小島正憲氏のアジア論考
「全敗?の『香港返還後』予測」
—-今、なぜ、逃亡犯条例改正なのか?
小島正憲氏((株)小島衣料オーナー)
1.なぜ予測は外れるのか?
経営者に必須の能力は、「先見力」である。経営には戦略がもっとも重要であり、そのために情報収集・分析、そして戦略決定という段階を踏む。
経営者は、情勢が刻々と変わり、フェイクニュースもある中で、「先見力」を頼りに、本質を見極め、自己責任で戦略を決定しなければならない。その結果、たとえ、戦略決定を誤り大失敗し、倒産に追い込まれても、誰も恨むことはできない。その時は、「勝敗は時の運」と潔く諦め、再起を期すのみである。
ただし、カネ儲けの仕方は多種多様であり、正攻法も逆張りもある。その上、運の占める割合が大きい。だから、戦略決定が正しくても、必ず大儲けできるとは限らないし、逆に誤っていても成功する場合もある。それが金儲けの醍醐味でもある。
それでも経営者は、情報収集を怠ってはならず、「先見力」鍛え続けなければならない。
1997年7月、香港返還時、私は、長谷川慶太郎氏らの「中国崩壊説」を信じ込み、リスクヘッジのためにミャンマーのヤンゴンに工場進出した。しかし、600人の工場に仕立て上げた時点で、ミャンマー人に騙されて、工場内に監禁されるハメとなり、結局、大損し撤退することになった。逆に、中国は崩壊せず、わが中国工場群はすべて安泰だった。
つまり私の香港返還後予測つまり情勢分析はまったく外れ、私は経営戦略を間違えたわけである。しかし私だけでなく、当時のジャーリストや学者の予測は、そのすべてが外れた。中には、「俺の予言は当たった」と強弁する識者がいるかもしれないが、それでも、「22年後の今日の香港デモ」は、誰にも予測できなかった。
まさに全敗。それにしても、予測はなぜ当たらなかったのか?
世の中のすべての事象は複雑で多様であり、どの面を主要に捉えるかで、大きく情勢認識が変わる。そしてそれらの認識は、すべて何らかの本質に迫っており、そのすべてが正しい局面を押さえていると言える。
ただし巷間、「群盲像を評す」といわれているように、それでは全体像をつかめず、大局の判断を誤ることになりかねない。だから、ジャーナリストや学者は、大局的判断をするために、主要な局面に注目するし、それを分かりやすく解説しようとする。
しかし、主要な局面を見て、枝葉末節を切り捨てて情勢認識をした場合、その切り捨てた部分に本質が潜んでいることもあるし、情勢は時々刻々と変化するので、副次的な面が主要な面に転化することもある。その上、本来、複雑怪奇な事象を、一般の人に分りやすく解説することは不可能に近いのに、最近では、複雑な事象を分かりやすく解説することが流行っているし、多くの解説者にはそれが求められる。
その結果、ますます一部の面が誇大化され、予測は本質とかけ離れていく。さらに、昨今のジャーナリストたちは、読者や視聴者におもねることが多いし、スポンサーのご機嫌もうかがわなければならない。それがまた彼らの見解を偏向させる。
だから経営者は、「すべての予測は外れる」という認識のもとに、新説・異説・奇説・珍説を含めて、多くの意見に耳を傾け、自らの「先見力」を磨き、それを信じ、自己責任で戦略決定するしかない。
ありがたいことに、日本は民主主義国家で、いまのところ、言論の自由が保障されており、百家争鳴・百花繚乱の土俵がある。私は、この環境を利用し、日夜、情報収集に努め、多くの識者や同意見を聞き、経営戦略を決定してきた。その上で、私は、わが先見力を信じ、2010年には中国を諦め、バングラデシュ・ミャンマー・フィリピンなどに工場を分散させた。現在、それらは無事に軌道に乗ってきており、今後の中国や香港の変化にかかわらず、儲かる仕組みを築くことができた。
私は今、いわば「高みの見物」を決め込んでいる。なお、本小論執筆中に、わが社の現経営陣は、デモの長期化や顧客の香港離れに伴い、20年近く続けた香港事務所の一時的撤収を決めた。私は賢明な判断だと思う。
