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「国葬と献花」(日比恆明)

【特別リポート】
「国葬と献花」

日比恆明氏(弁理士)

 令和4年9月27日、武道館で安倍元首相の国葬が執り行われました。戦後になって国葬が行われたのは吉田茂首相の国葬以来2回目で、55年ぶりのこと。次の3回目の国葬が何時執り行われるか不明で、少なくとも私が生きている間に行われる可能性は極めて低いと判断しました。このため、健在な内に国葬を眼に焼き付けるため、私は九段に出掛けることにしました。

 安倍元首相の葬儀は国葬と決まったのですが、この決定は国会を通さずに閣議で決めたので反対論が噴出しました。この問題が報道される前、私は皇室、首相経験者の葬儀は全て国葬で行われるものだ、という先入観がありました。

しかし、皇室の葬儀は「大喪の礼」又は「斂葬の儀」と称しており、皇室の儀式であって国葬ではありません。首相経験者の葬儀では、その殆どが内閣合同葬であり、費用の半額が国費で負担されているだけです。また、全ての首相経験者が内閣合同葬で行われたのではなく、鳩山一郎、田中角栄などでは内閣合同葬が行われていません。すると、吉田茂元首相の葬儀が国葬に決まった理由が何故なのか不明です。今回、安倍元首相の国葬について賛否両論が噴出していますが、これから、国葬について根本的な論議を始める必要があると思われます。

 

               写真1

  新聞などでは、国葬の会期中は全国から2万人の警察官を動員し、厳重な警備を実施する、と報道していました。安倍元首相は銃撃により暗殺されたことから、模倣犯が現れるかもしれません。世界各国から要人が訪日し、武道館付近に集中するためテロが発生するかもしれません。政府は万一のことを想定し、厳重な警備体制を執ったと思われます。

 当日、私は新宿から自転車で、四谷を抜けて九段通りに向かうことにしました。報道では、奈良県で銃撃があったことを反省し、今まで以上に強固な警備を実施している、と報じていました。交通規制のため都内では渋滞があるのではないか、との予測もありました。

このため、道中の警備が厳しいのではないかと想定していたのですが、九段坂までは検問や規制もなく緩やかで、やや拍子抜けしてしまいました。ただ、九段通りでは午前9時から交通規制があり、歩行者以外は通行できなくなりました。写真1は九段下から新宿方向を撮影したもので、九段通りの左右には各種車両が隙間なく駐車してありました。九段通りの北側の歩道から武道館方向を観察できないように、車両で遮蔽するためでした。

 

               写真2

               写真3

 写真2は靖国通りと内堀通りの交差点から九段下方向を撮影したもので、この交差点から九段下交差点までの約5百メートルだけが通行止めとなっているだけでした。しかし、この九段坂は、北の丸公園に入ることができる田安門に接した重要な地点なのです。ここを閉鎖すれば、外部から武道館への侵入を防ぐことができます。北の丸公園は、周囲をお濠で囲われているため、進入路だけを閉鎖すれば警備は容易なのです。

  国葬には海外から約7百人、国内から約3千6百人が参列したとのことです。海外の要人は専用車輛かバスで、竹橋か代官町通りから武道館に移動できます。しかし、一般の参列者は徒歩でなければ武道館に入れません。写真3は一般の参列者が入場するための検問所で、地下鉄九段下駅の地上出口の横に設営されていました。ここで案内状らしき書類を提示すると、九段坂南側にある歩道に進入できます。私にも案内状が発送されたなら、この検問所を通過できるのですが。

 さて、一般参拝者には案内状が発送され、参拝の有無を葉書で返答することになっていたようです。案内状は6千人分発送したそうですが、4割の人は欠席の意思を示したそうです。蓮舫議員、辻本清美議員は欠席されましたが、お二人とも安倍元首相とは犬猿の仲であるので当然でしょう。鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相も欠席ですが、この二人はどう考えても国葬の対象には選ばれないことから、ご本人達のやっかみから欠席されたのでしょうか。

