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【清話会会員企業インタビュー】柳澤管楽器(株)(増田辰弘)

増田辰弘が訪ねる【清話会会員企業インタビュー】第26回
世界の一流品を安くつくり市場に供給することが企業理念
サクソフォンの製造、販売で世界3本の指に入る
柳澤管楽器㈱

 

柳澤管楽器株式会社
■代表者: 代表取締役社長 柳澤信成  
■設 立 : 明治27(1894)年、昭和36(1961)年 株式会社に改組
■資本金 : 1,600 万円
■従業員数 : 89 人
■関連会社:㈱ヤナギサワ、サックス工房ヤナギサワ・クロッシュ

        柳澤信成 社長

長屋工場で世界最高水準の
サクソフォンを作る

 多くの会社を取材しているが、普通の企業は売上額をいかに伸ばして行くのか、利益率をいかに高めるのか、設備投資をしていかに生産性を上げるのか。これが企業経営の共通課題である。ところが、柳澤管楽器㈱(本社:東京都板橋区、柳澤信成社長)はまったくこの逆の経営方針である。
 まず、売上額を伸ばそうにも同社の製品は販売先の国にもよるが概ね3ヶ月待ち、半年待ちなのだ。 
 同社のサクソフォンは全製品が手加工であり、今後社員を大幅に増やし、新規に大幅な生産設備を導入して現在の月600本、年間7200本の生産量を増やす計画はないのだ。
 もっと驚くのが利益率の考え方である。注文から何ヶ月待ちというこれだけの人気のある楽器を作っているのだから、普通の会社なら製品の価格を上げて付加価値を高めようとする。しかし、同社はそれをあえてしない。なるべく安く市場に供給する。同社の経営方針は世界の一流品をつくること。そして安く供給すること。納期を厳守することなのだ。

            本社工場の外観

 設備投資の考え方、これがまた実に面白い。同社の工場は、板橋区小豆沢の工場の近隣の木造の家を合わせて8軒ぐらいを買い上げ、そのままその家屋を工場にした珍しい長屋工場なのだ。うちの会社は新工場など建てない。設備投資など最小限にしかしないと宣言されているようで、すがすがしい気分になる。   
 「新しい工場を作る、そんなお金があるなら社員に配ってあげたい」。
柳澤社長がちらりと漏らされたこの言葉に同社の本質があるのかも知れない。
 現在、サクソフォンは同社とヤマハ、フランスのヘンリーセルマ―社が世界の3大メーカーと呼ばれている。この3社はそれぞれの特徴があり、それぞれに世界の市場を分け合っている。そのほかにも中国と台湾に数社あるにはあるが、この3社のレベルには達していない。

目を引く自信に満ちた
生産現場

 この柳澤管楽器㈱とヤマハのサクソフォンづくりの思考法の違いが実に面白い。ヤマハは製造業の柳澤信成社長プロであるから、ものづくりをなるべくシステム化、合理化して生産したほうが良いと言う考えが組織に染み付いている。だからサクソフォンづくりでもこの方式で生産しようとする。
 ところが柳澤管楽器㈱は、あえて手間ひまを掛ける職人による全工程の手加工生産にこだわる。ヤマハのように作業を分散化し誰でもラインに並べば同じ製品がつくれる。合理的ではあるものの、このやり方は「このサクソフォンは自分がつくったのだ」と言う意識はどうしても乏しくなる。
 一人ひとりがそれほど技術を持っていなくても同じ製品がつくれるということは大変良いことだ
が、サクソフォンのようなネジひとつの位置や大きさで音質や音色が異なる微妙な製品だとどうしても差が出てくる。そこでヤマハ製は汎用品、柳澤管楽器㈱製は高級品という役割分担となって来る。
 サクソフォンの製造工程は、材料選定、曲げ、溶接、ホール加工、一番管加工、プレス加工、ロウ付け、ポスト付け、キー作り、彫刻、磨き、塗装、コルクタンポ貼り、組み立て、検査、吹き上げ、梱包の全20工程になる。これだけ工程があると製造工程をシステム化し、合理化したいというヤマハの気持ちが大変良く分かる。しかし、同社は愚直にもこの全行程を社員による手加工で行っている。
 同社が、ほかの工場の現場と異なるのは社員が自信に満ち満ちていることだ。それはほかの自動車部品や電子部品だと同じような工程をどこの工場でもやっている。 
 しかし、サクソフォンの手加工の現場は日本では、いや世界でもここだけなのだ。その自負が充分に窺える生産現場である。社員のやる気や自信はつくづく建物や機械設備の新しさだけではないということが良く分かる。