2.全敗?の香港返還後予測
1997年7月1日、香港は中国に返還された。その数年前から、巷では、返還後の香港や中国の姿を予測する意見が百出していた。中国崩壊説、中国・香港衝突説、中国の香港化説、香港の中国化説などなど。しかし、22年後の今日、それらがすべて誤っていたことが明白となった。
当時、私は返還後の中国情勢について、多くの書物を読み、意見を聞き、わが社の戦略を決定した。つい2年前まで、私の書庫には、そのとき読んだ20冊以上の香港返還関連本が収まっていた。だが、残念ながら、引っ越しの際に、ほとんど捨ててしまった。今日の香港デモを予測できていたなら、決して捨てなかったのだが。
私の記憶の中では、22年前の「香港返還後予測」は全敗だった。しかし今、私の手元には、当時の識者の見解を確かめる本や資料はなくなってしまっている。仕方なく、辛うじて残しておいた数冊をたよりにして書き始めたのだが、全敗というだけの根拠が薄弱だということがわかった。かといって図書館へ通って書いていては、賞味期限切れになるので、残念だが資料不足のままの、見切り発車をすることにした。
したがってこの小論は、不十分なものと自覚し、全敗に「?」を付けることにした。ぜひ、多くの識者に、当時の「香港返還後予測」の検討を行い、今後の香港の行方を占ってもらいたいと思っている。
以下に、当時、私に影響を強く及ぼした見解と、つい最近までの「香港変化後の状況把握」を紹介しておく。
まず、私が信じ切っていた長谷川慶太郎氏の「中国崩壊説」(長谷川慶太郎・中島嶺雄共著 「中国危機と日本」 副題:「香港返還後を読む」 光文社 1996年9月30日)を紹介しておこう。
この書で、長谷川氏は中国情勢を具体的に分析しながら、
「香港主権返還の前後から独裁体制の矛盾は次々と噴出し、共産党の支配体制は揺らがざるをえないだろう」
「基本姿勢を一言で述べれば、中国共産党が崩壊する、少なくとも一党独裁体制は崩壊することを前提に、安全保障と危機管理意識をもって行動するということだ」
「経済破綻をいっそう加速するのが、“一国両制”が幻想にすぎなかったことが暴露される時点、すなわち香港の主権返還後数か月である。一か月とは言えまいが、およそ半年ほどの間にあらかたの矛盾が露呈し、大きなクリティカルな状況を生み出し、それが転機となるであろう」
と書いている。
私は崇敬していた長谷川氏の「中国崩壊説」を盲信し、ミャンマーに進出し大失敗した。後に私は、当時の様子を、「多国籍中小企業奮戦記」として書き残した。
石川羅生氏は、「香港・中国衝突説」(「1997 香港・中国大衝突」 副題:「返還後の香港に未来はあるのか」 総合法令 1996年2月27日)を唱え、
「一国二制度によって、中国と香港は必ず大衝突を起こす、その影響は香港のみならず、中国へも波及し、必ず大きな災いをもたらす」
「香港と中国が衝突する“芽”が早くも現れ始めている」
と書き、具体的な事象を書き込んでいる。
そして、
「中国が香港返還に当たって持ち出した政治制度、一国二制度の先例はチベットにあった。つまり、実際に中国がチベットを支配した後に、どういう態度を取ったか、どういう事態が出現したのか、これを見れば、将来の香港を予想する上で非常に示唆的なのである」
と書いている。
石川氏は、「返還後、遅くない時期に衝突が起こる」と予測しており、その点では大きく外れている。しかし、22年後の今日、「香港と中国の衝突」が起こっており、時空を経て、その予測が的中したとも言える。
米国フォーチュン誌1995年6月号は、“香港の死”とのタイトルで、香港の最良の時代は“すでに終わった”と断言した。
「華南の入口としてのビジネス・チャンスは残るが、公平な法治より腐敗や政治的なコネが物を言うようになり、国際的な商業・金融のハブの役割はなくなる。
英語は広東語と北京語に取って代わられ、外国人に公平なビジネス・チャンスはなくなる。
