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「時政・義時・泰時」(小島正憲)

【小島正憲の「読後雑感」】
「時政・義時・泰時」

小島正憲 (㈱小島衣料オーナー ) 

                      
                                          
昨年は、毎週の日曜日に、NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を、興味深く観させてもらった。

鎌倉時代については、深い知識はなかったので、この際、しっかり勉強し、歴史的事実に照らし合わせ、冷静に観てみようと思い、事前に関連した本を読み、中日文化センターで開かれていた本郷和人氏の同名の講座を毎月受け、隠岐の島の後鳥羽上皇の墓まで行ってみた。それでも、毎回、三谷幸喜氏の脚色に翻弄され、心を揺さぶられた。義時の生き方の変化や2代目執権としての心境に、わが身を重ね合わせ、感情移入してしまったからである。

三谷幸喜氏は、1年間のドラマの中で、義時を善人から悪人へ、見事に転身させていった。これは、主人公を終始英雄として描いてきた今までの大河ドラマとは一味ちがっていた。

ドラマ開始当初の若き日の義時は、青臭く正義感に燃えた青年であり、それ故に頼朝の残虐非道な行為に反抗心を抱くような善人だった。だが、頼朝を支えた者たちの間での度重なる権力争いを経験する中で、自らが殺人にまで手を染めるような悪人に成り果てた。

しかも三谷氏は、最終回を義時が毒殺されるシーンで終わらせている。三谷氏は、義時をそのように変化させた要因を、板東武者の自立や北条家の存続などに求めているが、それは歴史上で実証されたものではない。それらはすべて三谷氏の創作である。なお、最終回の題名は、「報いの時」だった。

私は、この義時の生き様を、自分の半生と重ね合わせながら見入っていた。私は学生時代に共産主義の洗礼を受け、一生を「労働者の味方」(善人)として捧げる決意をしていた。だが、よんどころない事情により経営者、つまり「労働者の敵」(悪人)の道へ進まざるを得なかった。

その後、労働者や同業者の裏切りを経験し、取引先の詐欺や倒産にも引っ掛かり、何度も不況の波をかぶり破産寸前にもなった。私は、これらの修羅場をくぐりぬける中で、若きころの青雲の志はすっかり忘れてしまい、立派な「労働者の敵」に成長してしまった。善人から悪人へ見事に転身していったのである。

現時点では引退し、その舞台から降りてしまっているので、毒殺だけは免れることができるだろうが、私には敵も多いので、「報いの時」が来る可能性も少なくない。

ドラマの中で、2代目執権の義時は、初代執権である父親の時政と回を追うごとに対立を深め、ついには放逐してしまう。また実子の泰時とも親子喧嘩を繰り返す。最後には、泰時に3代目執権の地位を譲るのだが、そこに至る義時の心境の変化については、私は、ドラマの中から読み取ることはできなかった。

私は、父親から家業を継いだのだが、経営方針がまったく違い、時政・義時と同様に、いつも親子喧嘩していた。その父親が、私が34歳のとき急死したので、私は2代目社長として経営の矢面に立つことになり、善人の仮面をかぶり続けるわけにはいかなくなった。

私は我が社と我が家庭を守るため、自国の労働者の搾取を繰り返した。それだけでは飽き足らず、他国にまで進出し、そこから収奪することに手を染めた。だが私と息子との関係は、義時・泰時とは正反対だった。

もともと私は、息子とは喧嘩したくなかったので、わが社を他人に譲り渡そうと考えていた。ところが、他業種に就職していた我が息子が、「わが社を継ぎたい」と願い出てきた。私はそれを、しぶしぶ認め、わが社への入社を認めた。

意外なことに、その後約20年間、私は我が息子と一度もぶつかったことがない。当初、そこに物足りなさも感じたが、そのうちに、むしろ私より経営者向きであることがわかり、今では3代目の経営者にはピッタリだと思うようになった。私は、そのような息子に全幅の信頼を置いている。

三谷幸喜氏の手による「鎌倉殿の13人」は面白かった。見続けているうちに、上述のように、わが人生を再考することにもなった。このドラマは歴史考証もしっかり行われたものであり、歴史的事実の歪曲はない。だが、時政・義時・泰時などの登場人物の心理描写は、三谷氏の脚色によって、現代人にも理解しやすいものとなっていた。だから面白かったのだろう。皇国史観や唯物史観、実証主義史観などからは、このような面白さは出て来ないだろう。

このドラマを見ながら、「歴史を面白く学び、それに照らし合わせ、自らの生き方を反省し、現在の立ち位置を確認し、未来を予測し、自らの生き方を決定する。ここに歴史を学ぶ醍醐味があるのではないか」と思った。

塩野七生氏は近著『誰が国家を殺すのか』(文春新書)の中で、同氏のそれまでの大著を、「勉強し、考え、それらを基にして歴史を再構築する“歴史エッセイ”」と書いている。私は、塩野氏ほど勉強しているわけではないので、「歴史を再構築する」ことは到底できないが、「考え」、自分の身に引きつけ、「自分の生き方の指針」にすることはできる。これも一つの「歴史の学び方、活かし方」ではないかと思う。

塩野氏は上掲書で、
「誕生から死までという一国の通史を書いた経験から言うと、その歴史のすべてを通して、リーダーに成りうる人材は常にいたのだ。ただ、歴史も人間に似て、国民が元気である時代と元気でなくなった時代の違いはある。言い換えれば、興隆期と衰退期、そして才能を持った人材も、興隆期だと活用され、衰退期に生まれてしまうと活用されないから、持っていた力も発揮できなかったにすぎない。これらの活用されなかった人材を書いているときほど、悲しい思いになったことはなかった」
「その時代に仕事ができた人は、私も含めて、運が良かったからにすぎない」
と言い切り、
「既得権者である年長世代が、先手を打って改革に起つ必要がある」と、高齢者に檄を飛ばしている。

たしかに現代日本は超高齢社会である。この時代を、私は、高齢者にとっては、もう一仕事をさせる舞台であり、興隆期であると見る。だから、その時代を生きる高齢者は、運が良いと考えるべきなのである。

塩野氏は、「うまく使った一日の後には快い眠りが訪れるのに似て、うまく使った一生の後には安らかな死が訪れる(レオナルド・ダヴィンチ)」と書いている。せっかく、未曽有の超高齢社会が、私に善人として生き直す絶好のチャンスを与えてくれたのだから、私はそれをうまく使い安らかな死を迎えたいと思っている。

だから、もう、「報いの時」など恐れる必要もない。もっとも、敵も味方もみんな死んでしまっているのだが。「鎌倉殿の13人」は、私に、残された時間を、まっとうに生きる指針と勇気を与えてくれた。
                          

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清話会 評者: 小島正憲氏 (㈱小島衣料オーナー )
1947年生まれ。 同志社大学卒業後、小島衣料入社。 80年小島衣料代表取締役就任。2003年中小企業家同友会上海倶楽部副代表に就任。現代兵法経営研究会主宰。06年 中国吉林省琿春市・敦化 市「経済顧問」に就任。香港美朋有限公司董事長、中小企業家同友会上海倶楽部代表、中国黒龍江省牡丹江市「経済顧問」等を経ながら現職。中国政府 外国人専門家賞「友誼賞」、中部ニュービジネス協議会「アントレプレナー賞」受賞等国内外の表彰多数。