【特別リポート】
「新元号と商標」
日比 恆明氏(弁理士)
平成31年4月1日午前11時40分頃、皇位承継のための新元号が発表された。新元号は「令和」と決められた。これ以降、テレビのニュース番組は新元号に関連した特集ばかりとなり、皇位承継の大行事の開始となったようだ。前回の「平成」の元号発表と同じように、菅官房長官が新元号を墨書した額を掲げて記者会見に臨んでいた。
この日の発表前に、巷では新元号を予想するイベントが各地で行われていた。こちらの方も新聞、テレビなどで報道されていたが、何れの予想もみな外れていた。政府としては、素人が考えるような安直な名称を元号に選ぶほど甘くはなく、誰もが思いつかないような名称に決めたのではなかろう。
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また、同日の日経新聞ではキンチョールの広告が両面見開きで掲載されていた。パロディとしてはユニークであり興味深いものであった。写真は前回の元号発表と同じパターンで構成されていて、読者にはインパクトがあるのではなかろうか。一言付け加えるならば、額縁を持つ男性を小渕恵三官房長官(当時)に似た人物を起用すればもっと面白かったのでは。
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さて、前回の「平成」の元号の公布は1989年1月7日であった。この日、私はニューヨークに滞在していて、読売新聞の号外で天皇陛下崩御と新元号を知ることができた。昭和天皇が崩御されてから3時間後には、ニューヨーク市内にあるほとんどの日本料理店には号外が配付されていた。すでに予定稿もあったのではないかと推測されたが、これほどまでに日本からの配信が早くなったことに驚かされた。
その日の夕方に、マンハッタンの紀ノ國屋書店にでかけて新聞を購入しようとしたが、既に売れ切れていた。何時もなら閉店時刻になっても売れ残っているはずだったのだが。たまたま店内で新聞を読んでいた在留邦人に頼んで、崩御と新元号の記事を読ませてもらった記憶がある。
その日の夜はホテルのテレビで日本のニュースを観たが、1時間の番組枠は天皇陛下崩御で埋められていた。当時の国際放送は貧弱であり、現在のような24時間の放送はなく、朝1時間と夜1時間の放送枠であった。インターネットも無い時代であり、日本国内がどのような状況にあるか把握できなかった。現在なら、YOUTUBEなどでリアルタイムに日本の状況を知ることができるのだが。
写真は、滞在中に仲良くなったマンハッタンにあったグロサリーストアの店主である。この人物は韓国人で、日本語を理解できたので号外を読んでもらった。
この頃、アメリカでは、ベトナム戦争に従軍した韓国人に永住権を与え、移住させる優遇策を施していた。渡米した多くの韓国人はグロサリーストアやコンビニを開業したらしい。資本金がそれほどかからず、開業しやすかったのが理由である。彼もその一人であったようだが、日本語が理解できることと年齢からして従軍していたのではなく、従軍していた息子と共に渡米したのではないかと推測された。この韓国人は「昭和天皇は戦犯にならず、本当に運の良い人だった」と感想を述べられたことを記憶している。
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さて、ここからは私の商売に関連するのだが、元号が商標でどのように取り扱われるかが問題である。
商標権は独占権であるため、第三者が同一の商標を勝手に使用することはできない。その商標を使用したいならば、商標権者からライセンスを受けなければならない。極端な話、伝票類を指定して元号を登録したならどうなるだろうか。伝票類には日付欄があり、全国の印刷業者にライセンスを許諾したとすれば、権利者には毎日莫大なライセンス料が転がり込むことになる(実際には、日付までは権利主張できないが)。
元号を商標登録できたならば巨大な利権となる、と連想した知恵者も多かったようだ。私は、前回の新元号の「平成」が公布されてから、平成に関連する商標の出願について調査したことがあった。
1990年9月21日に「平成」「へいせい」「ヘイセイ」「HEISEI」に該当する商標出願を検索したところ621件にも及んだ。短期間にこれだけ多数の件数が出願されたのは珍しいことであった。また、「平成」の元号が公布された1989年1月7日のその日に出願された件数が、177件もあった。商標では最先に出願した者に登録されるルールがあるため、知恵者としてはその日の内に出願したのであろう。金儲けのためには皆様必死だったのである。
これらの商標の出願人を分析すると、法人が165社、個人が85名、その他が6名となった。一部上場企業は13社、二部上場企業は1社、店頭公開企業が2社もあった。個人の出願人には商標ブローカーで有名な人もみかけられた。変わった出願人には、岐阜県武儀(むぎ)町の町長がいた。武儀町には平成(へなり)集落があるため、おらが町の地名を登録したかったのであろう。
この「平成」の商標の調査と分析については、月刊雑誌「発明」(発明協会発行)の1991年2月号に「平成の商標」とタイトルして詳細に解説してある。ご関心のある方はご一読下されたい。
さて、大量に出願された平成の商標はその後どうなったであろうか。結果からすれば、全て登録されなかった。特許庁は、これらの出願は「需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標」として拒絶したのだった。特許庁は元号を特定の人物に登録して、独占権を与えることはしなかった。
「平成」の商標出願は、このようにして登録されることもなく消え去っていった。しかし、元号と特定の名称を組み合わせた場合には「何人かの業務に係る商品であることを認識できる」(特別顕著性という)があり、登録される可能性がでてくる。単純に平成の称呼を出願したのでは登録にならないであろう、と裏道を狙ってこのルールを活用した知恵者もいた。名称の組み合わせの事例には、「新平成」「大平成」「平成山」「平成号」などがあり、多くは日本酒の蔵元が登録している。写真は酒の銘柄として登録された「平成の祝」「平成の宴」である。
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平成の元号の商標登録については、このような結果となったが、新元号の「令和」の商標登録はどうなるであろうか。
前回の平成の元号の公布では、崩御が予想できなかったため準備が整わなかった。しかし、今回の元号の改正では皇位承継が予め決まっていたため、特許庁では早々と対策を打ち出していた。平成30年6月には、「元号(現元号であるかを問わず)として認識される商標は登録されない」と告知した。そして、平成31年1月には、商標審査基準を「元号は識別性がなく、登録できない」と改訂している。このため、これから「令和」を商標出願しても登録されないことは決定的になった。
さて、元号が変わるため、印刷物に元号を使用しなければならない官公庁、銀行、企業ではコンピューターのソフトを変更する作業に取りかかっているはずである。5月1日の即位に向けて1か月間でソフトを修正するのは大変な作業である。
そう言う私も元号の変更により大きな影響がある。愛用するワープロでは、変換能力が新元号に対応していないからである。私が使用しているのは20年前に購入した富士通のワープロであり、この機械では「ひづけ」と入力すると「平成31年4月1日」と変換してくれる。しかし、新元号に対応していないので、役所に提出する書類に新元号を記入する際にはその都度手入力しなければならなくなる。これが私の一番の心配事である。