望できる絶好の場所です。桜の季節以外、特に暑さの強烈な夏ではここの展望台に登る人は皆無ですが、この日ばかりは観桜客で溢れていました。


                  写真7

さて、2006年に政府は観光立国推進基本法を制定し、訪日客の誘致を開始しました。観光客が訪日中に消費する金銭でインバウンドの経済効果を狙ったものでした。この政策により訪日客は毎年増加していきましたが、2020年にはコロナウイルスの感染防止のために入国制限を行い、訪日客数は減少しました。しかし、昨年5月にコロナウイルス感染症の分類を5類に引き下げ、外出などを緩和しました。そして、昨年10月には訪日客の入国を制限していた水際対策が解禁され、外国人の入国を緩やかにしたため、訪日客が大幅に増加しました。本年3月には単月での訪日客が300万人を突破し、過去最高の月間入国者数を記録することになりました。

観光目的の訪日客が増えた一因には、極端な円安の影響があると思われます。このため、オーバーツーリズムとなり、色々な問題も発生してきたようです。都内のホテルの宿泊料金は暴騰し、3万円以下で泊まれるホテルを探すのが困難となっています。地方から上京しようとするビジネス客は悲鳴を上げているようです。

 
                  写真8

このように訪日客が増えたことから、千鳥ケ淵の周辺でも訪日客の姿をあちこち(というよりも、どこでも)見かけられました。桜の季節に合わせて訪日の予定を決めたのか、訪日した時期がたまたま桜の季節であったのかは不明ですが、大変な人数の外国人でした。

写真7の観光客はフランス圏から来日したツアーのようで、九段坂にある大山巖の銅像の前でガイドがフランス語で説明していました。中高年の参加者が多いツアーのようで、一日中ガイドにより連れ廻されて疲れたのか、途中からは桜を見ずに腰掛けて休息されてみえました。


                  写真9
 
4月15日は靖国神社の相撲場で日本相撲協会主催による奉納相撲が開催されていました。私は20年ほど前に2、3度観戦したことがあるのですが、久しぶりに観戦してみました。
 
プロの力士(日本相撲協会に登録されている)が土俵で取り組む興行を「大相撲」と呼び、一般のアマチュアが取り組む試合は単に「相撲」と呼んでいるのですが、その大相撲にも区分けがあります。大きく分けて次のようになります。

 (1) 本場所  年6回興行され、テレビで放映されるものです。
 (2) 奉納相撲 神社で興行されるもので、全国で3か所でしか興行されません。
 (3) 巡業相撲 本場所の合間に地方で1日限りで興行されるものです。
 (4) 勧進相撲 主に寺社復興のために収益を寄贈するためのものです。
 
力士は本場所の合間に全国のあちこちを回って取り組まなければならないようで、結構忙しい仕事のようです。江戸川柳では力士を「一年を二十日で暮らすいい男」と詠んでいて、楽な仕事のように思われていましたが、毎日の稽古の合間に地方巡業をしなければならず、ハードな仕事なのです。

この大相撲の内で「勧進相撲」は、老朽化した寺社を修復したり再建する目的で、収益をその寺社に寄進するために興行されるものです。江戸時代には盛んであったようですが、近年では滅多に興行されていません。本年4月16日に両国で開催されましたが、これは能登半島地震の被害者救済のために行われたもので、何と62年振りの開催でした。
 
さて、奉納相撲は神社で興行されるのですが、現在行われているのは伊勢神宮、明治神宮、靖国神社の3社だけです。ただ、伊勢神宮で開催される奉納相撲は入場料が徴収されます。明治神宮の奉納相撲では、横綱が土俵入の四股を踏むだけで、力士の取り組みはありません。靖国神社の奉納相撲は序二段以上の力士の取り組みがあり、しかも入場料が無料という何とも太っ腹な興行なのです。相撲好きな方はご存じかと思われますが、ここの奉納相撲は穴場なのです。


