【ニュース・事例から読む給料・人事】
第10回「人手不足で賃金は上がるのか」
神田靖美氏 (リザルト(株) 代表取締役)
先日まで、ある雑誌の、今年末の賞与相場を予測する記事を書いていました。そこで困ったことがひとつあります。最近の賞与相場が経済情勢と整合的でないことです。
普通に考えれば、賞与相場は企業業績や労働力需給を反映して決まりそうです。しかし現実はそうなっていません。「経済情勢がこうだから賞与はこうなる」という因果関係で説明しにくくなっています。
■現状は空前の好景気
日本の経済は東日本大震災があった2011年を底として、長期的な拡大過程にあります。今年までの6年間でGDP(内閣府発表)はおよそ12%増えました。去年は1997年に記録した過去最高を更新し、現在もなお拡大中です。
法人企業の経常利益(財務省発表)もやはり過去最高を更新中で、震災直後に比べて40%強増えています。完全失業率(総務庁統計局発表)は震災直後4.5%まで上昇しましたが、最近期である今年7月は2.8%まで下がっています。
注目すべき点として、正社員も不足に転じました。いままでは、雇用情勢の改善はパートの求人増加に支えられており、正社員は過剰な状態にありました。しかし今年に6月に正社員の有効求人倍率(厚生労働省発表)も1倍を超えました。
有効求人倍率とは公共職業安定所における「求人数÷求職者数」の数字です。1倍を超えていることは求職者一人あたり1件以上の求人があることを示します。正社員の有効求人倍率が1倍を超えたのは統計が始まった2004年以降で初めてです。
■経済環境で説明できない賃金の動き
しかしこうした経済環境の改善に、賞与はまったく反応していません。毎月勤労統計調査(厚生労働省発表)によると、2016年年末賞与の支給額は約428,786円でした(30人以上の事業所)。震災直後だった2011年年末の430,792円に比べてむしろ減っています。
月例の賃金も似たような状況で、一般労働者の所定内給与は、2011年7月と2017年7月を比べると2.2%しか上がっていません。年平均0.4%のペースです。
■賃金はもともと人手不足/過剰に反応しない
「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」、まさにこのタイトルを冠した本があります(玄田有史編、慶應義塾大学出版会、2017年4月刊行)。さまざまな分野で第一線の研究者たちが現状を分析していますが、多くの人が指摘しているのが、賃金はそもそも人手不足や人手過剰に連動しないということと、労働者の生産性が下がっているということです。
Pootと Doiという人の分析によると、日本ではバブル崩壊後、失業率が1%ポイント下がると、賃金は潜在的に0.053%上がる傾向にあります。前述のとおり、日本の完全失業率は東日本大震災直後のピーク(4.5%)から、最近(2.8%)まで1.7ポイント下がりました。これによって賃金が押し上げられるのは0.09%だということになります。賃金が30万円の人で270円上がるにすぎません。
実際、戦後の失業率と賃金の動きを単純に比較してみると、失業率にはいくつかの山や谷がある一方で、賃金には1990年代半ばまで上昇し、以後横ばいしているというように山も谷もなく、両者に連動性はみられません。
賃金が人手不足・人手過剰に連動しないのは、いったん上げてしまった賃金は人員過剰になっても下げられないからだと言われています。賃金を下げるとそれ以上に労働者のヤル気が下がってしまうことを経営者は知っているので、下げられない。その裏返しとして、景気が良い時でも容易に賃金を上げることができないというわけです。
■「氷河期世代」の不幸
労働者の生産性が下がっている原因のひとつは「氷河期世代」の存在です。
バブル崩壊直後の「就職氷河期」に社会に出た人は、前後の世代に比べて不利な就職を余儀なくされました。この世代の人たちは低い賃金に甘んじていることに加えて、教育訓練の機会にも恵まれておらず生産性が低い。若い人たちの人口減少によって、氷河期世代の人たちの人口割合が上がっている。その結果、平均的な生産性が下がっているので、人手不足でも賃金を上げられないというわけです。
■賃金を上げる会社はどこにあるか
賃金の、人手不足・人手過剰に対する連動性や、労働者の平均的な生産性というものは、短期間で大きく変わるものではありません。そうであれば、今後人手不足が長期化するとしても、賃金は上がらないと予測するのが妥当です。
賃金を上げる会社があるとすれば、不況の時には賃金を下げることを可能にする制度、つまり出来高給のようなインセンティブを含んだ賃金制度をとるところか、景気拡大で得た利益を教育訓練に投資するところでしょう。
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■神田靖美氏(リザルト(株)代表取締役)
1961年生まれ。上智大学経済学部卒業後、賃金管理研究所を経て2006年に独立。
著書に『スリーステップ式だから成果主義賃金を正しく導入する本』(あさ出版)『社長・役員の報酬・賞与・退職金』(共著、日本実業出版社)など。日本賃金学会会員。早稲田大学大学院商学研究科MBAコース修了。
「毎日新聞経済プレミア」にて、連載中。
http://bit.ly/2fHlO42