ヤクザと結託した人民解放軍が街を闊歩し、共産党政権が全政府部門を制御し、党に協力的な判事や行政長官を任命して、選挙された議員に取って代わる。
大陸からの共産党員が香港政府官僚を監視する―などといった未来は、水晶玉を見なくとも、共産党幹部の言動を見ていれば十分に予測できる」(「香港」:倉田徹著:岩波新書から転載)
と書いている。
当時は、このような見方が、もっとも支配的だった。
伊藤真二氏は、「返還直前に見る香港の将来-政治・経済・社会の焦点」(「RIM環太平洋ビジネス情報」:1997年4月1日)で、
「香港の将来については楽観論・悲観論が入り乱れている」
と書き、
「香港が返還後も今日のような繁栄を続けるか鍵を握るのは、金融市場ではないかと思われる」
「自由市場経済が成り立つ根底には、法の支配や思想、言論、報道の自由などの存在があるが、それらが中国政府の介入対象になり得る以上、香港の先行きには不透明感がつきまとう。
仮に香港の繁栄が続いたとしても、市場のルールが変質すれば、その繁栄はこれまでとは異質なものであり、香港が将来的にも国際ビジネスセンターとしての地位を享受できるかどうかは別問題である」
と主張している。
この伊藤氏の論考は、無難なものであるが、かなり的を射ていると思われる。
10年後の2007年、みずほ総研の稲垣博史氏は、「香港の中国返還10年の歩みと今後10年の展望」(みずほ総研論集2007年Ⅲ号)で、
「返還後、自由な経済体制が脅かされるとの懸念があったが、概ね杞憂であった」
と書き、
「とくに将来的な人民元安・米ドル高の進行時、現行為替制度は香港経済に致命的な打撃を与えかねない。また、中国が資本取引の自由化を推進すれば、外国人が投資できる人民元建て金融商品が増加し、中国人投資家が台頭し、貿易決済も徐々に人民元建てで行われるようになるかもしれない」
ただし、
「中国が10年以内に、どこまで資本取引を自由化するかはまだ不透明であり」
「中国は資本規制を再強化するかもしれない」
と予測している。
さらに、
「香港の地位が今後大きく低下するとすれば、おそらくその原因は中国を起点とする問題ではないだろうか。具体的には、中国経済の軟着陸失敗、環境汚染の劇的な悪化といった問題が想定される」
と続けている。
これも10年後の香港情勢を踏まえた上での、無難な見解であるが、20年後の「香港デモ」への言及はない。
4年前の2015年、倉田徹とチャン・ユック・マン両氏は、「香港 副題:中国と向き合う自由都市」(岩波新書 2105年12月18日)を著し、
「香港社会にとって特に重要であったのは、経済活動の自由であった。当初から自由貿易港として、無関税・低税率の政策の下で発展を遂げてきた香港は、返還後の現在に至るまで、世界で最も自由な経済を誇る」
「戦後の香港には、少なくとも経済的自由の中に多くのチャンスが存在し、裸一貫から巨万の富をつかみ、ホンコン・ドリームを実現する者も生まれた。アジア一の富豪となった李嘉誠の成功物語は、さながら香港の20世紀史と言っても過言でない」
「香港の次の世代には、経済成長による階級上昇も、安定した生活への望みもない」
「香港の信用は、“戦争、暴動、地震がなく、そして東アジアにおいて最も法治が健全な場所で、財産権と商業の自由が守られている”ということにつきる。中国の人々にとっても、香港は“逃げ場”として、資産や国籍の転移に理想的だ。同時に一番の心配は、正体不明な勢力がこの逃げ道を破壊することだ」
と書いている。
さらに、雨傘運動の鎮圧に中国の武装警察の直接の介入がなかったことを、
「経済と資産を人質に、政治権力と軍事力を無力化させたからである」
と書いている。
これは、今回の香港デモを理解する上で、貴重な示唆である。
2年前の2017年、遊川和郎氏は、「香港 副題:返還20年の相克」(日本経済新聞社 2017年6月21日)を著し、