                写真4 

 九段坂の南側の歩道は招待を受けた一般参拝者しか入れませんが、その様子は反対側の北側の歩道から眺めることができます。しかし、車道には遮蔽物の自動車が数珠つなぎのように駐車してあるため、細かい様子を窺うことはできません。誰が入場したのかは遠すぎて確認することができませんが、皆様、携帯電話で撮影されていました。

 

                写真5 

 駐車してある車の間から田安門の方向を眺めると、受付けのテントが見えました。一般の参拝者は、地方自治体の首長や各界の長老が選ばれているようですが、高齢の方ばかりなので、田安門の前の急坂を登られるのは難儀ではないかと思われます。

 なお、現職、元職の国会議員に案内状を発送するのは当然のことですが、それ以外では各界の著名人、功労者にも発送されたようです。当日は、原辰徳、王貞治、青木功なども出席したそうで、文化、スポーツ、芸能の各業界の功績者が選ばれたようです。

 

【一般献花者のコース】

 さて、武道館の国葬儀場には我々のような庶民は参列できませんが、一般献花をすることはできます。一般の献花台は九段坂公園が指定されましたが、ここは武道館に近く、かつ、警備がし易いからではないかと思われます。献花できる時間は午前10時から午後4時と決定されましたが、献花者が増え続けたため3時間延長されました。

 献花台の場所は決まったのですが、ここにたどり着くまでが大変なことでした。政府からは、地下鉄の半蔵門駅で降車し、五味坂を進み、内堀通りを横切って千鳥ケ淵緑道を通り抜けるように指示されていました。このコースは半蔵門駅から献花台までの最短距離であり、19分ほどで到着できるはずです。この最短コースを歩むことができたのは、早朝に献花された人だけでしょう。

 午前10時前に献花台に到着した人達には整理券が渡されたようですが、それ以降に到着した献花者は順番待ちの行列となりました。献花者が後から後から増えてくると、当然のことで行列は長くなり、半蔵門駅からの最短コースの道路には行列の人達で溢れてきます。このため、警備側は行列の進行方向を曲げ、行列が長くなるように誘導していました。この地図は私が体験した迂回コースを矢印で示しています。なお、ニュースによれば、午後になって献花者が続々と増え続けたため、半蔵門駅を下車した人達は四ツ谷駅方向に誘導され、全長が5キロメートルの行列になったそうです。最後尾の四ツ谷駅から献花台までたどり着くには5時間かかった、とニュースで報じていました。

              地図

  地図の中に書き込まれた数字は、各写真の番号と一致させてあり、撮影した場所を示しています。

  写真6は、五味坂を半蔵門駅方向に撮影したものです。駅からここまで約40分かかっています。テレビではこの付近の光景が放映されたようで、付近の花屋では商品が全て売り切れていたことが報道されていました。ここから内堀通りを右に折れ、国立劇場の方向に進みます。この時点で13時20分。

 

                写真6

                 写真7 

 ここは英国大使館前です。行列はなおも続きますが、お濠端の遊歩道に移動するための折り返し地点が見えません。前の人の背中についていくだけです。交通規制している警官に、「献花台まであとどの位を歩くか?」などと尋ねても回答してくれません。このあたりにくると疲れが出てきて、「献花するのを諦めようか」という気分も湧いてきます。この時点で13時31分。

 

                 写真8

 行列の途中には色々な活動をする人達が待機していました。この人達は某宗教団体の方で、富士山マークの新聞を配付しているので有名です。この日に配付していた新聞では、国葬に反対する内容を掲載していました。

この宗教団体の主張では、「国葬は神国日本を再現するようなものであり、仏教信者としては許せない」というものでした。この宗教団体は国葬が決まってからすぐに反対運動をしていたようで、以前から都内のターミナル駅前で国葬反対のチラシを配付していました。

