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「令和3年8月15日の靖国神社」(日比恆明)

【特別リポート】
「令和3年8月15日の靖国神社」

日比恆明氏(弁理士)

今夏の気象は異常と言えるもので、九州北部、広島県には8月14日から大雨特別警報が発せられました。この警報は、これまでに経験したことの無い大雨となるため、警戒レベル5と最高値でした。

大雨の原因は、活発化した秋雨前線が南日本に発生したことによるものだそうですが、気象については詳しくないので理解できません。ただ、地球規模の温暖化による異常気象であることには間違いないようで、これからは周期的に発生することが予想されます。大雨は18日頃まで続き、長崎、佐賀地方では例年の3倍の雨量となり、土砂災害などの被害が発生しました。
 
東京も異常気象の影響を受け、13日から16日の間は雨模様が続いていました。特に、15日は一日で138ミリの雨量となり、最高気温は20度となって盛夏とは思われない気候となりました。毎年の終戦の日は、汗が身体中から湧きだしてくるような暑さでしたが、今年はむしろ長袖が必要な程の気温でした。このような涼しさでは、終戦の日という特別な感慨は湧かなくなるでしょう。


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今年の終戦の日は一日中雨が降りましたが、以前も雨の降った終戦の日がありました。平成15年(2003年)では大雨となり、雨量は今年よりも多い151ミリでした。この日は土砂降りのような激しい雨で、傘をさして歩けるような状況ではありませんでした。このため、参拝者は雨宿りできるような場所を探していましたが、境内では雨を凌ぐような場所は限られていました。雨宿りできるのは、神門、2軒の茶店程度であり、数百人の参拝者がここに集中しました。

私は神門の下で雨宿りしましたが、ここには満員電車のように参拝者が密集していました。この時の体験で、神社というものは、晴れた日に参拝できるように建物が造営されていることを痛感しました。
 
昨年に続き、今年もコロナ禍により各種の行事は中止となり、参道は静かなものでした。日本会議の集会もなく、軍歌を歌う会もなく、例年のような盛り上がりがありませんでした。それでも戦死者の慰霊のために、次々と参拝者が集まってきました。

正午近くになると参拝者の行列の後尾は茶屋の前まで続いていました。このような光景では例年のような参拝者数と錯覚しますが、コロナの感染を防ぐために間隔を置いて並んでいるので、例年の三分の一程度ではないかと推測されました。


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この日の朝、靖国神社に到着すると、制服警官の人数、駐車している公安車両数が何時もに比べると倍以上であることに気づきました。警備が厳重であり、境内には少し変な雰囲気があると感じられました。到着して或る筋から、安倍元首相が昇殿参拝するのではないか、という噂が入りました。安倍元首相が在任中に参拝したのは平成25年12月の1回だけであり、退任後では令和2年9月、10月、令和3年4月でした。すると、安倍元首相が終戦の日に昇殿参拝するのは初めてのことになり、滅多に見ることのできない事件となります。これは絶対に見ておかなければならない、と決断しました。同じような噂を聞きつけた人達もいたようで、閣僚が昇殿する到着殿の前には数十人が待ち受けていました。

私は雨の中で待ち続けましたが、安倍元首相を乗せたそれらしい車は中々到着しません。30分ほどもすると、黒塗りのセンチュリーがゆっくりと入ってきましたが、この車は到着殿の前を通過して、そのまま駐車場に通りすぎていきました。どうも、このセンチュリーはダミーのようで、一般人をめくらますために運転していたようです。

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センチュリーが通過してから5分ほど経過し、午前10時50分になると黒塗りのアルフォードが到着し、この車から安倍元首相が降車しました。本物の車が到着殿に到着すると、周囲のSPはそれまでと違ってピリピリとした雰囲気に変わっていきました。


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昇殿してから15分ほど経過すると、参拝を終えた安倍元首相が到着殿から出てきました。帰路の車は黒塗りのクラウンであり、アルフォードとは別の車種でした。こうして小一時間ほど安倍元首相の行動を観察することができました。VIPの警護には何種類もの車を使い、移動経路を悟られないようにしていることが理解できました。退任した元首相の警備がこの程度なので、現役の首相の警備はもっと厳しいのではないかと推測されます。


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靖国神社でのほぼ全ての行事が中止された中で、放鳩式は例年通りに開催されました。戦没者の慰霊のために白鳩を放す、という儀式です。東南アジアの仏教寺院で良く見られる、功徳のために鳥を放す儀式と似ています。この放鳩式では、毎年名物の講釈師宝井琴調氏が進行案内と放鳩式の意義の解説をしているのですが、今年は事情があって宝井はお休みされてました。


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ほぼ全ての行事が中止になったので、参拝者が境内や参道で時間をつぶすようなような場所がありません。また、大雨のために休息できるような場所もありません。参拝者の多くは拝殿の前で参拝すると、そそくさと帰路に向かわれていました。それでも、参拝の記念になるように、全員で写真を撮影さた若者もおみえになりました。今年の終戦の日は、雨の中でただ静かに過ぎていったようです。


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今年も九段坂の歩道では、各種団体がチラシを配っていました。例年であれば炎天下でのチラシ配りということですが、今年は雨の中であるため皆様苦戦されてみえました。レインコートを着て濡れるのを避け、チラシをビニールで包んで渡していました。

今まで体験したことのない雨の終戦の日のため、どのように準備したら良いか想定できなかったようです。今年は幸福の科学、顕正会、法輪功などの宗教団体、ウイグル人権協会、台湾独立派などの外国政治団体が多く見かけられ、新しい教科書団体は見かけられませんでした。大雨になったので、それぞれの団体の方針により出店するかどうか決めたのではないでしょうか。
 
各団体では、チラシを濡らせないために、わずかに雨水にさらされない場所を見つけ、資材を管理されていました。都会は整備されると外観は綺麗になるのですが、人を自然から守るような余裕のある空間が失われていくようです。


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例年、靖国神社の手前にある歩道橋の前は、ある政治団体が宣伝活動のために独占して占有されてきました。今年も同じ場所で宣伝をされてみえましたが、雨を防ぐためにテントを張られていました。これならいくら大雨が降っても活動には影響が出ないでしょう。昨年と比べると一目瞭然です。ここまで手回しの良い団体は珍しいことです。しかし、テントを設置した場所は公道であることから、道路占有許可を取得しなければ設置できません。この団体は許可を取ったのでしょうか。場所が場所なので、この団体は細かいことは言わず、勝手に占有したようです。なお、左右に立つ背広の人達は公安関係者です。


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今年初めて見かけたのは、沖縄の遺骨収集の問題について訴えている人でした。現在、沖縄では嘉手納飛行場を移転するため、辺野古に新しい基地を建設しています。この基地建設の埋立てのために、戦跡の土砂が掘られて使用されています。戦跡では未回収の遺骨が多く眠っていることから以前から問題となっていました。この人は、戦跡からの土砂の採取に反対してハンストを続けてみえました。この問題はテレビの特集で見たことがありますが、色々な利権がからんでいるようで、県知事もすんなりと中止できず、大いに疑問のあることです。

久し振りに九段坂の下まで歩いたところ、九段会館の再建工事を見ました。九段会館は東日本地震により天井が落下し、都内で唯一の地震による死亡者が出た建物です。それ以降は使用禁止となっていましたが、表に見える外観はそのまま残して高層ビルを建設することに決まりました。来年に竣工するとのことですが、地震があってから11年目の再開ということで、大変長い時間がかかったようです。