「この壮大な実験はその後どうなったのだろうか。はっきり見えているのは、“中国で許されないことは香港でも許されない”というシンプルな事実である。
統治体制は“二制度”ではなく“一国”に収斂し、返還時に埋め込まれていた民主化という時限爆弾を中国が懸命に除去しつつある。
一方、経済では、中国の驚異的な経済発展により香港の利用価値は以前ほどではなくなり、逆に香港経済は中国に大きく依存する構造へと変わってしまった。
“高度の自治”“港人治港”“50年不変”という大方針が持っていた重みはいつの間にかどこかへ行ってしまい、返還当時の極端な不安が薄れるとともに国際社会が寄せる関心もそれほどではなくなった」
「香港市民は返還の恩恵よりも住宅高騰や自由空間の縮小に不満を感じ、将来にも漠然とした不安を抱えているのが多数派だろう」
「中国にとっては、20年かけてチベットやウィグルのような敏感な地域をもう一つ作ってしまったようなものではないか」
と述べている。
2年前の分析だけに、今日の香港デモをもっとも正しく予測しているように、私は思う。
さらに遊川氏は、
「今から考えれば、香港も民主派を拒否し続けた結果、独立派の台頭を招き、問題を複雑にした。本来、融和姿勢は長期的に行うことで効果を発揮し、強硬姿勢は短期策に限るべきだが、中国がやっているのはその逆であり、強硬姿勢を続ければ続けるほど問題の解決は遠のくのである」
「中国は気に入らない主張をする議員を排除しようとするが、そもそも返還時にはもちろん、その後も表立った独立の主張などはなかったのである。こうした過激な主張を引き出したのは自らの失敗であることの反省からスタートしなければ問題の本質的な解決には至らない」
と書き、
「香港が中国の体制転覆の基地となったり、香港が中国の体制を攻撃したり、足を引っ張ったりするようなことはゆめゆめあってはならない。万一そのようなことが起こり得る状況になったら他に選択肢はない。経済への影響や香港のことなど容赦なしに押しつぶすだけである」
と警告を発している。
私がこの本で、最も注目したのは、
「(2016年の外貨準備の激減)に不安を覚えるのは金融市場や中国進出企業だけではない。中国国内企業、中国の一般住民までもが目減りする資産を黙って保有しているわけはない。あの手この手で外貨建ての債務は早期返済し、保有する資産は人民元から外貨に換えて価値の保全を図ろうとする。国内では規制に縛られてなかなか外貨への換金、保有はできないが、為替規制のない香港は格好の外貨資産の逃避場所となる」
との記述である。
私は今回の香港デモの真因は、ここにあると思っている。
今年5月、倉田徹氏らは、「香港の過去・現在・未来 副題:東アジアのフロンティア」(倉田徹編:勉誠出版:2019年5月31日)を著し、その中で、日本大学の曽根康雄教授は、
「香港は本土の金融センターである上海を大きくリードしている。特に重要なのが、内外資本取引が完全に自由(為替規制が一切ない)という点である。内外の資本取引が厳しく制限されている中国とは異なり、香港は海外に開放された金融市場であり、ソフト・インフラも整っていることから、海外の投資家や華僑が安心して資本取引を行える場である。世界の金融センターの競争力ランキングでは、香港は常に上位に位置しており、返還後2年を経てもなおその地位が揺らいでいる訳ではない」
「人民元相場の下落、資本流出の増加、外貨準備高の減少といった状況に直面し、中央政府は資金流出を食い止めるため為替取引規制に動いている」
「中国の資本規制緩和のペースを見る限り、全面的な資本自由化はかなり遠い将来になると考えるのが妥当だろう。その前提となる国内の金融システムの市場化改革も、既得権益集団の抵抗が強いため時間を要する。それゆえに、海外の投資家による対中投資の窓口として機能している国際金融センター・香港の存在意義も依然として大きいのである」
と書き、香港の資本取引の自由な点、つまりカネの出し入れが自由な点に注目している。
3.今、なぜ、逃亡犯条例改正なのか?