               写真9

 安倍元首相の暗殺の原因が旧統一協会にからんだことから、小学館からは自民党と旧統一協会の関連を暴露する書籍が発刊されました。著者は鈴木エイトであり、10年以上前から旧統一協会を追っていた人物です。今までは無名に近かった著者ですが、安倍元首相の事件により急に有名になってきたようです。

                写真10

 内堀通りに沿って行列はなお続くのですが、行けども行けども折り返し地点が見えません。国立劇場、最高裁判所を通過して三宅坂の交差点でやっと警官が折り返しの指示をしていました。ここで内堀通りの反対側のお濠端の遊歩道に渡ることができました。ここまで到着すると、「これで半分の道のりを征服した」という実感が湧きました。この時点で14時00分。

                 写真11

 お濠端の遊歩道は道幅が広く、途中には立ち止まらなければならない交差点が無いため、行列は順調に進むことができました。ここまで来ると、行列の人込みは疎らとなって、歩きやすい間隔になってきました。

 しかし、高齢者にとってはここまで到着するのが苦行のようなもので、立ち止まって休息される姿も見かけられました。歩道を歩いている他の人達もお疲れのようで、自分自身が歩き続けるのが精一杯で、休息している高齢者を助けるような人はいませんでした。体力を消耗した人達はこのあたりで脱落し、自宅に戻られるためか逆方向の駅に向かわれていました。

この日、気温は29度となり、疲労と暑さのため道端で倒れ、救急車で搬送されて人もいたそうです。交通規制をしていた警察は、高齢者、身体障害者のために優先コースを整備しておくべきではないか、と感じられました。

                 写真12

 折り返し地点からの道中は行列の密集もなく、スムースに進むことができ、写真12にある一般献花者入口に到着しました。この時点で14時19分。ここまで到達すると、目的地は目前です。

               写真13

 入口から千鳥ケ淵緑道を進んでいくと、戦没者墓苑に沿って道が曲がり、お濠りに近づいています。歩道の両側には桜の木が植えられていて、春になると花見客で賑わう場所です。今日は桜花の代わりに制服警官が十メートル置きに立哨しており、花見の気分は出ませんでした。

               写真14

 千鳥ケ淵緑道の途中には手荷物検査所が設けられ、鞄、バッグの中身を検査されました。「一般献花では直前に所持品の検査がある」ということは前日のテレビ報道で知らされていたので、驚きはしませんでした。しかし、検査があまりにも緩いので驚かされました。鞄、バッグの口を広げるだけで終了し、飲料はその場で飲んでみせるだけでした。正月に行われる皇居参賀での手荷物検査に比べると呆気ないほど簡単でした。武道館からは相当に離れているので、爆発物を持ち込んでも破壊的な被害はない、と想定したのでしょう。なお、検査は民間警備会社に依頼したようで、監督官以外は民間人でした。

               写真15

 検査所を通過すると一般献花の注意書きが立てられていました。小さな文字で、献花の心得と不法行為の例示が長々と書き連ねてありました。要点だけを太い文字で書けばいいと思われるのですが、警備側としては「注意しておきました」という実績を残したかったのかもしれません。もっとも、全文を読むような献花者はいませんでしたが。

                写真16 

 こうして、終点の献花台にまで到着しました。この時点で14時34分。ここまでくると何故か達成感が湧きました。「とうとう、本日の目的を終了し、肩の荷が降りた」というような感慨です。行列に並んだ人達も同じようなもので、供養花を届けたことでホッとしたような顔つきになられ、九段通り方面に散っていかれました。

 献花者が次々と供養花を献花台に置かれていました。それを係の者が手早く台の下にしまわれていました。そうしないと、たちまち献花台は花束であふれてしまうからです。しかし、この日に献花された花の量は夥しいものであり、どのように処分されるのかと関心を持ったところ、堆肥にして新宿御苑で肥料にすると発表されていました。一般献花は延長され、午後7時まで続けられ、献花者の総数は25,889人であったとのことです(政府発表)。