                 写真10

写真10は靖国神社の相撲場の全景で、観客がギッシリと詰まっています。この日の来場者は延べ六千人ということでしたが、土俵から遠い場所は意外に空いていました。土俵近くの場所を確保しようとすれば、開場の午前8時30分よりも前から待機していなければならず、終了の打ち出しは午後3時なので観戦は一日仕事になります。この日、東京の気温は27度になり、席を確保した人達は帽子を被ったり、頭にタオルを巻いたりして汗だくになって観戦されてみえました。


                 写真11

毎年の奉納相撲ですが、力士の取り組みの合間には「相撲甚句」、「初切(しょっきり)」、「櫓太鼓打分」も披露され、両国の国技館では絶対に見ることができない豪華な内容です。


                写真12

この日、靖国会館が力士の仕度部屋となり、まわしを締めて準備のできた力士は会館から土俵まで移動していました。通路の脇には柵が立てられていて、お目当ての力士を撮影しようというファンが並んでいました。国技館では、これほど近くまで力士に接近して撮影することができないからでしょう。


                写真13


                 写真14

中入りの後、東西の幕内力士の土俵入があります。テレビでしかお目に掛かったことのない力士を間近で拝見してきました。この後、横綱照ノ富士の土俵入りがありました。
 
本日は53組の取り組みがあり、観客は熱心に応援していました。しかし、奉納相撲ということで、この日の取組では勝っても負けても番付には反映されません。いわゆる「花相撲」とも呼ばれ、力士にとっては余興のようなものです。勝敗が昇進や給金に影響しないことから、力士の方も馴れ合いのようになって真剣に相撲をしないようです。すると、相撲の技も「送り出し」とか「寄り切り」といった小技で勝負することになり、「上手投げ」とか「突き落とし」のような大技はしないようです。万一、土俵から転落し、怪我でもしたら大事な本場所の相撲に影響することになるからです。まあ、観客の方もそれを理解していて、テレビでしか見たことのない力士達の技を楽しんでいました。
 
しかし、押し出しで負けた力士が笑顔でいると、観客席からは「負けているのに笑っているやつがいるか」とか、「気合を入れろ」とかいうヤジが飛ぶこともあります。ただし、観客がヤジを飛ばすのは幕下以下の取り組みのようで、幕内の力士には不謹慎な言動はしないようです。


                 写真15


                  写真16

さて、千鳥ケ淵の桜並木の反対側には矢板で囲った一角がありました。写真15の向こう側に見える建物はインド大使館です。矢板の隙間から覗いてみると、結構広い更地がありました。ここは九段坂病院の跡地であり、病院は2015年に九段南に移転し、跡地は売却されたようです。建築計画の標識があり、その内容によると、現在の所有者は積水ハウスとなっていて、19階建ての分譲マンションを建築するようです。千鳥ケ淵と北の丸公園を眺望できる絶好の場所で、これだけのまとまった土地は二度と出ないでしょう。
 
ここのマンションが販売されたとすれば、お値段はいったい幾らになるか気になります。同じ道路沿いには、2004年に三井不動産が分譲した「パークマンション千鳥ケ淵」という建物があります。やはり、千鳥ケ淵を一望できる一等地に建てられた物件です。当時、120平米の物件が2億5千万円で販売され、日本一高い物件ということで有名になりました。ただ、これは20年前の価格で、これから販売されるこの物件がどのような価格となるか予想もつきません。我々庶民には手が出ないことは確かなことです。


                 写真17


                 写真18

靖国神社に昇殿参拝する参集殿の玄関脇に何やら掲示が出ていました。玉串料の値上げのお知らせで、従来は2千円であったのを5千円に改定するとのことでした。電気、ガソリンなど諸々の経費が値上がりしてるので、玉串料の値上げも致し方ないところです。ただ、掲示を良く読むと、「従来は1名2千円であったが今年からは1家族5千円になる」という意味のようです。すると、3人家族が一度に参拝するなら割安になる、と考えられ、この値上げが良いのか悪いのか即断できない微妙なものでした。