今回の香港デモの真因を解明するキーワードは、「今、なぜ、逃亡犯条例改正なのか」である。
逃亡犯条例改正案は、2019年2月、香港政府によって立法府に提出された。その背景には、2018年2月に香港人が台湾旅行中に起こした殺人事件があり、両国の間に条約・条例がないため、容疑者を台湾に引き渡すことができなかったという事情がある。
またこの改正案は、
「容疑者の身柄引き渡し手続きを簡素化し、中国大陸・マカオ・台湾にも刑事事件の容疑者を引き渡しできるようにする」だけでなく、「改正案が成立した場合、香港行政長官は事例ごとに引き渡し要請を受け付けることになる。要請を受け付ける容疑には殺人罪のほかには贈収賄、入出国審査官に対する詐欺など7年以上の懲役刑が科せられる可能性のある犯罪が30種類以上含まれる。また中国大陸などから要請を受けて資産凍結や差押を行うこともできるようになる」
という中身も含んでいる。
本改正案提出時に、野党勢力は解決策として、この台湾の殺人事件にのみ適用できるように逃亡犯条例を時限的に改正することを提案した。ところが林鄭月娥長官は、それを受け入れず、条例の全面的改正に踏み切った。
この一連の経過を見ていれば、この逃亡犯条例の改正を、あえて反対を押し切って行う緊急性と絶対的必要性はないことがわかる。しかし林鄭月娥長官は、この台湾殺人事件を好機と捉え、中国政府の強い緊急の要請に応えられる体制を整えようとしたのである。
しからば、中国政府の強い要請とは何だったのか? さらに今回の香港デモが前回までと大きく違う点は、「香港財界の支援にある」と言われている。ここにも真因を探る鍵がある。
私の分析は文末に書いておくが、その前に、今回の香港デモをめぐる識者の見解を述べておく。なぜなら、いずれも緊急性と絶対的必要性について論じていないからである。いずれも間違いではないが、主要な本質をついているものではないと考える。
ジャーナリストの安田峰俊氏は、10月10日付けの文春オンラインで、
「今回の香港デモのそもそもの理由である逃亡犯条例改正案問題も、林鄭月娥長官が“内地の論理”を過剰に忖度して、北京に気に入られそうな政策を通そうとしたことで生じたものです」
と書いている。
これは一般的な見方を代表したものであろうが、これではこの条例の緊急性を説明することができない。
立命館大学の上久保誠人教授は、
「香港財界は親中派である。中国は、香港を核とした国家プロジェクト『粤港澳(えつこうおう)(広東省・香港・マカオ)大湾区』を推進している。
中国との経済的な結び付きが強まっている中で、香港財界は“いくらもうけてもいいが、政治には口を出すな”という中国共産党に黙って従ってきた。だが、逃亡犯条例の改正案については、国際社会から香港のビジネス環境が悪化したとみなされることを恐れて、反対に転じた。
これに対して、中国共産党は香港財界への圧力を強めている。8月には、デモに社員が参加したとして、キャセイパシフィック航空を非難し、同社のルパート・ホッグ最高経営責任者(CEO)が辞任した。
しかし、中国の露骨な圧力に対して香港財界には強い反発がある」
と、言っているが、これも間違いではないだろうが、強い説得性を持たない。
中国問題グローバル研究所の遠藤誉氏は、
「一般の香港人が香港において政府転覆的な動きをすれば、“引き渡し手続きを簡略化して、すばやく大陸に送り込み大陸の司法で裁くことができる”というのが改正案の神髄だ。もし改正案が通ったら、民主活動家たちはこれまでのように“西側的価値観”を持った外国の裁判官によって民主活動が見逃される軽微な刑で済まされなくなるのである。
これをあらゆる側面から未然に防ぎたい。だからデモが長引いているのだ。
この厳然たる事実を見落としたら、香港のデモの真相は何も見えないと確信する」
と書いている。
