人事労務が経営に与える影響  ~事例が語る未来のあり方~ 三浦 才幸 [ 特集カテゴリー ]

~健康経営と人事~② [ 第6回 ]

 従業員の健康と家族の健康

 

 新型コロナウイルスが、経済と日常に与えた影響は、想像の域をはるかに超えていました。以前ではあり得ない働き方が日常になり、関東地域に住んでいると、親兄弟の冠婚葬祭にも顔を出せない状態が続いています。働き方の変化は、知恵と工夫で乗り切れるものも多くあります。テレワーク、ウェビナー、はんこレスなど、経済活動を停めない工夫はここかしこに見られます。でも、家族との関りは知恵と工夫に限界があります。里帰り出産の制限、生まれたばかりの子供に会えない、祖父母の葬式に参列できない、いとこの結婚式が延期になっている(いずれも自分の身近でありました)など、オンラインでは、対応に限界がある事柄が多くあります。ともに祈り、ともに愛おしみ、悼み、喜ぶことが制限されてしまっています。

 自分のこれまでの社会人人生に大きな影響を与えたのは、企業と家族の関りを目の当たりにしたことが始まりだったと言っても過言ではありません。家族を招いた夏祭り、盆踊り、忘年会、会社訪問デー…、これらのことは特に、電気メーカーにいた時に多くを経験しました。最近は、企業や組織としての生産性や健康ばかりが多く語られることが多くあります。今号では従業員を支える「家族」にもっと目を向ける、という形について記していきたいと思います。

 

 

家族に対する企業のスタンス

 

 実質的な社会人生活をスタートさせた昭和61年、自分は某電子部品メーカーに入社し、入社から3か月過ぎた夏の日に、ある工場の総務課に配属されました。従業員は約500人の規模でしたが、設立から長い年月が経っていたので、地域の方々や従業員の家族は、隣近所のような雰囲気でした。配属後は早速、現場研修でした。営繕、電話受付、警備室、社員食堂、医務室、清掃などの現場をそれぞれ1週間ずつ実地で研修を受けました。現場研修の後の、最初の仕事は盆踊り大会のためのグラウンド整備(工場の敷地内には、体育館、テニスコート、野球場が2面とれるグラウンドがありました)でした。麦茶で水分を補給しながら、営繕の親父さんたちと盆踊りの櫓を立てる「穴」をひたすら掘っていました。新入社員なので、仕事の内容に疑問を持たずにせっせと汗を流していました。やがて当日、地域の方々、従業員とその家族、総計約3000人が工場に訪れてくれました。盆踊り、抽選会、バンド演奏、花火大会(河川敷を通行止めにして打ち上げていました)。会社は、社宅のある地域から工場までの往復、従業員の家族のために貸し切りバスを何台も仕立てていました。従業員、家族、地域が夏の一夜を一緒に楽しみました。

 割り切った言い方をすればこれらの経費は全て「コスト」です。生産性に直結していない経費であり、どこに消えたかわからないような一種の「不明金」です。でも、その夜の従業員の家ではどんな会話がなされたのでしょう。地域の方々の井戸端会議では、花火の出来について何がしか話題になったのでしょうか。

 盆踊り大会の翌日、工場の門近くで通勤する従業員には、地域の人からの「ありがとう」という声を聴くことができました。家族や地域の方々からの声を聴いて、「ここで働いていて良かった」と思った人は自分だけではなかったと思います。

 

 

米国のカウンセラー

 

 前号でご紹介した「The Healthy Company」(写真参照)ですが、実はあの出版の前後に、米国企業が大きく取り組みを変えた事がありました。従業員が利用できるカウンセラーを、従業員の家族も利用できるようにした企業が増えてきたのです。「The Healthy Company」が出版される前の米国経済がどのような状態だったかは、前号に詳述しましたが、お世辞にも経済大国といえるような状態ではありませんでした。それを打破しようと取り組んでいる企業を取材・分析した企業の共通事項をまとめられたのがこの本です。

 多人種、多民族、多宗教の典型である米国は、かねてからかかりつけのカウンセラーを持っている人が多くいました。そして経済低迷が続く最中、企業は契約したカウンセラーを家族(家庭)にも派遣するようになりました。いわば、盆踊り大会を小規模で、家庭内で、取り組み始めたと言えます。従業員の仕事の悩み、直面している問題、家族の考え方や望んでいる事…、積極的なおせっかいを「プロ」に委ねていきました。もちろん、それができる企業は限られていましたが、他社に負けない競争力を備えたい企業を中心に、この取り組みは広がりを見せていきました。

 その効果は眼を見張るものがありました。ごく当たり前のような仕組みになった今、米国のカウンセラーは、公的資格制度ももちろん、NLP※等の民間資格も多数存在し、薬の処方箋の発行も可能になっています。そして米国のトップカウンセラーは、企業の業績と連動する報酬体系として契約している人も数多く、年収が億を超えることも珍しくない状況です。それだけ、業績や生産性に寄与していると認められている、ということになります。

※カリフォルニア大学の心理学部の生徒であり数学者だったリチャード・バンドラーと言語学の助教授だったジョン・グリンダーが心理学と言語学の観点から新しく体系化した人間心理とコミュニケーションに関する学問。(日本NLP協会HPより)

 

 

ポピュレーションアプローチ

 

 ここで、経済産業省が提起している「健康経営」の定義を思い出していただきたいのですが、「健康経営とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することです。」とあります。対象は従業員だけではない、と定義されています。多くの人々が少しずつリスクを軽減することで、集団全体としては多大な恩恵をもたらす事に注目し、集団全体をよい方向にシフトさせること、と定義されるポピュレーションアプローチですが、企業の健康保険組合もまたポピュレーションアプローチの一つであると考えます。健康保険料を納めているのは従業員ですが、その健康保険の範囲は家族にも及びます。日本では独身でも家族でも、健康保険の契約者は1人のみで、保険料が変わることはほぼありません。

であれば、従業員のみならず家族も健康であることは、健康保険組合の収支改善のみならず、保険料を払う従業員と企業の負担を軽減することにもつながります。米国のカウンセラーのような形式を採用する、ということではなく、安心して従業員を送り出せる環境作りを企業としても検討・構築できるのではないかと考えます。

形骸化してしまいましたが、以前はよく見られた「薬の配布」もその一つだったはずです。従業員のみならず、家族も健康であるための仕組み作り、このことは、これからの人事を考察するうえで、重要な要素だと考えます。その取り組みは、身体・精神の両面において進めるのが肝要と思います。「コロナうつ」という言葉も生まれた昨今ですが、家族の精神面の充実と対処は、社宅と工場の往復バスよりも大きな効果があると考えるからです。

 

【The Health Company原著の表紙】