1951年のサクソフォン
の製造が現在の起点

 どうしてこのような本物にこだわる不思議な会社ができたのか、それは1894年に遡る。
 当時、管楽器は欧米から輸入されていたが、故障をしても修理するところがなかった。そこで、その要請に応えようと浅草に江川仙太郎氏(所長)と柳澤徳太郎氏(工場長)が管楽器製作所を創業した。当初は、宮内稚楽部、陸軍、海軍音楽隊、音楽学校等の楽器の修理が主な仕事であった。
 その後、紆余曲折を重ねつつ1922年に合資会社日本管楽器製造所となり、1935年に陸軍、海軍の信号ラッパを受注したことから経営は軌道に乗ることになる。
 その後1937年に日本管楽器株式会社に組織改革し、外国からの管楽器の輸入が禁止されてからは次第に陸軍、海軍の管理工場化して行く。この時に事業の拡大に併せて現在の板橋の小豆沢に増産体制に対応した工場を整備する。この頃から日本は中国との戦争、そして太平洋戦争へと進んで行く。
 こうして同社は戦争に翻弄されつつ経営も浮き沈みを繰り返しながらも継続して来た。敗戦後は軍に協力した企業ということで世間から白い眼で見られることも少なくなかった。
 現在の会社の起点は1951年に先代の社長:柳澤孝信氏がサクソフォンをつくったことである。敗戦後社員が戦地から帰って来ても多くが自信喪失気味であったところに、このことは会社全体に光明を与えるものである。
 それまでも国産サクソフォンはあるにはあったが、欧米のものに比べると子どもの遊び道具のようなもので、とても世界市場で通用するようなものではなかった。
 そして、1961年に現在の社名へと変更している。その後1954年にはサクソフォン第1
号を、1968年にはソプラノサクソフォンを完成させ、会社の体制を次第に整えて行った。
 もう一つの先代社長の大きな成果は、外国での販売を行ったことである。最初は欧米に先代社長が販売に出かけても相手にしてもらえず、何を考えているのか、という感じであったが、次第に同社の製品の良さを認めさせ販売に繋げた。現在、販売先の70%は輸出であるから、この成果は図り知れず大きい。

自己完結型の
生産・販売体制

さて、柳澤管楽器㈱のサクソフォン生産・販売体制であるが、これが完全な自己完結型の仕組みである。 
 まず部品であるが、近所にある30人ほどの同社の子会社でほとんどの部品工場から供給している。まずこれで高品質の楽器づくりの基礎を固める。 
 サクソフォンづくり生産現場の工場は、社員100人のうち約90人を現場に配置し、第一工程から第八工程まで各生産工程に分けて曲げ、溶接から組み立て、拭き上げまでの全20工程を分担して担っている。
 柳澤社長に「どの工程が一番難しいのですか」とお聞きすると、「意外に思われるかも知れませんが、サクソフォンの生命線は管体なのです。これが不十分では楽器としてお話にならない。最初の基礎作業の工程のところが一番重要です」との言葉が返って来た。
 このほか、工場には研究開発室がある。なにしろサクソフォンのネジの位置、大きさ一つでもその音質、音色が異なる。ここでは現場では行えない様々な実験を行う。同社は、創業当初から楽器の修理だけではなく新しい製品づくりに励んで来た。この血を受け継ぎ日々新しい試みに挑戦している。
 一方、販売体制であるが、まず売り先の70%を占める海外は欧米を中心に1ヶ国1代理店のやり方で販売している。同社のサクソフォンの生産台数は先に述べたように、現在の体制は1ヶ月600本、年間7200品が限界である。これをもとに各国の代理店は毎年8月に次年度の販売希望台数を要請する。同社はそれを総合的に調整しながら各国別の本数を決めて行く。
 だいたい国にもより事情は異なるが、概ねこれで同社のサクソフォンは3ヶ月から6ヶ月待ちの状況である。主要な輸出先は、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、中国、韓国である。
 国内の販売であるが、これも2社の代理店で販売している。ネット販売は行っていないし、今後も行う予定はない。主な国内販売先は中学校、高等学校、大学などの学校の吹奏楽部である。同社が製品をなるべく安く売るというコンセプトは生徒になるべく安いが本物の楽器を買わせて
あげたいという思いやりでもある。
 最後に同社は、新宿にクロシュ、いわゆる楽器の修理部門の店を持っている。サクソフォンについては3社で世界市場をほぼ独占状況であるから、販売後も責任を持たねばならない。また、この修理業は創業時の本業でもある。ここでまさに自己完結型の事業システムは完了する。

