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平成29年みたままつりの靖国神社(日比恆明)

【特別リポート】

平成29年みたままつりの靖国神社

日比恆明 (弁理士)

平成29年7月15日に靖國神社の「みたままつり」に出掛け、境内で見聞したことを報告します。
 
日本の周辺で発生している昨今のキナ臭い事件には、北朝鮮によるミサイルの発射があります。ほぼ毎月のように発射しており、毎回能力が向上しているようです。国を挙げての開発なので性能が高いようで、今のところ目標とする地域に着弾させています。

しかし、製造ミスや設計ミスにより、間違って日本の国土にミサイルが着弾することも想定されます。「ごめんなさい」ではすまされない問題であり、政府はミサイルが落下した際に身を守る方法を周知させるためのテレビCMを放映し、複数の地方都市では実際に防空演習を実施しています。安全な国と言われてきた日本も少々危なくなってきたようです。
 
昨年に世界を驚かせたのは、泡沫と言われたトランプ氏がアメリカ大統領に当選したことでした。日本でも、小池百合子氏が率いる都民ファーストが東京都議会選で圧勝し、都議会で第一党となったことに驚かされました。築地市場の移転問題で横やりを入れ、すったもんだしている間に森友学園と加計学園の問題が浮上してきました。今まで聞いたこともなかった学校法人の設立や運営に疑問が生じ、連日マスコミで騒がれることになり、これが都議選に大きく影響したことに間違いないでしょう。

アメリカ大統領選が予想外の結果であったのは、ロシアからの暴露ニュースによるものであった、と噂されています。都議選においても、選挙直前に学園問題が突如話題となったのは、もしかしたらロシアによる陰謀ではないか、と勘繰ってしまいます。

              写真1

靖国神社の「みたままつり」では、神門に巨大な七夕の飾りが吊り下げれています。七夕は毎年の風物詩であり、風になびく姿を見ると夏が来たという実感が湧きます。丸いボールの下にイカのような足が付いたデザインは仙台七夕の定番のようで毎年同じなのですが、足の長さ、色彩、柄は毎年変わっているようです。

              写真2 

「みたままつり」で屋台、露店の出店を禁止してから3年目となりました。参拝者が減少し、三分の一の人数になったのではないかと実感されました。参道を歩く参拝者はパラパラではないが、行列になるほどのギッシリしたものでもない、といった感じです。しかし、参拝者が減少したというのではなく、高校生、大学生、フリーターのような若年者が来なくなった、というのが実情ではないかと考えられます。屋台、露店での飲食を目的として、夏祭気分で遊びに来るような若者がいなくなり、本来の姿に戻ったのでしょう。
 
また、今年に目立ったのは外人観光客の増加です。台湾、中国、韓国、欧米からの観光客による参拝(彼らとは宗教が相違するため、外人からすると参拝という行為ではないのだが)が多いのです。その観光客の少なからぬ人数が、写真2のように浴衣を着用されてました。なかには、一家4人がお揃いの浴衣で参拝されている観光客も見かけられました。どうも、観光客の宿泊するホテルでレンタルの浴衣を用意してあり、レンタルシステムが浴衣着用の観光客を増加させているようです。

             写真3

今年も境内には有名人、著名人の揮毫した色紙を入れた懸ぼんぼりが吊り下げられていました。ぼんぼりは、政治家、画家、芸能人、相撲などの業界別に区分けされて飾られています。展示された色紙を観察すると、その年の政界の変化を読み取ることができると共に、その年に著名となった人物を把握することができます。数多くの色紙を眺めて歩くだけでも大変面白いものです。

 

            写真4                                  写真5

今年も、写真4のように小泉純一郎氏の揮毫が吊り下げられていましたが、何時もは隣に並んでいる李登輝元台湾総統の揮毫は見かけられませんでした。写真5は平成27年(2015年)のもので、この年が李登輝元台湾総統の色紙が吊り下げられていた最後でした。

             写真6
 
また、現自民党総裁の安倍晋三氏の揮毫も吊り下げられていませんでした。写真6は平成21年(2009年)のもので、この年が安倍氏の揮毫を見ることができた最後の年でした。近隣国などからの抗議を避け、長期政権を維持するために無駄な論争を避けるためではなかったか、と推測されます。

              写真7

今年初めて色紙を奉納したのは、写真7のイラストレーターのわたせせいぞう氏です。お馴染みの若い男女のイラストが描かれてました。わたせ氏の描く人物には生活感が無く、楽しい生活を続けているような性格の人達ばかりです。彼のマンガのストーリーには悩みや苦悩といった哲学はなく、英霊を慰める思想は薄いのではないかと思います。どのような理由でわたせ氏が選ばれたのか不明です。