 

【国葬反対デモ】

 安倍元首相の国葬については当初から反対者も多く、国葬のあった当日にはあちこちで反対集会が実行されたようです。都内では国会議事堂前、日比谷公園、新橋駅前、新宿駅前などで集会があったようです。

国葬の会場となった武道館の近くにはデモ行進を実施する、とネットで告知されていました。告知では、神田の錦華公園に集合し、九段下にデモ行進する、と掲載されていました。

27日午前中にデモの一行が九段下の交差点に到着しましたが、その人数が多いのには驚かされました。少なくとも数百人は参加していたのではないか、と思われます。過去に九段通りで実施されたデモの中では大規模なものでした。主催者が不明ですが、市民グループ、労働組合、学生運動家などの複数のグループが結集したようです。そのため、国葬反対のノボリの他に、原発反対、安保反対、家長制度反対などのプラカードもあり、デモ参加者は各種のグループが混合していたようでした。

                写真17

 

                 写真18 

 さて、この日、デモ行進に参加した人数については、主催者、警察関係のどこも発表していません。今回のデモは、過去に靖国通りで実施された中では規模が大きなものであり、世間の関心が高かったと思われるのですが。

                写真19 

 国葬反対派のデモが九段下にまでやって来ました。国葬反対を叫ぶのですから、左翼派のグループと考えて良いでしょう。それに対して、九段下の交差点では、デモ隊と対峙する右翼のグループが待ち受けていました。

写真19がその右翼のグループで、十名もいませんでした。デモ隊とは規模において圧倒的に劣っています。右翼の人達は少数精鋭と言いたいところでしょうか。この後、デモ隊と右翼グループとは衝突することになるのですが、暴力沙汰になることはなく、怒声を浴びせる程度のものでした。 テレビのニュース番組では左翼と右翼が喧嘩しているように放映されていましたが、それは飛び出そうとしている活動家を警察官が二重、三重にして取り囲んでいるだけのものでした。決して流血騒ぎになることはありません。どちらのグループも騒ぐだけであり、刃傷沙汰にならないよう心得ているのです。

 

 【国葬の反省】

 さて、安倍元首相の国葬は無事終了しましたが、アンケートによれば国葬に反対する国民が60%もいて盛り上がらないものでした。その原因の一つに、エリザベス女王の国葬が安倍元首相の国葬の直前に執り行われたことにあります。岸田首相は、G7の首相を招待して弔問外交で成果を上げるつもりだったのでしょう。しかし、エリザベス女王の国葬で弔問外交が完了してしまったので、各国の首相は短期間で再会する必要が無くなったのです。これは岸田首相にとっては予期していなかったことで、誠に運の悪いことでした。

 2番目に盛り上がらない理由は、エリザベス女王の国葬と比較されたことです。あちらは英国皇室であり、全世界に葬儀を発信していて、日本でも3日間テレビで放映されていました。規模、内容とも比較するのがおかしいのですが、一般庶民はどうしても両者を比較してしまうようです。

 また、招待者の選定基準が明確でないことも問題となりそうです。6千人に案内状を発送したのですが、参列者は6割であったとのことで、選定基準、参列者氏名などを公表するべきではないかと思われます。

 そして、一般献花者が2万5千人となったことで、この人数が多いのか少ないのかも論議となっています。漫画家の小林よしのりは、「国葬としては人数が少なすぎる」とコメントして炎上したようです。野球やコンサートでも4万人、5万人と集まるのですから、国葬で2万人は少ないと感じられたかもしれません。しかし、実際に参加した私からすると、あの長い行列を1時間、2時間と歩き続けるのは難行苦行で、誰でも簡単に献花できるものではありません。次回の国葬の時には、献花できる場所を多くすると共に、行列しなくとも献花台に辿り着けるような工夫をする必要があると思われます。