職人の手加工に
こだわり続ける理由

頑固と思えるほどすべての工程を職人の手加工にこだわり続ける理由を、もう少し掘り下げて柳澤社長にお聞きした。
 「1960年代世界的なジャズブームでアメリカでは素晴らしいサクソフォンをつくれる会社が沢山ありました。しかし、経営者は合理化を考えます。そうすると次第に職人の数が少なくなり楽器の質が次第に落ちて来ました。アメリカでは今ではもうまともなサクソフォンをつくれるメーカーはなくなりました。
 ちょっとした合理化なら、そのほうがコストが安くなるし、省力化になるから良いのでないかとなります。が、これを繰り返して行くとどんどん職人が少なくなくなります。これは麻薬みたいなもので誘惑に駆られるが乗ってはいけません。
 手に職をつけた社員のつくるサクソフォンとそうでないものとはいつの間にか大きな差が出て来ます。音色、音質、肌触りと楽器というのは微妙な製品なのです。今後どんなに経営環境が変化しようとすべての工程を職人の手加工にこだわり続けます」と語る。
 私が、「しかし、職人の技にこだわるなら日本を上回るドイツのほうが良いはずと思われるのですが、なんでサクソフォンは日本企業なのですか」とお聞きすると、「確かに職人の技についてはドイツのほうが上ですが、それゆえに彼らはこだわり過ぎ、やり過ぎになるのです。周りの声をあまり聞かなくなるのですね。
 職人の技にこだわりつつも周りの声を聞き、バランス感覚のある日本人のほうがサクソフォンについては向いているのでしょうね」。
 3時間に及ぶ取材をしていると、最初は大きな違和感を持った同社の経営戦略に、いつしか柳澤魔術にかかり、いつの間にか「そうだそうだ」と言うもう一人の自分がいた。

【インタビューを終えて】
日本の楽団活動に思うこと

 私事で恐縮だが、家内も長年サクソフォンをやっている。取材の後でどこのメーカーかを調べたらフランスのヘンリーセルマ―社製であった。やはり世界3社体制であることを改めて確認した。
 家内の楽団は毎週バンドの練習を行ない、年に1回か2回コンサートを行うがこれがなかなか大変である。ともかく会場に人が集まらない。結局コンサートは毎年バンドのメンバーの友人や親類縁者をかき集めて行うことになる。
 私はいつも感じるのだが、日本の楽団はもう少し一般の日本人に馴染む楽曲でできないかと思う。東京大衆歌謡楽団というバンドがある。ここは、「誰か故郷を思わざる」や「帰り船」など昔の大ヒットした歌謡曲だけを演奏して歌う。最初は東京の街角でやっていたが、今は全国区と
なりCDも出し、お金を取り劇場で公演活動をするまでになった。おそらくこの楽団の歌は日本人の郷愁を誘い、涙線を揺らすのであろう。
 ところが、多くの素人の楽団はともかく演奏する曲が難しい。そして普通の日本人に馴染みの薄い曲である。もう少し無理をしないで東京大衆歌謡楽団とまでは行かなくとも、やさしい誰でも知っている曲を何曲か入れられないか、といつも思う。
 音楽家になればなるほど、どうも日本の歌謡曲や民謡はワンランク低く見ている傾向がある。このセンスに合わせてどこの素人の楽団でも日本人のあまり馴染みの少ない難しい曲に挑戦する。本人たちの充実感はあるのかも知れないが聞く人が見当たらない。
 カラオケのレベルまでとは言わないが、もっと日本人のレベルに会った曲を入れて少しずつ聞く側のレベルを上げて行く必要があるように思う。音楽とは長年培った民族の持つDNAが引き継がれており、多くの人はそんなに急には変われない。難しいかも知れないが、この現実は少
し理解したほうが良い。

 


増田 辰弘
〈ますだ・たつひろ〉
1947 年島根県出身。法政大学法学部卒業後、神奈川県庁で中小企業のアジア進出の支援業務を行う。産能大学経営学部教授、法政大学大学院客員教授、法政大学経営革新フォーラム事務局長、東海学園大学大学院非常勤講師等を経てアジアビジネス探索者として活躍。第1 次アジア投資ブーム以降、現在までの30 年間で取材企業数は1,600 社超。都内で経営者向け「アジアビジネス探索セミナー」を開催。著書多数。