             写真8

また、今年初めて拝見したのは、アパホテル取締役の天谷扶美子氏の揮毫でした。アパホテルの社長の天谷一志氏は、自己の歴史観を著した「本当の日本の歴史」を発刊し、ホテルの全ての客室に配置したことで有名になりました。中国からの観光客が、このホテルの利用をボイコットする騒ぎとなりました。本来ならば、扶美子氏ではなく、夫の天谷一志氏の揮毫が展示されるべきではないかと思うのですが。ただ、以前からアパホテルの広告には、独特の帽子を被った扶美子氏が出ているため、揮毫も妻の方が優先したのでしょう。

             写真9

参道の両側には大型の提灯が多数奉納されています。提灯は手数料を払えばだれでも奉納することができ、奉納者の氏名が墨書されています。提灯は戦友会ごと、遺族会ごと、地域ごとに区分されており、神門の近くでは国会議員による献灯の区分があります。ここでも安倍首相による献灯はなく、小泉純一郎氏による献灯はありました。注意して観察すると、親の小泉純一郎氏の献灯は最下段に、息子の小泉進次郎氏の献灯は最上段に配置されていました。世代の交代を暗示するものでしょうか。

             写真10

靖国神社の境内での屋台、露店が禁止されたため、参拝者に冷たいものを提供できるのは、遊就館内の喫茶室が臨時に開業する出店と参道わきの茶屋しかありません。写真10は遊就館の前で開業したテントです。例年、この場所で飲料水やかき氷を提供しているのですが、今年は写真11にあるように、かき氷のメニューを増やしていました。種類が増えたと言っても、氷にかけるシロップとトッピングの組み合わせただけなのですが、これだけ種類がありますよ、と表示して購買意欲を高めさせていました。
 
テントの中ではかき氷を製造していましたが、3台あるかき氷機はなんと手動で、店員は汗だくでハンドルを廻していました。

 
             写真11                               写真12

            写真13

茶屋の前には特設の販売コーナーが設営され、ここでもかき氷を販売していました。炎天下なので、涼を求める人達で行列ができ、大賑わいでした。

 

             写真14                               写真15

             写真16

境内で露店が禁止されても、人が集まれば商機がある、とばかりに九段坂にはもぐりのかき氷店が出店していました。どこかのテキ屋によるものでしょう。勝手に露店を開くのは道路交通法違反です。このため、写真17のようにミニパトが時々巡回し、違法な露店に撤去の警告をしていました。警告があると、露店は撤去する恰好をするのですが、ミニパトが立ち去るとまた営業を再開していました。テキ屋も生活がかかっているので必死なのです。

 

             写真17                              写真18

              写真19

昨年は大雨のため、恒例の盆踊りは中止となりましたが、今年は連夜開催していました。主催者は千代田区民謡連盟で、千代田区に居住しているお姐さん達が会員で、彼女達はそれぞれ地元で商店を経営されているか、貸しビル業をしていみえる人達です。踊り手の中には浴衣姿の外人がいました。アメリカ国籍ですが、千代田区に長く住んでみえるとのことで、日本語もシッカリ話されていました。

 

            写真20                                写真21

 
            写真22                                写真23

夕方になると神輿が繰り出されました。靖国神社は、他の神社と違って氏子を持っていないので、本来なら神輿の宮入りはありません。しかし、麹町靖國講だけは神輿を繰り入れることが公認されているようで、写真20の神社名入りの半纏をまとった人が麹町靖國講の役員です。ただ、麹町の町内には神輿をかつぐ若者がいないため、外部に助っ人を依頼していました。写真21が集められたかつぎ手で、各地の同好会から参加しているため半纏の柄がバラバラです。午後6時頃になると大鳥居から囃子連が出発し、それに神輿1基が続き、拝殿までかつがれます。お囃子の道具や神輿は浅草の町会から借りてきたものだそうです。

              写真24

本日のお楽しみは日本歌手協会主催の「奉納歌謡ショー」です。開演は午後7時からなのですが、2時間前の午後5時になるとどこからともなく席取りの人達が集まってきます。殆どは定年になった老人ばかりで、年に一度のこのショーを楽しみにしているのです。ショーが始まる前に良い席を確保しようと席取りをしているのですが、中には写真25のような姿でショーの開始を待つ人もお見えになりました。

 
            写真25                               写真26

今年の歌謡ショーの出演者は、写真26で左から、森若里子、鏡五郎、三宅広一、こまどり姉妹、田辺靖雄、合田直人、畠山みどり、原田直之、あべ静江、静太郎の11名でした。例年出演していた歌手協会名誉会長のペギー葉山は、今年3月に亡くなられたので、今年はお目に掛かれなくなりました。
 