これも正しい見解だが、緊急性と絶対的必要性を説明しているとは言えない。
中国政府にとって喫緊の課題は、資本の流出・外貨の流出防止である。そのため、中国政府はなりふり構わず、あらゆる手段を使って、外貨の流出を防いでいる。また外貨の流入を伴う外資の誘致の努力を懸命に行っている。
中国にとって、資本の流出・外貨の流出防止は、緊急かつ絶対的必要性のあるものである。つまり林鄭月娥長官は、その要請に応えたのである。
2016年末、一時期4兆ドルを超えていた外貨準備高が3兆ドルまで減った。そのまま減り続けると、中国は国家デフォルトに陥るところだった。そこで中国政府は、人民元の国際化の夢や約束をかなぐり捨て、2017年1月、急遽、資本規制を再強化し、有形無形の外貨持ち出し禁止策を講じた。鳴り物入りで始めた「一帯一路」政策も資金不足で、開店休業とは言わないが、当初のような華々しさはなく、進行中のものも、なにかといちゃもんをつけて遅らせている状態である。
中国政府がそれだけ努力しても、外貨準備高は微増である。なぜなら香港から外貨が流出しているからである。つまり、
「国内では規制に縛られてなかなか外貨への換金、保有はできないが、為替規制のない香港は格好の外貨資産の逃避場所となる」
「中国の人々にとっても、香港は“逃げ場”として、資産や国籍の転移に理想的だ」
なのである。
中国政府は、懸命に、香港からの資金の流出を食い止める方策を探していた。ここに、このパイプを締める絶好の案が、林鄭月娥長官から提出されたのである。それがこの逃亡犯条例改正案だったのである。だから、逃亡犯条例改正案の中に、
「要請を受け付ける容疑には殺人罪のほかには贈収賄、入出国審査官に対する詐欺など7年以上の懲役刑が科せられる可能性のある犯罪が30種類以上含まれる。また中国大陸などから要請を受けて資産凍結や差押を行うこともできるようになる」
が含まれているのである。
この逃亡犯条例改正案の提出に、身に覚えのある香港財界人は縮み上がり、この案を潰そうと躍起になった。また資金を国外に逃がそうとする中国内の共産党官僚や金持ちも、それを施行されたら、首を絞め上げられてしまうことになるので、地下から香港デモ応援した。
識者の間では、「今回の香港デモは、習近平派と江沢民派の戦いが反映している」と言われているが、そんなステレオタイプなものではなく、「カネを持ち出したい派」と「それを阻止しようとする派の暗闘が表出している」という方が正しい。
いずれにせよ、香港デモの首謀者の一部に、彼らから資金が流れていることは多くの識者が指摘しているところでもある。それらが功を奏したのか、当面、逃亡犯条例改正案は撤回され、「金持ち」たちの恐れはなくなった。だから、今後、香港デモは沈静化するはずである。
しかし、香港デモは、当初の目標を獲得してもなお、次の段階に進みつつある。運動は当事者たちの想定を超えて、常に、意外な方向への展開を見せるものである。
遊川氏は上掲著で、
「香港が中国の体制転覆の基地となったり、香港が中国の体制を攻撃したり、足を引っ張ったりするようなことはゆめゆめあってはならない。万一そのようなことが起こり得る状況になったら他に選択肢はない。経済への影響や香港のことなど容赦なしに押しつぶすだけである」
と中国政府の介入を予告している。
今後の香港情勢から目が離せない。
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小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年岐阜市生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を歴任。中 国政府外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。