「劉暁波氏と日中関係」 ——天安門事件・世界人権宣言・ノーベル賞 劉 暁波氏の“志”  大阪 2019年3月20日(水) [ 特集カテゴリー ]

「現場」貫く知行合一の人 中国が消去するその存在 [ 作家、現代中国文学者、神戸大学 劉 燕子(リュウ イェンツ) ]

エリート出身の知識人
鄧小平が部隊投入、発砲

 

 劉暁波は1年半前、急に亡くなりました。中国政府の説明では末期がんです。それまで8年間投獄されていました。1955年生まれの彼の父は人民解放軍の将軍で、エリートの家庭で生まれ育ちました。文化大革命中は一時期内モンゴル自治区で過ごしました。77年に中国の名門、吉林大学に合格、文学サークルに入り、卒業後は北京師範大学の修士課程に入りました。中国の名門大学である北京大学、清華大学、北京師範大学の1つ。そして文革以降初めての博士号を授与されました。

 

 大学の若手教師として教壇に立っていた80年代は最も開放的で、経済発展する時期でした。言論の自由度も今から思えばあった時期でした。中国は文革を否定し、新しい中国に向け全国人民が一斉に努力しようという時期で、彼は大学の派遣で、オスロ大学、ハワイ大学、そして天安門事件の前にはアメリカの名門大学、コロンビア大学の客員研究員でした。事件がなければ、彼は大学の先生として、或いは学者としての道を歩んでいたに違いないのです。

 

閲覧にはログインが必要です。→ .