「北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実」
—「武士の世」の始まりを決定づけた人物の実像とは
濱田 浩一郎 はまだこういちろう(歴史家、作家、評論家)
1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。姫路日ノ本短期大学、姫路獨協大学で非常勤講師を務めた後、現在は主に著述やメディア出演で活動。著書『播磨赤松一族』『小説アドルフ・ヒトラー』全3巻など多数。
■北条義時は「待つ人」
「何もしない人」だったのか
今年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』です。ドラマの主人公、北条義時とは一体どういう人物だったのか。
承久の乱(1221年)を描いた「承久記絵巻」という絵巻物があります。江戸時代に作られたものですが、そこに義時の顔が描かれています。口ひげを生やして、顔は少しふっくらしているように見えます。目は細めでしょうか。
現代の歴史家は、義時の性格を一般的に「待つ人」「何もしない人」と評価しています。私はその評価には反対ですが、なぜ義時がそのような評価を受けているのか。
義時の性格を見る上でよく使われるのが、鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』です。これは北条氏の政権下において編纂された書物ですので、北条氏を美化礼賛するような文章も見えて取扱い注意な面もありますが、歴史家からは重宝されています。