田辺靖雄は歌手協会の会長であることから毎年出演され、原田直之、あべ静江、静太郎も常連の出演者です。鏡五郎は初出演で、一時は「売れない演歌歌手」という自虐ネタでラジオにしぶとく出演していたそうです。声量があって声の伸びがあり、講談調の歌が得意のようで三波春夫のような感じでした。三宅広一も初出演で、昭和33年に「逢いに来ましたお父さん」でデビューして天才少年と言われたそうです。

その後にヒット曲が無かったようで、現在は岡山で歌謡教室を運営されているとのこと。原田直之は相馬盆唄を歌ってくれました。原田は民謡歌手であり、本人の出身地が福島県浪江町であることから絶好のノリでした。声量があり、声にメリハリがあるため、唄がビンビンと響きました。唄に合わせて観客の皆様が手拍子をして、楽しい一曲でした。
 
今年の歌謡ショーの曲目では軍歌が激減し、戦後にヒットした曲目が大半でした。10年前は、曲目の殆どは軍歌あるいは戦時歌謡曲であったことからすると、様変わりです。これは観客の年齢層が70代後半となり、軍隊体験者が皆無になったからと思われます。

また、出演者の方も、塩まさる、三浦洸一、三島敏夫などの戦時中に活躍した歌手が出演しなくなったことも原因です。あと数年もすると、軍歌の曲目は無くなり、戦後の懐メロだけになるかもしれません。それはそれで、時代の経過のために仕方ないことです。

しかし、有名歌手の美声を聞かせていただけるこの奉納歌謡ショーは、末永く継続して頂きたいものです。目の前で有名歌手の唄う姿を拝見できるのは機会は滅多にありません。ホールで開催される公演ならばスペシャル席となり、席料は数万円にもなるはずです。靖國神社の能楽堂の前は蒸し暑いのですが、それを我慢すれば年金生活者にとってはこんな有り難い歌謡ショーは日本国中捜しても見つからないでしょう。

 

            写真27                               写真28

昨年に続いて、こまどり姉妹がソーラン渡り鳥を唄ってくれました。声は少し嗄れていましたが、それでも声量があり、二人のコーラスは美しいものでした。芸暦59年、おん歳79歳とのこと。ラメやガラス玉を縫い込んだ派手な和服を召されていて、遠くから見ると30代のようなのですが、拡大するとそれ相応のお顔になりました。本人も「老顔に白粉を塗りたくって白壁で出演しました」と述べられていました。癌を発病され、一時は余命3年などと騒がれていたのですが、ここまで長生きされたのは歌のおかげでしょうか。

             写真29

久しぶりに畠山みどりが出演され、持ち唄の「恋は神代の昔から」を唄ってくれました。声量があり、この体型であれば声も出るはずでしょう。ただ、音域が狭くなった感じがして、高い声は裏声を出しているのではなかと感じられました。今年は78歳となりましたが、本人からは「歌手という定年の無い職業を選びましたので、現在も働かせて頂いております」と感謝されてました。しかし、観客のほぼ全員が定年退職者で無職なのです。これは観客に対する皮肉でしょうか、それとも、畠山がバブル時代に残した借金の返済をまだ続けている、という説明なのでしょうか。

           写真30

このところ毎年出演されているのがあべ静江です。体型は太り、顔も丸くなって、おばさんとなっていました。「みずいろの手紙」を唄ってくれました。少々語尾がかすれることを除けばメリハリのある声で、聞ける唄でした。
 
写真31で、左は田辺靖雄、右は司会の合田直人です。田辺靖雄は毎年「夢であいましょう」を唄うのですが、今年は「夜霧よ今夜も有難う」も唄ってくれました。田辺の声は甘いため、合田は「石原裕次郎の二代目として持ち唄を増やしていきます」と説明していました。ただ、田辺の声は裕次郎のそれに比べるとメリハリがあり、音域が広いように感じられました。

 

             写真31                              写真32

森若里子は初出演で、私の知らない歌手です。広島で旅館の女将をしていたのですが、カラオケ大会で優勝したので28歳で演歌歌手に転向したという変わり種です。顔の表情を見ると、なるほど旅館の女将という風情でした。しかし、突然に歌手になれたのではなく、子供の頃から歌が上手く、NHKののど自慢でも入賞した実績があるのだそうです。途中から歌手になるという人生も面白いものです。

こうして、夏の一夜のお楽しみは終わりました。また、来年のこの日をお待ちしています。